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ディアガール

 



 こんなに優しくするのは今日だけなんだからね。



 目が覚めると、外はずいぶん日が高くなっていた。
 枕元に手を伸ばして煙草を掴む。
 煙草を吸いながら、時計を見やると九時を半ば過ぎたところだった。



「あー…やっちゃった」



 湯野の始業時間前にいつもする電話が出来なかった。
 振られてからというのも可笑しい話だとつくづく自分でも思うけれど、自分の気持ちを言ってしまってからはひどく素直に行動出来るようになった。



 そばにいたい。そばにいてほしい。
 笑いあえるだけで、同じ時間を共有出来るだけで幸せでたまらない。



 そう口にする度に湯野は困った顔をしてうつむいた。
 受け止めることの出来ない自分がひどく申し訳ない、と笑った。
 そんな彼女だからこそ、自分はそばにいることが出来るのだろう。



「あ…」



 携帯の日付を見て、先日の会話を思い出す。



『そういや、湯野もうすぐ誕生日だよな』


 貴巳と湯野と三人で帰った日だ。
 貴巳の唐突な発言に、湯野は特に気にする風もなく、曖昧に頷いた。
 そんな彼女に貴巳は意外そうに目を細めた。



『反応薄いな』


『日曜だからロング入ってるし、誕生日だからってはしゃぐ年じゃないしねー』



 でも、と湯野は少し照れ臭そうにはにかんだ。



『誰か一人にはおめでとうくらい言ってほしいな』



 その一言が、どうしようもなく寂しくてたまらなかった。
 湯野はいつも無理をする。学校を休んでまで仕事に行こうとする。
 その理由を聞いたことはない。
 聞いたらきっと、湯野はもう俺のことを見てくれなくなる。



 そんなことをつらつらと考えながらメール画面を開いて、はたと指が止まった。
 どうせなら会いたい。会って、少しでも構わないから会話をしたい。



 けれど、嫌がられたらどうしよう。
 彼女に嫌われてしまったら、俺はきっと泣いてしまう。
 死にはしないけれど、きっと苦しい。
 でも、それでも、俺は、それでも。



 手早く用件だけ打って、メールを送信する。
 そして、煙草を揉み消して出かける為の準備を始めた。



 休憩に入って携帯を開くと、七件の新着メールがあった。
 フォルダを開くと、三件はメルマガであとの四件は友人からだった。
 中谷と瀬奈、桐島。
 それから―――鳴海。



 メールを開くと、そこには『ハッピーバースデイフォーユー』と一言だけ表示されていて、湯野の好きな雨の風景を写した写真が添付されていた。



「…相変わらず、キザったらしいなあ」



 ふと小さく笑みを漏らす。
 お互いにお互いを忘れてはいないのに、お互いに不器用だから始まらない。
 否、きっと始めようとしないのだ。
 離れていくことが、怖いから。



 とりあえず、ありがとうと返信して中谷と瀬奈にも返信する。
 最後に桐島からのメールを開いて、湯野は首を傾げた。



「…あたし、何かしたっけ」



 メールにはただ一文だけ、『終わったら迎えにいく』と打たれていた。
 今朝も連絡は無かったし、もしかしたら何か気に障ることでもしてしまったのかも知れない。
 そこまで考えた湯野はふと苦笑を浮かべた。
 彼がいることが当たり前になっている自分がいる。
 彼がいなくなった時、自分はどんな反応をするだろう。
 笑うのか、怒るのか、それとも。



「まぁ…いっか」



 深く考えてはいけない。
 そう判断した湯野は目の前に置かれたお弁当にようやく手をつけた。



 コンビニの駐輪場で煙草をふかしていると、自動ドアが開いて見覚えのあるもこもこのマフラーが見えた。
 即座に煙草を揉み消して、バイクに隠した包みとココアを取り出す。
 彼女は俺の姿を見つけると、少し不安そうな微笑みを浮かべた。



「お疲れさま」


「ありがとー。今日、どうしたの」



 労いの言葉とともに温かいココアを差し出す。
 湯野は嬉しそうに笑ってそれを受け取り、俺の顔を見上げた。
 今日は女の子らしいお団子にしていて、彼女が動く度に後れ毛がふわりと揺れた。



「や…朝、電話出来なくてごめんね」


「怒ってないの?」


「なんで怒る必要があるわけ?」



 笑って聞き返せば、湯野はふてくされたような顔をした。
 そんな表情がかわいいなあなんて思う俺は、本当に馬鹿だ。



「だってメール…不機嫌そうだったし」



 そう言って寒そうに首を竦める。
 俺は首に巻いていたマフラーを湯野に巻いてやった。
 驚いたように彼女は顔をあげて、ややあってから少し恥ずかしそうに笑う。




「ありがとー」


「別に怒ってないよ。ただ寝坊しただけだし、ちょっと急いでたから」



 そう言うと湯野はほっと息をついた。
 俺は少し戸惑いながら、片手に握った紙袋を握り締めた。
 なんて言って渡せばいいだろう。
 迷惑だと言われたら、どうしよう?



 なんて気弱なことを考えていたら、湯野が怪訝そうに眉をひそめた。
 なかなか用件を言わない俺にしびれを切らしたらしい。
 それを察した俺は、慌てて握り締めていた包みを湯野に突き出した。



「うわっ、え、なにいきなり」



 突き出された包みを反射的に受け取りながら、湯野は戸惑った声をあげた。
 まったく、本当に慣れないことなんかするもんじゃない。
 俺はざわつく心臓を押さえながら、ゆっくりと口を開いた。



「…誕、生日、おめでと」



 あげる、と囁いて、そっぽを向く。
 湯野は目をぱちくりさせながら、しばらく俺の顔と可愛らしいピンクの包みを見比べた。
 ややあってから、小さく笑う声が俺の鼓膜をくすぐった。



「笑うな」


「だって桐島…ちょー顔真っ赤」



 くつくつと声を押し殺して笑う湯野はいつもと変わらなくて、それにどうしようもなく安心してしまう。
 そんな俺に湯野は包みを指して、ほんの少し照れ臭そうに微笑んだ。



「ありがとう、桐島。嬉しい」



 その笑顔は本当におだやかで優しくて、どうしようもなく美しい。
 俺は照れ臭い気持ちも忘れて、湯野の小さな身体に抱きついた。



「ぎゃ!ちょ、ばか離れろ桐島!」


「ああ…もー…よかった」



 好きになったのが、あんたで。
 本当に、よかった。



 しょうがないなー、と湯野が呆れた声で俺の頭をよしよしと撫でる。
 その手の冷たいぬくもりに俺はそっと、笑みを浮かべた。



 (産まれてくれてありがとう)


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そのキス、メンソール味。

 



 あなたがすきと、ただ一言。
 それすら言えないから、またあたしは煙草に火を点ける。



「りんりーんっ!」


「いだー!」



 とても無邪気な声がした瞬間、頭頂部にすさまじい衝撃を感じた。
 思わず頭を押さえて振り返ると、そこには炭酸のペットボトルを抱えた親友がにっこりと笑いながら凛を見ていた。



「はい。差し入れ」


「あ、ありがとうユキ…じゃない!いきなり何すんだ、てめーはわあっ!」



 何気なく受け取り、栓を開けた瞬間、コーラが噴き出す。
 一瞬の出来事に呆然とする凛にタオルを差し出しながら、ユキは呆れ顔でため息を吐いた。



「ほんと、馬鹿だよなお前…」


「うるせーよもう!」



 ぶちぶちと文句を言いながら凛は腕に滴る液体を拭う。
 そんな親友を眺めながら、ユキは煙草に火を点けた。
 さめざめと雨が降る日に渡り廊下なんかでこの女は何をやっているんだろう。
 凛の足元はびちゃびちゃに濡れていた。



「なんなのこないだから」


「別になんもないよ」



 凛の素っ気ない返事にユキは頭からコーラをぶっかけてやろうかと思った。
 煙草を吸っていらつきを抑えて、ユキは凛の頭を優しく撫でる。
 優しくするのは、今日だけの特別だ。



「どーせカオルさんのことだろ」


「あーあーあーきーこーえーなーいー」



 耳を押さえて聞こえない振りをする凛にまたため息をつきながら、ユキは肩を竦める。
 一緒に出かけるくらい仲がいいくせにどうして、こうも進展しないのか。
 カオルさんもカオルさんで、いつまでうじうじと悩んでいるつもりなのか。
 まったくもって不器用な二人である。



「まぁ…人様の恋愛にどうこう口出す趣味なんかないけど、いい加減に逃げるか受け入れるか決めたらどうよ」


「逃げるよ」



 間髮いれずに凛は答えた。
 煙草に火を点けながら、遠くを眺める凛の眼差しはひどく、大人びていて、ユキは思わず目をみはった。



「あの人は…優しいから。だからあたしのことがほっとけないんだと思う」



 いろんな事情により、いろんな人生経験をしたおかげで、凛はすっかり人間不信に陥っていた。
 ユキにだって最初はまったく心を開いていなかった。
 けれど今、こうして凛がユキに心情を語るのは偏にユキのぶっきらぼうな優しさにある。



「凛‥」


「怖いんだ。いままであんなに居心地のいい場所なんて知らなかったから」



 まるで、お父さんみたいな店長。
 お母さんみたいなチーフ、頼れるお兄ちゃんみたいなカオルさん。
 家族みたいにみんな仲良しで、あたたかくて、どうしようもなく優しい。
 何も言わずに居場所を与えてくれるひとたちだから。



「だから、逃げる。あそこにいたらあたし…きっと、もう強がれなくなるから」


「りん、」



 凛はそう言って目を細めた。
 凛は馬鹿だ。臆病で、強がりだ。
 やっと見つけた凛の居場所を自ら捨てて、何になると言うんだろう。
 どうして、自分は不必要だと思うのだろう。
 ユキは小さなため息をつきながら、ホワイトブリーチした髪を掻きあげた。



 4時限目終了のチャイムが鳴る。
 凛は少し苦笑して、授業サボらせてごめん、と囁いた。
 その表情はまるで、出会った頃のように固く、ひどく強張っていた。



「…お前は、」



 ため息をつく。
 凛は肩を竦めて靴箱へと歩き出した。
 それに続こうとしたユキの耳に聞き覚えのあるエンジンが聴こえた。
 思わず立ち止まり、中庭を見ると見覚えのあるムーブが停まっている。



 やっと、動いたワケね。
 ユキは半ば呆れを含んだ囁きを溢した。
 これでどう転がったとしても、少しは落ち着くだろう。
 いい加減、痴話喧嘩に巻き込まれるのは御免被りたい。
 じっと見つめていると、ユキの視線に気がついたのか、運転席で苛立たしそうに煙草を吸う人物と目が合う。



「ユキちゃん? 何してんの」


「…あー…いま行くわ」



 なにも知らない凛が立ち止まって、自分を待っている。
 ユキは不穏な微笑を(凛にとっては)浮かべ、ひらりと運転手に向かって小さく手を振った。



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