「コシ、こっしー」
「ゆーへーい」
俺は、この絶望的状況下での四面楚歌を回避するために連れて来られた置物だと察する。もちろん、俺が場の空気をどうこう出来るはずもなく、呑まれないようちびちびとビールを飲み、青ざめていくその人を見守るしか出来ない。
遡ること2日前。部活の先輩である越谷さんに今日の予定を聞かれ、空いていると返事をすれば飲むぞと約束を取り付けられる。誰とどこでという話にはならなかったから、いつものように山口の店かどっちかの部屋でサシ飲みだと思っていたら。
目の前に現れたのは、向島の村井さんに麻里さん、そして圭斗。この3人が極悪だという話は越谷さんに聞いて知っているし、一応俺も定例会。麻里さんに逆らうと次の瞬間首が地面にあるというのは理解している。
語尾にハートマークをバシバシにつけながら越谷さんを責め立てる村井さんと麻里さんだ。それを圭斗は何を言うでもなくいつものように澄ました笑みで眺めている。先輩は通常運転として、不気味なのは圭斗だ。
「いやー、まさかこっしーに彼女がいたとは」
「見せつけてくれちゃってねー」
「えっ、越谷さんに彼女!? 水臭いじゃないですか何で言ってくれないんですか!」
「朝霞、コイツら誤解だとわかった上で俺をイジって楽しんでるだけだぞ」
そんな公式関係ないと言わんばかりに火種を業火に変えるのが向島という大学の特色だし、大袈裟になっている話をちょっとマイルドにしたくらいが事実なのだろう。でも、越谷さんに噂になるような女性が…!?
「朝霞がファンフェスで三井に抱かれてた裏でだ、コシは彼女と腕を組んでそれはもういちゃついてだな」
「ぶっ」
「朝霞君、大丈夫かい? おしぼりだよ」
「悪い圭斗。村井さん、表現に語弊がありすぎませんか」
「いやー、わりーわりー! 緊張してるっぽかったからおいちゃんなりの気遣いだったんだけど」
「その表現はホント勘弁してください」
「厳密には三井に腰を抱かれてた、つまりセクハラね」
「あの、越谷さんの話に戻りませんか」
今日この場の俺は空気とか石ころであるべきなんだ。わざわざ俺の存在を掘り起こしてもらわない方が嬉しい。越谷さんには悪いけど、向島の先輩方には越谷さんを存分にイジってもらって、それで満足して帰ってもらおう。
「朝霞、お前だけは真実を知っててくれ。コイツらが言ってるのは水鈴が例によってやりたい放題してた現場だ」
「あー……例によって。でも、わざわざ水鈴さんのステージを見にファンフェスに? 越谷さん、何だかんだ言って水鈴さんの様子が気になるんじゃないですか」
「だ、か、ら、あ、さ、か…! お前なあ…! どこまですっとこどっこいなコトを言ってコイツらにガソリン注いでんだ!」
「こっしー、誰のことをコイツ呼ばわりしてんのー? 偉くなったねー」
「ぐっ」
「朝霞ー、普段のこっしーの様子をお姉さんに教えてもらってもいいかなー?」
ヤバい、ロックオンされてる。ジョッキを手に、俺の目を見てにこーっと笑う麻里さんは明らかに目が笑ってないし逃げ場はない。越谷さん、諦めて1人で来た方が良かったと思いますよ。
定例会に出るようになった頃、越谷さんが俺にこう教えてくれましたよね。「お麻里樣に逆らうと死ぬぞ」って。今日、俺はその教えを忠実に守ろうと思います。俺、いろいろやり残してるんで!
「あの日、ファンフェス終わりでこっしーが水鈴さんと晩ご飯食べに行ったのは知ってるんだー? お酒入ってた水鈴さんにこっしーが優しく寄り添ってさー。でも、普段の様子を聞いてみないとさー」
「いや、つか麻里何で知ってんだ」
「なんだったら水鈴さんが言ってた雄平の惚気話? してあげよっか? ねえ雄平」
「朝霞君、越谷さんを生かすも殺すも朝霞君次第だよ」
「死んでも話させるか。ほーら朝霞、飲め飲め、進んでないぞ」
「こっしー、飲めない後輩を潰そうとするんじゃないの。ピッチャー没収。圭斗さん、アタシに注いで」
「かしこまりました」
何だか混沌としてきた。麻里さんは越谷さんの何をどこまで知っているのか気になるし、俺も死にたくない。一方で、越谷さんからの視線は厳しい。村井さんも圭斗も味方ではない。もしかして、四面楚歌とはこのことか。
「あの、すみません麻里さん」
「話す気になった?」
「このジョッキに、自白剤を少々いただければと」
end.
++++
ただ、その自白剤を含んじゃうと、ステージMC水鈴さんとミキサーこっしーさんの話にシフトしていきそうだからこっしーさんは逆に生き延びるかも知れない。
やっとお出ましの越谷コロス隊with朝霞P……多分こっしーさんは普通に戦略ミス。それこそ潔く単独で乗り込んだ方が良かった。どう考えたって朝霞Pはお麻里様に逆らえないんだから……w
火種を業火に変えるのが向島という大学の特色とはまた何ともラブピな火種である。情報ってどこから漏れるんだろうねー