伊東が風邪をひいたらしい。
授業で顔を合わせた宮ちゃんから聞いた話によれば、いつもの風邪とはタイプが違う。伊東は基本的に鼻風邪タイプで、鼻水でぐずぐずになりつつも動けないほどでもないのがいつものパターン。ただ、今回は喉もやられている、と。
「おい、余計なことすんな」
「えー!? だって混ぜた方が均一に火通りそうじゃない?」
「お前、何を作りたいっつった」
「おかゆ。卵粥」
「お粥っつーのはサラサラしてるモンだろ。混ぜすぎると米が潰れて粘り気が出る」
そして、俺と宮ちゃんが今立っているのは伊東の部屋の台所。喉がやられて声が出ない、水を飲むにも一苦労な伊東に卵粥を作ろうと宮ちゃんは意気込んでいるが、コイツなら殺人兵器にしかねない。現にコイツの料理で死にかけた俺が言うんだから間違いない。
俺は伊東を死なせないための監視役。ただ、手は出さない。あくまで自分で作るというところにこだわるらしい。彼女としてのプライドだとしたら、そんなモンは捨てた方がいいと胸を張って言える。これ以上被害者を出すくらいなら。
「でもさー、混ぜたいじゃん」
「いいからそのままほっとけ。混ぜるのは1回でいい」
「なんでー」
「焦げ付き防止だ」
「なるほど」
それでも鍋の中身を混ぜたいのか、木のへらを固く握りしめて鍋を覗き込んでいる。ただ、蓋をしてあるから中の様子はなかなか窺い知れないのだが。
「高崎クン! 大変! こぼれる!」
「よし、混ぜろ。1回だ」
「あつっ、あつっ」
「混ぜたら弱火」
「どうしよう火消えたー!」
「消えたならつけろ」
コンロの火を弱めたりつけたりするだけでどうしてこんなに大騒ぎになるのか。
あー……しんどくて動けないはずの伊東を起こしたか。そっと扉の隙間から覗いてやがる。そりゃあ心配だわな。何食わされるかわかったモンじゃねえし。一応、お前は寝てろと目と手で制する。
「弱火ってこれくらい?」
「で、蓋をずらして30分くらいだ」
「また噴きこぼれないよね?」
「噴きこぼれそうになったら蓋を開けるとか火を止めて落ち着くのを待つんだ」
「高崎クンて料理上手だねー」
「お前に比べりゃな」
鍋がよほど心配なのか、宮ちゃんはコンロをじっと見つめている。よっぽどのことがなきゃ噴きこぼれないだろうに。まあ、普段料理をやらねえから心配になるのはわかんねえでもないが。
「ねえ高崎クン」
「あ?」
「おかゆ作るだけでこんなことになるんだから、カズがいなかったら生きていけないなあと思うんですよ」
「出来ねえなら練習すりゃいいだけだ。必要に駆られりゃやらねえか」
「その点、いつもおいしいご飯作ってくれるカズってすごいなーって本当に実感してる。料理してみてわかった。これは並大抵じゃないよ」
「まあ、お前が酷すぎるっつーのもあるけど、伊東の飯が美味いのもガチだからな。それは認める」
「うち、カズに何がしてあげられるんだろう」
柄にもない弱気な発言だ。風邪ひいた本人が弱気になるのはわかるが、看病する側が弱気になってちゃ世話ねえだろ。コトコトと鍋が音を立てる。しっぽはくにゃりとうな垂れる。
「余計なことは考えねえことだな。お、そろそろ30分か。おい、鍋の様子見るぞ」
「あ、うちの知ってるおかゆっぽい!」
「塩ひとつまみ。あとよく溶いた卵。余計なことはすんなよ」
「わかってるってば」
「わかってねえから殺人兵器作りまくってんだろ」
「高崎クン、毒味」
そう差し出された匙で、恐る恐る一口。うん、可も不可もないごく普通の卵粥だ。これなら伊東が死ぬこともないだろう。
「じゃあ、盛り付けな。後で食器洗うのもお前だぞ。落としても割れねえ器にしとけよ」
「うるさいなあもう」
「あとは好みで薬味。まあ、薬味のことはお前の方がわかってんだろ。ネギかおろしショウガか。別添えにして伊東本人に任せてもいいかもしんねえな」
「はーい」
「じゃ、俺は帰る。こうしたらもっと美味くなるんじゃないかとかって余計なことすんなよ。じゃあな」
あとはバカップルの時間だ。宮ちゃんに言えるのは、余計なことはすんな、これに尽きる。
end.
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こないだ高崎が熱を出してましたが、どういうアレか今度はいち氏が風邪をひいてしまったようです。でも元々風邪自体は結構ひいてるんですねいち氏。鼻水がぐずぐずなだけで。
本題は慧梨夏のおかゆ。いつもだったら高崎は「バカップルのことなんざ知るか」とほっときそうな感じですが、トラウマは根強い。
高崎の料理教室はきっとスパルタだったんだろうなあ……でも、それっくらいしないと慧梨夏だから心配よなあ