今日も今日とて俺は光熱費のためにバイトをしていて、やってきたのは例の腐海のあるマンション。だけど、今日は奴に会わなくて済むはずだ。Sサイズ1枚なら。
4階まで登って、左に曲がる。例の腐海はスルーして、角部屋の前に。Sサイズ1枚だから大丈夫だとは思うけど、宮ちゃんがいませんように。
「ちわー、ピザデリーです」
インターホンを鳴らせば、すぐにはあいと反応があって、扉が開く。部屋着であろうスウェット姿のメガネっ子。
「えーと、モッツアレラトマトのSサイズっすね。880円っす」
「はあい」
「確認なんすけどさすがに今日は宮ちゃん、いないっすよね」
「大丈夫ですよお」
「なら大丈夫っす。あざっす」
この茶髪のメガネっ子が結構ウチの店を使ってくれてるんだけど、1人のときは大体Sサイズを1枚だけ注文してくる。これがMサイズになったりデザートピザを付けてくるようになると要注意なんだ。
台所の奥で薄く開いたドアの向こうから、こっちを覗いてやがったり盗撮してきやがったり。宮林慧梨夏とかいう腐海の主がここにいますよという合図になる。
今日もわずかに部屋の奥へと続くドアが開いている。その隙間から、結構な大音量で音楽が聞こえる。お、つーかこれは。
「再始動したっすね」
「……そうなんですよお! お兄さんも知ってるんですかあ!」
結構な昔に活動を止めたバンドの音楽が流れている。と言うか宮ちゃんがいつもうだうだと話している情報によれば、ライブDVDらしいが。
俺も知っている、と言うか好きだ。さすがにリアルタイムではガツガツに入れ込むことは出来なかったけど、時間の流れる中でも音楽は残り続けた。
「つか、ギターがやってるバンドっつーか、プロジェクトって知ってますか」
「知ってますよお、CDも買ってますよお」
「そのプロジェクトに、今度俺が好きなバンドのボーカルが参加してるらしくて」
「はいはい! どんな人かと思ってCD買いましたよお!」
と言うかこのメガネっ子、飛びつき方がすげえ。確かにいろんなバンドからメンバーを集めて発足したプロジェクトなんかじゃそれぞれどんな音楽やってたんだって軽く聞くことはあるけどだな。
確かに「広く深く、熱しやすく冷めにくい」とは宮ちゃんが言っていた。うちなんてオタクとして全然敵わないと。今も生き生きとバンドの話をしてるから、悪い奴じゃねえんだろうなあと思いかけている俺がいる。
何つーか、俺自身オタクではないけどオタクに対するネガティブな感情がそんなにない。それは、俺の周りのそういう奴らが好きな物の話を生き生きとしてるからだろうなってのはある。
言い方を変えればスペシャリストだ。いつだって、良くも悪くも物の印象を操作する何かがあって、先入観だとか腹の虫だとか、そういう物を植え付けて来るモンに惑わされないように。
「ボーカルさんの好きな本、今読んでますよお! 動画とかで公式のライブ映像見てるんですけど、カップリングの曲がCDも廃番だしオークションにもかかってないし…! しかも今活動休止してるじゃないですかあ! お兄さん!」
「良かったらっすけど、宮ちゃん経由でシングル貸しましょうか」
「えっ、オニイサーン! ぜひぃ! あとよかったら完全受注生産の第2弾と3弾の方もお願いしていいですかあ」
「じゃあ、細かいことは宮ちゃんづてに。……っと、長居しすぎたな。あざっしたー」
……そうか、これが布教活動か。
end.
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バイト中の高崎とお休みのみなもちゃん。玄関での立ち話。
みなもちゃんは広く深く熱しやすく冷めにくい性質をしてる隠れオタクなんだけども、割とあらゆる分野に手を出していてどこまで精通するのかは正直未知数。
高崎が揚々として自分の趣味の話をするという話がなかなかに少ないので、この布教活動は貴重な記録なのかもしれない。