スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

紅い指先

 




 想い続ければ報われるだなんて、とんだ笑い話だ。



「これ、あげる」



 手渡したのは、色とりどりの花束。
 彼はありがとう、と呟いて儚く笑った。
 その笑顔が遠い過去の、けれどいまでも大事なひとと重なって、ちくりと喉の奥が痛んだ気がした。
 いつだって僕はなにも出来ないまま、身代わりの誰かを愛した振りをする。
 たぶん、彼も同じように、俺を身代わりにしていると理解していても、微かに残る罪悪感が胸をかすめた。





「嘘つき」



 ぱちっと目を開く。過ぎた過去の幻影が僕の脳裏で弾けて消えた。
 本当はそんなこと、言われてなんかいないのに、こうして何年経っても、僕のどうしようもない罪悪感が僕自身を苛み続ける。
 あのとき、彼女を守れなかった僕を、いまこの瞬間の僕が憎み続けているから。




 起き上がり、ふと自らの指先に視線を落とす。
 瞬間、あの日、あのひとの血に濡れた指先が脳裏を掠めて、どうしようもない感情が喉の奥に絡まるのを感じた。
 しろいしろい、指先。
 そこに赤より紅い、ぬるりとしたもの。
 倒れた華奢なからだ、周囲の何か叫ぶこえ。
 そしてーーー「ーーーー?」




「……はっ」



 笑えた。自嘲し、ふかく、ふかく、息を吐く。
 明日は、きみにあいにいこう。
 誰にともなく囁いて、僕はベッドに倒れ伏した。




 翌日、僕は駅前近くの花屋に来ていた。
 近くまで来ると、いつも心臓がざわつく。それを落ち着かせる為に深く息を吸い込んで、止めた。
 イメージする。笑うきみ、笑い返す僕。
 僕を見ても、何も気づかないし、思い出すこともない。



 だから、大丈夫だ。




 必死に言い聞かせて、一歩踏み出す。
 ゆっくりと止めた息を吐きだして、さきほどイメージした笑みを浮かべる。




「……こんにちは」



「あら、いらっしゃいませ」




 鉢植えに銀色の如雨露で水をやっていた女性は僕の声に顔をあげて、柔らかく微笑んだ。
 僕はそっと笑みを返して、季節の花束をひとつ、とつぶやく。
 彼女は少し不思議そうな顔をしたあと、そうですねえ、ど間延びした声をあげた。




「あなたみたいな素敵な人なら、恋人にあげるのかしら?」




 邪気のない笑みに、鈍く胸が痛む。
 けれど、それに気づかない振りで、僕は曖昧に笑ってみせた。
 笑うのは得意だ。どんな感情も、笑って隠すのは特に。
 彼女は、くすくすと鈴のなるような笑い声を立てて、誤魔化すのが上手いのね、と囁く。




「なら、ありきたりかもしれないけれどチューリップはどうかしら。
 恋人に贈るのなら、赤、ピンク、紫がいいわね」




「……いいえ、白で」




「え? 白は花言葉が…」




「いいんです、白を」





 花言葉は知っている。きみが何度も教えてくれた。
 きみは、もう覚えてはいないけれど。
 柔く微笑みかける。すると、彼女は少しだけ困ったような顔をしたあと、かしこまりましたと頷いた。
 数分、店の中に活けられた花を眺めて待っていると、花束を抱えた彼女が視界の隅をかすめた。
 彼女は優しい笑顔を浮かべたまま、僕に花束をそうっと差し出す。





「おまたせいたしました、こちらでいかがでしょうか?」




 差し出された花束には白のチューリップに紛れて一輪だけ、赤が紛れていた。




「……僕は、白としか」




「ごめんなさい、でも、とても好きだったお相手のようだったから…花言葉、お詳しいようですし、どうぞ持っていて」





 かすれた声で指摘すると、彼女は済まなそうに、けれどとても誇らしそうに胸を張って答えた。
 そう。愛していたんだ、本当に。
 ほかの誰でもない、きみを。
 ……なんて、言えるものなら言っていたのだろうか。




「……ありがとう…」




 花束を受け取って、財布から適当に万券を二、三枚引っ張りだしてカウンターに置く。
 明らかに多すぎる金額に彼女は目を丸くしながら、あたふたした。




「こんなにいただけません!今、お釣りを…」




「すまないけど、時間がないんだ。また来るよ」




 これ以上、ここにいたら間違いなく僕は舌を噛んで死ぬだろう。
 そう思いながら、後ろ手をひらりと振って店をあとにした。
 彼女の、心底戸惑った声がひどく、耳障りに思った。




 両手いっぱいのチューリップを抱えて、街を歩く。
 まだ冷たい風が頬を撫でて、青い花の香りがゆるりと揺れた。
 きみは相変わらずきみだった、顔いっぱいのあったかい笑顔に水仕事で荒れた指先はいつも紅く凍えているのに、やっぱり優しい。
 ぼくの、どこまでいっても大切な、ひと。





 あのこにあげようと思った。
 身代わりに愛そうと思った、彼に。許しを求めるように。
 だけれども、ひとつだけ混ざった赤いチューリップだけは渡せないのだ。
 愛するから許せなんて、なんてひどい言い分だろう。
 ふと、自嘲が溢れる。




 夢の中で嘘つきと云ったのは、誰だったのか。


 

 けれども、僕は此処に花を買いに来る。
 何十年か後もきっと変わらずに。
 僕のことを忘れてしまったあなたの幸せな微笑みを見つめるしか能のない僕だから。
 だから僕は、あなたに会いに、渡す相手のいない花束をまたひとつ、手にいれる。






続きを読む
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2015年12月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
アーカイブ