「へへっ、えへへへへへ〜」
さっきから、この人のにやけ顔が元に戻らない。人の家に突然押し掛けてきたかと思えば人のクッションに体を投げ出して、翳す左手薬指には青い石が埋め込まれたシルバーの指輪。
俺はその指輪の出所も、その日に至るまでの経緯も確かに知っている。その後起こりうることも予測出来る。よかったな伊東、返事はイエスだぞ。その話は明日かもしれないし、数年後かもしれないけど。
「浅浦ク〜ン、ふふっ、うへへ」
「顔が崩れてるぞ」
「浅浦クンだから今更ー」
「はいそうですか」
何を隠そう、その指輪はこの人の誕生日デートで伊東からもらったものだ。青い石はこの人の誕生石であるブルーサファイア。このためにアイツが倹約してたのも知ってるから、俺も多少は感慨深い。
遠くの親戚より近くの他人という言葉を地で行く俺の家と伊東家だ。将来的にその中にはこの人も組み込まれることになる。限りなく近い他人だけど、今更と言えば今更か。
「浅浦クーン……」
「ん?」
「観覧車の中でねー、これ、カズがはめてくれて」
「へえ、そんな洒落たことしやがったのか」
「それでね、将来の“約束”とか“予約”とかっていう意味合いの指輪だって。ゆくゆく、役所に紙切れ出しに行こうって」
「よかったな」
へらへらしたにやけた惚気顔とはまた違う、将来に夢を描く女の子の顔で彼女は俺に微笑みながらその時の状況を語る。
この人と伊東の惚気話を聞くのは何だかんだ嫌いじゃないと言うか、好きかもしれない。ただ、放っておくと延々と注がれ続ける。まあ、今日くらいは大目に見るか。
俺はもう、そういうのは諦めた。己に巣くう負の部分が消え去らないと、相手の心も体も傷つけてしまうから。あの衝動が消えない限り、中途半端に恋愛なんかするべきじゃない。
「うちとしては結婚情報誌についてるかわいいのじゃなくて、ちゃんと役所でもらえるカッチリとした紙がいいんだ」
「あれ、見えるところに置いとくと無言の脅迫になるっていうから気をつけろよ」
「さすが書店バイトは言うことが違うねえ」
「アンタも書店バイトだろ」
「うちレンタルと文具コーナー担当だもん」
ゼクハラなんていう言葉も聞くくらいだ。おまけ欲しさを言い訳に、見てみよっかー、自分たちはどういう式にしよっかーなどと話を進めてしまう圧の話もある。ああ怖い。
「でもさーあ?」
「うん」
「まだまだ15年の差は埋めらんないんだもん」
「15年の差?」
「そう! うちがカズと出会うまでの15年。カズの側にずーっといたのは浅浦クンなんだもん」
「それまでの15年よりこれからの何十年だろ」
「甘い。カズのこれからの何十年には浅浦クンもいるはずだもん。これは腐女子の妄想じゃなくて、ガチなヤツ」
確かに、互いにこの腐れ縁はどこまで行っても途切れないだろうと思いこんでいる節はある。いつどうなるかはわからないけど、よほどのことがない限りはぐだぐだと腐れ縁を全うするだろうと。
だからこそ、俺はこの人を余所の人ではなく限りなく近い他人になるという意識でいるのかもしれない。これからも続く付き合いのことを考えてしまうのだろう。
「ねえ浅浦クン、だからね?」
「うん」
「他の誰にも相手にされないうちの惚気、浅浦クンだけはちゃんと聞いてくれないとダメなんだからね」
「はいはい、わかったわかった」
end.
++++
慧梨夏がデレデレな回。他の人より惚気を邪険にしない浅浦クンに対しては惚気方も可愛らしいらしい。
いち氏や慧梨夏に「相手がこうだからこれこれこうしてやれよ」と言えるのはやっぱりこの人。全ての惚気を受け止める(受けざるを得ない?)浅浦雅弘。
ちなみに指輪をはめてくれた件は短編の「君に捧ぐブルーサファイア」参照。