卒論発表会という行事を控えている。卒業論文の発表と質疑応答を4年の人数に1時間をかけただけの時間、狭い部屋にゼミ生を全員詰め込んでただひたすら繰り返される。
発表自体はパワーポイントを使って行うが、そのパワーポイントを印刷した物を資料として用意しなければならないし、原稿も必要になる。その作業が終わらない。
「やってるか、裕貴」
「雄平」
「ん」
「……ああ」
互いにまだまだめんどくさい仕事が残ってんな、と雄平が俺の隣の席に腰掛ける。学内の情報演習室に人はなく、プリンターが紙を吐き出す音が鮮明に聞こえる。
雄平は俺に缶コーヒーを差し出し、自分も同じ物のプルタブを起こした。たちまち広がる香りは、無理矢理もたらされる休息への空気。
「何か、懐かしいな」
「何がだ」
「いや、むかーしにさ、部活でだ。遅くまで部室に籠って作業してた時に、お前がこうやってコーヒー差し入れてくれたなーって、今思い出した」
雄平が思い出しているのは、2年の頃の話だろう。その頃、雄平はミキサーにパート転向したばかりで、音源の編集をするにも四苦八苦していた。何をやるにも、同学年のミキサーより少し時間がかかったのだ。
雄平がアナウンサー兼プロデューサーからミキサーにパート転向したのは、班にはミキサーを扱える者が1人しかおらず、それも本業はディレクターだったからだ。その年に入って来た洋平と朝霞の力を伸ばして自分がミキサーを習得した方がやりたいステージに近付くという単純明快な理由。
端的に言えば、どうすればより高いレベルでステージをやれるか。それをうだうだ考えずに反射で動いた結果だ。俺はステージに熱い人間が好きだ。それが、どんな立場であってもだ。俺は、あの瞬間から越谷雄平を尊敬している。雄平には俺にない物がある。
「何を言う。お前はそのコーヒーを、1秒たりとも考えずに朝霞に渡してただろう。いるなら起きてろ、飲め。そう言ってお前はうとうとしていた朝霞を缶で小突いて――」
「よく覚えてんなそこまで。俺もそこまでは覚えてなかったのに」
「お前は反射的に、どちらがより回復が必要かを判断してその行動に」
「いや、そんなことまでは考えてないと思うぞ、自分で言うのもなんだけど。何つーか、脳筋、的な?」
確かに雄平は猪突猛進の熱血漢といったタイプかもしれない。実際に体も筋肉質だ。ただ、何も考えない練習が実を結ぶかと言えば、否。いくら体育会系の思考とは言えただやるだけの反復練習でミキサーとして開花する理由はどこにもない。その時その時、状況に合わせて考える力は持ち得る。
「いや、お前のその敏捷性は――」
「裕貴、お前は俺を過大評価し過ぎだ」
「どうもお前は最初のやらかしの印象が強すぎるのか、過小評価され過ぎていたのが気になってな」
「それはしょうがねえよ、1年のクセに部長に喧嘩売ったのは事実だ。朝霞と洋平にはその所為でレッテルが張られたりもして、肩身の狭い思いをさせたなって。引退してから強く思うようになった」
「戸田は含めないのか」
「レッテルもクソも、アイツは俺と同じ荒くれ者だからな」
越谷の汚名。そんなものがまことしやかに語られている。残念ながら、それが星ヶ丘大学放送部における越谷雄平と聞いた印象だ。しかし、越谷を知る世代もあと一代。
部で活動した3年間は、とても高い密度で、とても長い時間だった。しかし、とうに過ぎた話として、互いに穏やかな笑みを浮かべて語る思い出になっている。プリンターの音は、いつしか止まっていた。
「裕貴、俺も印刷したいからそれ退けてくれ」
「ああ、悪い。ところでお前は何の作業を」
「何か、就活体験記とか何とかってヤツ。就職課に持ってかなきゃいけないんだ。普通データ提出じゃねーのかよ」
end.
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こっしーさんと萩さん。先代の流刑地の主と幹部のあれこれ。現4年生の世代は監査の萩さんという人が有能過ぎたおかげで秩序を保っていたとも言える世代。
こっしーさんの作業にPとしての責任で付き添ってうとうとしていた1年生当時の朝霞Pにも若さ溢れるエピソードがチラリ。
果たして萩さんのこっしーさんへの評価はこっしーさん本人が言うように過大評価なのか。それはきっとこれからのナノスパでおのずとわかって来る、かもしれない……