スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

どうせなら嘘から始めましょう





嘘でよかった。嘘で、この子どもを救えると思った。
一人の人間を、どんな嘘であろうと真に救えるはずもなかったのに。



本当に救いたかったのは、どちらだったのか。



「……すみません、変なところを見せて」



年齢に不釣り合いなぎこちない笑みを浮かべて、彼女は言った。
元々青白い肌が土気色と、恥ずかしさからか頬は朱色で、疲れ果てた老婆のような表情だった。
きっとさっきのアレは、以前からあったのだろうと見てとれた鳴海は返答に詰まり、しかしそれを悟らせないように少し俯く。




「いや、全然。俺のタイミングが悪かったよ 」



鳴海が笑ってみせると、少し安堵したような表情を浮かべ、湯野は曖昧に笑みを返す。
手持ち無沙汰に皿に置いたサンドイッチをもう一度手に取り、しかし口に運びはせず、その口元はどこかいびつに歪んでいた。




「昔からああなんです。だからなんて言うか慣れっこなんで、ほんと。全然、木村さん悪くないですから」




湯野は言い慣れた科白でも言っているようだった。
昔から、慣れっこ、大丈夫。その羅列された言葉の端に見え隠れするのは、死んでも同情なんてされたくないという意志。
それを察した鳴海はそっと眉をひそめた。
ここに面接に来た時点で彼女は既にアルバイトを二つもこなしていた。
それでもここに来たということは、金銭が足りていないということだ。



……つまりは今目の前にいる湯野は、あの子の有り得た姿なのだと気づいて、鳴海はぞっとした。



「もう休憩終わりですよね、食べきれなかったなあ」



持って帰ってもいいですかね、と言いながら湯野は椅子から立ち上がる。
そのままスタッフルームから出ていこうとする彼女の手はひどく小さく見えてーー気づいた時には、引き止めていた。




「ねえ、湯野ちゃん。俺と付き合う?」



「…は、い? 」



ぐいっと引き戻されて、湯野が驚いた顔で固まる。掴んだ手首はか細く、枯れ木のように痩せていた。
出会った時も思ったが、きっと満足な食事は出来ていない。
親とは暮らしていないのは、先程の会話からも解る。それなら、どこで彼女が生活しようと大して気にしないはずだ。




「好きになった方が負け。おふざけの好きはセーフ」



よくある、嘘を見抜けってやつだよ。
そう言って、鳴海は湯野の乱れた前髪を払う。やたらと顔色が悪いと思っていたが、触れて気付いた。発熱している。
そんなことも気づかないのだ、母親なのに、あの女性は。
考えれば考えるほど、鳴海は泣きたくなった。けれどそんな感情はおくびも見せずにニヤッと笑ってみせた。



「急に何言ってるんですか…ほんと意味わかんな…」



「寂しいでしょう? 湯野ちゃん」



煙に巻こうと苦笑いをする彼女を遮り、鳴海は湯野が怒るであろう言葉を選んでにっこり笑う。
案の定、彼女の土気色の頬はみるみる赤くなり、掴んでいた手を振りほどかれる。



「気持ち悪いこと言わないでください!」



「だってそうでしょ? そんな言い訳がましいこといって、構われたかったんじゃない?」



「違う!そんなんじゃ!」



「じゃあそれ、証明しようよ」



振りほどかれた手をもう一度つかむ。嫌がって離れようとする湯野を引き寄せると、鳴海はにっこり笑ってみせる。
湯野はひどく動揺していた。何か言い返そうと口をぱくぱくさせる彼女を安心させる為にルールを説明する。
これはゲームだ。大した意味なんてない。



「好きになったら終わり。ゲームオーバー。お互い恋愛対象外でしょ? 歳違いすぎるもんね」



彼女は15歳。鳴海は20歳。大した年の差でもなかったけれど、明らかに子供である彼女をどうこうする気は端から無かった。
こうして予防線を引いておけば、彼女も安心や憧憬を恋愛感情と履き違えることもないと踏んでの発言だった。
のちにこの言葉が枷となるなんて思いもよらないで、鳴海は笑う。



「同情なんか…!」



「違うよ。そうじゃない」



同情なんかではない。どちらかといえば、怒りに近かった。
誰に対して? ーーーと聞かれていたら、答えられなかったけれど。
けれど、放っておくという選択肢は端からなかった。



「……俺の、自己満足かな」



「…はあ? 何言って…ひえっ」



湯野の足がふらつく。熱が徐々に上がっているらしく、鳴海は彼女を抱えあげると、椅子に無理やり座らせる。
小さな悲鳴は聞こえたが、唐突な出来事にさらに混乱したらしい湯野は文句は言わなかった。



「熱あるでしょ」



「別に関係ないじゃないですか…」



「俺は関係あるようにしたいんだよ、…加那ちゃん」



下の名前で呼ぶと、湯野はことさら困った顔になって眉をひそめる。
鳴海は彼女の額に手を当てて、にっこりと笑った。



「付き合うなら呼び捨ての方がいいかな?」



「木村さん…ほんとに何言ってるんですか…?」



困り顔が可愛く見えて、一瞬戸惑う。
彼女は、子供だ。どんなに大人びようとしていても、守られるべきこども。
鳴海は、許さない。どんな事情があろうとも、子供を犠牲にする大人を。
そしてそれを見過ごすしかない自分を、許せない。
解っている。これは贖罪だ。あの子に対して、まだ許されたいと思っている自分がいたことに驚く。



けれど、それでも目の前のこの子をどうしても一人には出来なかった。



「ねえ、加那。俺と付き合ってみようよ」




続きを読む

どうせなら嘘から始めましょう





大人はいつだってずるい、そして、無遠慮に子供の心へ傷をつける。




「湯野ちゃん、大丈夫?ゆっくり覚えていこうね」



鳴海はそう言って、メモを片手に分かりやすくテンパっている湯野を慰めた。
彼女が入ってから2週間が経った。いまだに湯野は鳴海に気づかず、鳴海も何となく言わずにいる。
湯野に言われたら渡そうと、撮った写真を焼き増しして持ち歩いているくせに何故かどうも名乗る気になれない。



「木村さん?」



ふと名前を呼ばれる。メモを書き終えたらしい湯野が不思議そうに鳴海を見上げており、鳴海は取り繕うように笑ってみせた。



「書けた? じゃあ今度はこっちの器具の説明するね」



「はい!」



あの時と同じで、弾けるように笑うさまは年相応で可愛らしい。
気がつくと、あの雨の日からは1ヶ月が経とうとしていて、急にあの出来ごとが本当は夢だったかのように思えてくる。
記憶とは酷く曖昧なものだ。場面場面の情景は思い出せても、その時何を話したのか、どんな声で笑っていたのか、あっという間に忘れてしまう。
だからかも知れない。
彼女は既に急に話しかけてきた変な大人のことなんて、覚えてないのかもしれない。
そう考えると、何となくもの寂しく、鳴海は複雑な気持ちになるのだった。



「木村くん。湯野さんどこ行ったかな?」



ふとシフトリーダーに話しかけられて、鳴海は厨房を振り返る。
10分ほど前にひと段落したので休憩に行くように指示したが、まだ作業中かと思えば、姿は見えない。




「さっき俺、休憩に行かせましたよ?」



「それがね、スタッフルームにもいないんだよねえ」



「ああ、それは困る…」



賄い出してあげようと思ったんだけど、と困った顔をするシフトリーダーに鳴海は曖昧に相槌を打ちながらふと窓の外を見た。
そこに見慣れつつある青みがかった黒髪が見えて、さらに首をひねった。
あそこは喫煙所の辺りだろうに、早速高校で煙草を覚えたのだろうか。



「リーダー、俺も1本行ってきてもいいです?」



「うん、いいよ〜」



ひらりと手を振って、彼は鳴海を快く送り出した。
鳴海もその手に応えて振り返すと、そそくさ煙草を握りしめ、喫煙所に向かう。
他の店員に見つかる前に辞めさせないと、バレたら首にされてしまう。
定時制に通っていると言っていたし、苦学生なのは見てとれた。
なんだか世話のやける妹でも出来たような気分だった。



店の外に出て、ため息をついた瞬間だった。



「いい加減にしてよ!」



鋭く震えた声が喫煙所から聞こえてきた。
電話でもしているのかと、首だけでこっそり覗き込んでみると、どうやら電話ではなく、人と話しているようだった。
しかし鳴海はその相手を認めて、一瞬だけ眉をひそめる。
湯野によく似た顔の女性だった。煙草を片手に半笑いで湯野に何やら言っている。
彼女は湯野にそっくりの声で、ごめんってばと笑った。



「パパがまた仕事休んじゃってお金足りないんだもん、ちょっとでいいのよ。おばあちゃんもうるさいし、加那しか頼れないのよ」



ね、と言って母親らしき女性は口から紫煙を吐き、湯野に笑いかける。
後ろ姿しか見えない湯野はどんな顔をしているのかは解らない。
けれども、その小さな背中からはどうしようもない虚しさや悲しさを察することはできた。
彼女の小さな手が、あの時見た可愛らしい小さな財布に伸びる。
その手が財布の口を開ける前に、気づけば鳴海は飛び出していた。



「湯野ちゃん!」



「…木村さん?」



鳴海の大声に湯野の背中がびくりと震え、驚いた顔で振り返る。
その背後で母親が気まずそうに目を伏せたのを鳴海は見逃さなかった。



「何してるの? リーダーが賄いどうぞって探してるよ」


「あ…はい、すぐ行きますね」



湯野は強ばった表情で笑みを作ると、一度止めた指先を使って財布を開き、万札を1枚抜くと母親の既に差し出された手のひらに押しつけた。
そうして何も言わずに鳴海に会釈すると、小走りで店の中へ戻っていく。
残された鳴海はそそくさ立ち去ろうとしていた母親に会釈し、煙草に火をつける。
母親の顔は嫌なところを見られたとありあり物語っていたが、湯野が押しつけた万札は既にしっかりとしまい込まれていた。



煙草以外の喉の苦さを覚えつつ、鳴海が一服して戻ると、湯野はスタッフルームで不味そうにサンドイッチを齧っていた。
顔色があまり良くない。何も聞くべきではないと思っていたけれど、気づけば勝手に口は動いていた。



「ーーーねえ、湯野ちゃん。今の人、親御さん?」



湯野の頬にカッと赤みがさす。顔色は土気色なのに、羞恥で頬は赤くなり、ますます体調が悪そうに見えた。
彼女は齧っていたサンドイッチを皿に置くと、伏し目になって鳴海から目線をそらす。
ぎこちなく笑ってはいるが、それは歳に不釣り合いなひどく大人びた仕草だった。



のちにあの時を振り返る度に鳴海は思った。
本当なら、あの時然るべき公的機関に通報するべきだったのだろう。
未成年から親が金銭を搾取する。まるでありきたりなドラマのようなシーンだった。
けれど、湯野が傷ついているのは現実で、本物だった。
鳴海のような、まだ大人の手を離れていない大人未満の子供が手を出したとて大した結果にもならなかったのに。



けれども、それでも。
彼は見つけてしまったのだ。あの寒い春の雨の日に。
いまだに救えずにいる子供と同じ瞳の彼女を。



続きを読む
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2020年12月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
アーカイブ