定時制って、こんなにフリーダムなのか。
入学初日、五分で既にあたしは帰りたくなっていた。
満開の桜並木の並ぶ緩やかな坂を抜けて、あたしは一人、入学式の会場に立っていた。
周りには同じ入学生であろう、まだ幼い顔の、しかし髪は白だったり、赤だったりの少年少女が居心地の悪そうな顔で散らばっている。
その中には保護者のいない子もいて、あたしは少し安堵した。
「あっ…ねー、きみ新入生?」
ぼーっと散る桜を見ていたら、不意に背後から声を掛けられた。
ビクッとして振り返ると、そこにはわりと穏やかそうな可愛い女の子が立っている。
あたしは少し戸惑いつつも、こっくりと頷いた。
「そっかー、あ。あたし、薫ね。今年高3。でも歳は21」
ゆるふわな感じの人なのに割とさばさばした喋り方にあたしは少し安心した。
表情に出ていたのか、彼女は嬉しそうにあたしに微笑みかける。
笑うとほんわかした雰囲気が一層和らいで、優しげ美人だなーなんてあたしがぼんやり考えていたら。
「あ、オラァ真澄ィ!!!テメー新入生誘導ほっぽってどこ行ってやがったこんのくそぼけええエエェェ!!!」
甘やかな声音にこれでもかとドスをきかせて目の前の優しげ美人が叫んだ。
思わずびくんっと肩が跳ね上がり、あたしの鞄が肩からずり下がる。
「えーごめんて!うんこしてたうんこ!」
動揺しっ放しなあたしの頭上から何ともあほらしい返答が返って、恐る恐る見上げるとこれまた爽やかなイケメンが光り輝く笑顔で、薫さんに笑いかけていた。
薫さんは、真澄と呼ばれたイケメンの頭を容赦なくドつきながら、周りのどん引きもものともせず、冴えざえとした冷たい声で言い放った。
「うるせえ黙れ役立たず。さっさと講堂連れてけ役立たず」
「すんません!うんこ許して!」
……二度も言った。役立たずを二度も。
あまりの迫力にあたしが呆然とする中、言われた当人の真澄さんはおかしなこと言いながら、キラッキラの笑顔で、右手をすっと高く上げた。
「はーい!!!新入生のがきんちょどもはここね!さっき配った学生番号の順番でよろしくーーー!!!」
そんなんでいいのか、そんなんで。
新入生全員の顔に、複雑そうな、微妙な表情が浮かび、ありありと同じ感想を物語っていた。
気まずそうに集まっていく新入生たちの背後で薫さんが「あいつ、あとまじボコる」と冷たい声で呟いているのが聞こえたあたしは、心の中で真澄さんのこの後を思い、合掌した。
講堂は、春の午後の陽射しに照らされ、眠たくなるような暖かさだった。
すっと周囲に目を配ると、教師陣が十名、いかにも個性的な先生も何人かいる。
担任は普通っぽい人が良かったけど、チャラいヤクザみたいな国語教師になってしまった。
…この四年間は絶対にいいこにしてよう、怒ったら怖そう。ていうか命(タマ)取られそう。
ものすごく失礼なことを考えながら、あたしは生徒会役員席を見て、先ほどのの二人を見つけた。
さっきはジャケットを脱いでいたのか、真澄さんはスーツを着ている。
にこにこ笑って立っていて、実に爽やかだったが、先ほどの発言を聞いていたあたしを含めた新入生数人は、微妙な顔をしていた。
「…では、在校生代表の生徒会長から、祝辞を」
定時制だというのに少し神経質そうな女性教諭が囁く。
確か、化学担当だったか。不機嫌に眉間に皺が寄っていて、美人なのに怖そうだった。
「はい。在校生代表、小野寺真澄。
えー…まずは皆さん、ご入学おめでとうございます。
こうしてここに立って見渡してみると、色んな顔の子がいます。
不安そうな子、寂しそうな子、ワクワクしてる子、つまんなそうな子。あと、定時になんか来たくなかったって顔の子!
まあ、偏差値は低いし、受験の時点で合格確実だし、巷では名前を書きゃー受かるなんてアホなこと言われてますけどねー」
「小野寺、真面目にしなさい」
自分もその定時制生徒なのにぼろくそに言う真澄さんを科学教師が窘める。
彼は少しへへっと誤魔化すように笑ってみせた。
「でも、ここにしかない楽しさや、喜びも確かにあります。
全日じゃあ周囲を気にして話せないことも、ここじゃ割とニチジョウサハンジだし、ワケアリの奴ばっかで、居場所がわかんない奴もここにはいられる。
先生たちも、俺達のことを一生懸命考えてくれる。
特に将来のこと。俺達は少しだけ、周りより劣ってる。だからこそ、一年の頃から就職や進学のことを色々教えてくれる。
だから、楽しんでください。不安も寂しさも、ここじゃ感じる暇ないです。
ワクワクしてる奴は生徒会に来てください、一緒に盛り上げようぜ!
ほんで、定時制に来たくなかったやつ…」
ここでふと、彼は全体を見渡した。
そうして、あたしの顔を見つけるとにやっと意地悪そうに笑う。
そのまま、彼はあたしを見つめて宣言した。
「……後悔してる暇なんかねーからね!
四年間、一緒に頑張ろう!」
キラキラの笑顔。
先生たちは苦笑していて、いつものことながら、なんて感じだった。
たぶん、ずっとこんな感じでみんなを引っ張るタイプなんだろうな、とあたしはぼんやりと思った。
じわりと、心に黒い染みが広がる。
楽しめ?馬鹿なこと言わないでよ。
あたしは、やっぱり、此処が嫌いだ。