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カウントダウンはもう終焉

 




 学校に着くと、あたしは心配そうな顔の二人と別れて職員室に向かった。
 今日は二人のお陰で授業開始時刻には、まだ充分余裕がある。
 出来れば、早く話をしておきたかった。



 鳴海にだけは、何も伝えない。



 それだけがあたしの中にずっと、あった。
 半ば意地になっていたのかも知れない。しかしそれだけではなく、きっと知られれば、あの手この手で引き止められるのが目に見えていた。



 それを期待して、甘えてしまいたくなかった。
 鳴海の腕の中は、ひどく優しいから、ほんとうはずっと、このままでいたいけれど。



 まとまらない気持ちを抱えたまま、あたしは相変わらず、チャラいヤクザみたいな風貌の担任を見つけて、声をかけた。




「やっほー雪松、いま大丈夫?」



「おう、なんだよ湯野」



 ちゃんとセンセーつけろや、クソガキとぼやきながら、雪松は椅子ごとあたしを振り返り―――何かを察したのか、立ち上がって、隣に座る化学担当のふーちょんセンセーに話しかける。
 ちなみに化学担当のふーちょんセンセーはフルネームを藤 千誉(ふじ ちよ)という。
 入学式の時は怖い先生に見えたが、割にかわいい女の人だった。



「藤先生、応接室あいてますよね?」



「ええ、使う予定は聞いてません」



 返答を聞くなり、雪松は立ち上がり、あたしを無言で促した。
 あたしもそれに従い、無言のまま職員室を出て、隣の応接室に入る。
 引き戸を開けた瞬間、薄暗い応接室から桜の匂いがして、何故だが少しだけ、寂しかった。



 雪松が明かりをつけて、置かれたソファにどっかりと腰を降ろす。
 あたしは突っ立ったまま、本題を切り出した。



「あたし、全日に編入したい」



 意外にも雪松は驚かなかった。
 ただ行儀悪く、長い足をソファに投げ出して、禁煙の貼り紙を知らんぷりして煙草に火をつけた。



「希望校はあるのか」



 雪松は煙草の煙を吐きながら、静かにそう問うた。
 あたしは横に首を振ると、彼はいくつかの全日制課程の高校名をあげる。



「と―――まあ、この中でお前の偏差値からいちばん入りやすいのは隣町の凰城だな。希望がないなら、そこ一本狙いがいいだろ、お前、時間取りにくいし」



 そう言って、おもむろに彼は立ち上がり、壁際に据えられたキャビネットからいくつかの検定資料を取り出した。
 英検、数検、漢検に簿記。どれも単位になる。



「お前の出席日数なら、この4つを取れば何とか単位は足りる。あとは編入試験だな、一時的でいいから詰め込め。お前、記憶力はいいから数学以外なら何とかなるだろ」



 あたしはその資料を受け取り、ぱらぱらと中身を見た。これをやりきれないで、甘えたことは言えない。
 そうして、ふとあたしは雪松を見上げる。
 あたしの突然の希望に、彼は何も言わない。
 ただ、必要なことを教えてくれる。
 何も、思っていないのだろうか。
 雪松はあたしの視線の意味を察したのか、少しだけ苦く笑った。



「お前の顔見てりゃ、本気だってわかるよ。大人はなー、子供のやりたいことを邪魔しちゃいけねーんだよ」




 雪松は煙草を持っていない方の手で、あたしの頭をぐっしゃぐっしゃにする。
 最近、短くなった髪の感触にあたしは慌てて、浮かんだ顔を掻き消した。




「理由は聞かねー。聞いても仕方ねーからな。そんかわり、やりきれ」




 じゃァ、後でな、と雪松はトドメにあたしの頭をぽんと叩いて、応接室を出て行った。
 置いてけぼりになったあたしは、資料を握り締めたまま、幸松の言葉を噛み締める。
 やりきる。それがあたしに出来る、たったひとつのこと。



 これはもしかしたら、裏切りなのかもしれない。
 あたし以外にも、全日制に行きたくて、行けなかった子はいる。
 それでも、あたしは決めたから。




「……うし、志島センセー探そ」




 一つ気合を入れてあたしは、一番苦手な数学をやっつける為にもう一度、職員室に向かった。




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ブルーアンドシュガー

  



 定時制って、こんなにフリーダムなのか。
 入学初日、五分で既にあたしは帰りたくなっていた。




 満開の桜並木の並ぶ緩やかな坂を抜けて、あたしは一人、入学式の会場に立っていた。
 周りには同じ入学生であろう、まだ幼い顔の、しかし髪は白だったり、赤だったりの少年少女が居心地の悪そうな顔で散らばっている。
 その中には保護者のいない子もいて、あたしは少し安堵した。



「あっ…ねー、きみ新入生?」



 ぼーっと散る桜を見ていたら、不意に背後から声を掛けられた。
 ビクッとして振り返ると、そこにはわりと穏やかそうな可愛い女の子が立っている。
 あたしは少し戸惑いつつも、こっくりと頷いた。



「そっかー、あ。あたし、薫ね。今年高3。でも歳は21」



 ゆるふわな感じの人なのに割とさばさばした喋り方にあたしは少し安心した。
 表情に出ていたのか、彼女は嬉しそうにあたしに微笑みかける。
 笑うとほんわかした雰囲気が一層和らいで、優しげ美人だなーなんてあたしがぼんやり考えていたら。



「あ、オラァ真澄ィ!!!テメー新入生誘導ほっぽってどこ行ってやがったこんのくそぼけええエエェェ!!!」



 甘やかな声音にこれでもかとドスをきかせて目の前の優しげ美人が叫んだ。
 思わずびくんっと肩が跳ね上がり、あたしの鞄が肩からずり下がる。




「えーごめんて!うんこしてたうんこ!」



 動揺しっ放しなあたしの頭上から何ともあほらしい返答が返って、恐る恐る見上げるとこれまた爽やかなイケメンが光り輝く笑顔で、薫さんに笑いかけていた。
 薫さんは、真澄と呼ばれたイケメンの頭を容赦なくドつきながら、周りのどん引きもものともせず、冴えざえとした冷たい声で言い放った。



「うるせえ黙れ役立たず。さっさと講堂連れてけ役立たず」



「すんません!うんこ許して!」



 ……二度も言った。役立たずを二度も。
 あまりの迫力にあたしが呆然とする中、言われた当人の真澄さんはおかしなこと言いながら、キラッキラの笑顔で、右手をすっと高く上げた。



「はーい!!!新入生のがきんちょどもはここね!さっき配った学生番号の順番でよろしくーーー!!!」




 そんなんでいいのか、そんなんで。
 新入生全員の顔に、複雑そうな、微妙な表情が浮かび、ありありと同じ感想を物語っていた。
 気まずそうに集まっていく新入生たちの背後で薫さんが「あいつ、あとまじボコる」と冷たい声で呟いているのが聞こえたあたしは、心の中で真澄さんのこの後を思い、合掌した。



 講堂は、春の午後の陽射しに照らされ、眠たくなるような暖かさだった。
 すっと周囲に目を配ると、教師陣が十名、いかにも個性的な先生も何人かいる。
 担任は普通っぽい人が良かったけど、チャラいヤクザみたいな国語教師になってしまった。



 …この四年間は絶対にいいこにしてよう、怒ったら怖そう。ていうか命(タマ)取られそう。



 ものすごく失礼なことを考えながら、あたしは生徒会役員席を見て、先ほどのの二人を見つけた。
 さっきはジャケットを脱いでいたのか、真澄さんはスーツを着ている。
 にこにこ笑って立っていて、実に爽やかだったが、先ほどの発言を聞いていたあたしを含めた新入生数人は、微妙な顔をしていた。



「…では、在校生代表の生徒会長から、祝辞を」



 定時制だというのに少し神経質そうな女性教諭が囁く。
 確か、化学担当だったか。不機嫌に眉間に皺が寄っていて、美人なのに怖そうだった。



「はい。在校生代表、小野寺真澄。
 えー…まずは皆さん、ご入学おめでとうございます。
 こうしてここに立って見渡してみると、色んな顔の子がいます。
 不安そうな子、寂しそうな子、ワクワクしてる子、つまんなそうな子。あと、定時になんか来たくなかったって顔の子!
 まあ、偏差値は低いし、受験の時点で合格確実だし、巷では名前を書きゃー受かるなんてアホなこと言われてますけどねー」



「小野寺、真面目にしなさい」



 自分もその定時制生徒なのにぼろくそに言う真澄さんを科学教師が窘める。
 彼は少しへへっと誤魔化すように笑ってみせた。



「でも、ここにしかない楽しさや、喜びも確かにあります。
 全日じゃあ周囲を気にして話せないことも、ここじゃ割とニチジョウサハンジだし、ワケアリの奴ばっかで、居場所がわかんない奴もここにはいられる。
 先生たちも、俺達のことを一生懸命考えてくれる。
 特に将来のこと。俺達は少しだけ、周りより劣ってる。だからこそ、一年の頃から就職や進学のことを色々教えてくれる。
 だから、楽しんでください。不安も寂しさも、ここじゃ感じる暇ないです。
 ワクワクしてる奴は生徒会に来てください、一緒に盛り上げようぜ!
 ほんで、定時制に来たくなかったやつ…」




 ここでふと、彼は全体を見渡した。
 そうして、あたしの顔を見つけるとにやっと意地悪そうに笑う。
 そのまま、彼はあたしを見つめて宣言した。



「……後悔してる暇なんかねーからね!
 四年間、一緒に頑張ろう!」



 キラキラの笑顔。
 先生たちは苦笑していて、いつものことながら、なんて感じだった。
 たぶん、ずっとこんな感じでみんなを引っ張るタイプなんだろうな、とあたしはぼんやりと思った。




 じわりと、心に黒い染みが広がる。
 楽しめ?馬鹿なこと言わないでよ。



 あたしは、やっぱり、此処が嫌いだ。
 





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カウントダウンはもう終焉

 



 着替えて、ふみさんにもう一度謝ってから外に出ると、真澄ちゃんがいつもの優しい笑顔で出迎えてくれた。
 その横で薫ちゃんが、少し難しそうな顔で電話をしていて、そんな彼女にあたしは無言で手を振る。




 その仕草に薫ちゃんは少し笑ってくれて、くいっと顎で黒のエルグランドを指した。
 視界の片隅に細い指先が鍵を解錠するのが見えた。




「お疲れ、湯野!車乗りなー」



「ありがと、真澄ちゃん…」



 真澄ちゃんは後部座席のドアを開けてくれ、あたしを押しこむようにして乗せた。
 あたしが先ほどの出来事にショックを受けているのはバレバレみたいで、申し訳なくてたまらなくなる。
 彼はトランクにあたしのママチャリもしっかり押し込んで、助手席ではなく、あたしの隣に乗り込んだ。



「あれ…真澄ちゃんが運転しないの?」



 不思議に思って訊ねると、真澄ちゃんは少し真面目な顔になって、あたしの頭を無理やり自分の膝に倒させた。
 そうしてくねくねと体をくねらせて、彼はオカマっぽい喋り方でふざける。
 ………言っちゃなんだが、実に気持ち悪い。




「俺はあ、今日はあ、湯野のお、枕代わりなのおぅ」



「……まじごめん真澄ちゃん、地味にきもい」



「ガーン」




 本当にショックそうな表情を浮かべる真澄ちゃんが可笑しい。
 いつものやりとりにほっとする。
 真澄ちゃんのジーンズからは薫ちゃんと同じ、柔らかな花のいい匂いがした。



 そのままがしがしと彼の大きな手があたしの頭を掻き回す。
 ふと、まだ外にいる薫ちゃんが誰と電話をしているのかが気になって、無言で真澄ちゃんを見上げると彼は何もないよ、と小さく笑った。



「…ねえ、真澄ちゃん…」



「おう、なんだよ」



「手、止めてくれてありがと」



「………殴ったら、湯野の手が痛いからな!」




 お礼を言うと、彼は少しの沈黙の後に優しく笑った。本当に、真澄ちゃんはよく笑う、こんな時はとくに。
 まだ知り合ってたった2ヶ月なのに、どうしてこんなによくしてくれるのか、あたしには解らない。



 困った顔にでもなっていたのか、真澄ちゃんはますます優しく笑って、何かを言おうとした。
 けれどもそれは、薫ちゃんがドアを開ける音に掻き消されてしまった。




「うし、学校いくぞー」



 どっこいしょ、という掛け声とともに薫ちゃんが乗り込む。
 あたしは起き上がって、飛びつくように薫ちゃんに話しかけた。



「どこに電話してたのっ」



「わかってんだろーに聞くなよ」




 薫ちゃんはきっぱりとあたしの問を切り捨てた。
 車を発進させながら、彼女は静かな声で続ける。



「真澄がいたから、あの雌猫も、湯野も、相手を傷つけずに済んだ。
 けど、向こうは成人してるし、湯野は未成年だ。
 しかるべき対処はするべきだろ」



「やめて」



 震える声で、囁いた。
 薫ちゃんは、しばらく黙っていた。
 真澄ちゃんも何も言わない、車のオーディオだけが車内で賑やかに騒いでいた。



「なんで」



 薫ちゃんの問いは簡潔だった。
 あたしの唇からこぼれるように言葉はあふれた。
 あのひとには、あの、優しいひとだけには。



「なるちゃんに、知られたくないの」



 一緒に過ごしてきた、この二ヶ月。
 なるちゃんがいたから、あたしは寂しくなかった。
 気付いたら側にいて、何も言わずにあたしの声を聞いてくれた。
 嘘でも、愛してくれた。だから、だから、だから。



「なるちゃんに…あんなことやったの、知ってほしくない」




 あんな、あたしな愚かな行為を。




 薫ちゃんは何も言わない。
 ふと、肩に大きな手が触れた。ゆっくりと車のシートに戻され、真澄ちゃんが薫ちゃんのスマホに手を伸ばす。
 ちらりと、横目で薫ちゃんに目配せすると、彼女は肩で大きく溜息を吐いた。



「………心配しなくてもまだ知り合いに学部を聞き出しただけだから大丈夫だよ」



「薫は優しーなあ、さすが俺の嫁!」



「黙れ脳筋」




 真澄ちゃんの軽口をばっさり切り捨てて、薫ちゃんはまた溜息を吐く。
 けれど、何も言わなくて代わりに真澄ちゃんが優しい声であたしを呼んだ。




「湯野は、どうしたい?」




 どうしたい、か。
 その問いの意味は、聞かなくてもわかっていた。
 なるちゃんから、離れるのか、このままずっと暮らしていくのか。




 ずっと、考えていた。
 このままではいられない、いつかはあのひとの側を離れていかなくてはならない。
 ……それが少しだけ、早まっただけ。




 元々、不純な理由から始まった同居だ。
 彼は、あたしにお情けの好きをくれるだけ。
 あたしのことなんて、離れてしまえば忘れてしまう。
 そうだったらいい、傷つけなくて済む。
 そう思うあたり、あたしは思った以上にあの、優しい人が好きだった。




「………あたし、は」




 でも、ね。
 どんなにあなたが好きで、あなたのそばから離れたくなかったとしても。




「あたし……この町から出てく」




 もう、あたしはここにはいられない。





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