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愛するってなんだろうね








脳裏にこびりついた優しく笑う姿。
誰よりもだいすきで、誰よりも、だいきらいだった。
遠い、記憶だ。




「桐島ー」


ゆっくりと歩く後ろ姿を見つけて、あたしはほてほてと駆け寄った。
呼ばれた当人は振り返ってあたしを見つけると、いつもの仏頂面を一瞬だけ和ませる。
そんないつもならしないような仕草に一瞬、違和感を感じた。



「湯野」


「こんなとこで会うとか珍しいね」



そう言って、へらっと笑うと彼はちょっとだけ困った顔をした。
ちなみに『こんなとこ』とはデパートの婦人服売り場だったりする。
やけに辺りをキョロキョロ見回して、なんだかよそよそしい。
その桐島らしからぬ態度にあたしは首をひねり、ふと一つの仮定が浮かんだ。
休日の昼下がり。婦人服売り場。そして、いつもならしない、よそよそしい態度。
ーーーもしかしなくても、デートなのでは?
思い至った瞬間、なんだか妙な気分になった。
心臓のあたりがもやもやして、きゅっと締め付けられるような。



(……あれ、あたしもしかして、)



なんとなく察した自分の感情に蓋をしつつ、あたしはどぎまぎと桐島から三歩くらい距離をとった。
後々、呼び出しなんて食らったら溜まったもんじゃない。




「う、わ、ごごごごめん!邪魔しちゃったみたいで、えと、その…とりあえずごゆっく」


「とりあえずあんたの考えてること全部勘違いにもほどがあるから、いったん落ち着いて日本語喋ってくれない?」



ジリジリ後退りをしていたら、桐島はあたしの頭のてっぺんを掴んで、ため息混じりに言い放つ。
その勘違い、という単語に何故だか安心してしまう自分がいて、苦い味が喉の奥にじわりと拡がった。



「…そんならなにしてんの?てゆーか余計に馬鹿になるから頭やめて」



「……、」


それなら中谷と買い物にでも来たのだろうかと思って訊ねると、桐島は途端に言いにくそうに眉をひそめ、さも言いたくないという顔をした。
やっぱり変だな、と首を傾げた時だった。
ふわっと甘だるい香水の匂いが鼻腔を刺激した。



「たっちゃん、何してるの」



やけに舌足らずの甘ったるい声がして、声のした方を見ると桐島の腕に華奢で少し派手派手しい女性が絡みついていた。
突然の登場に驚いて、桐島のほうを見るとーーどきりとした。
彼は久しく見ることのなかった、あの硝子玉の目をしていた。



「やめてよ、触らないで」


「いいじゃない。ねえ、あなた、誰ぇ?」


「え、あ、どうも…」



桐島は苦々しい表情を浮かべて、乱暴に絡みついた女性を振りほどく。
振りほどかれた女性はさして気にしたふうもなく、ころころと無邪気に笑った。
そうしてあたしの方を見て頭のてっぺんからつま先までを視線のみでちろりと見る。
本当に綺麗な人だった。けれど、ひどく居心地は悪い。
そうしてふと、ああ、と気づく。このひと、あたしを威嚇してる。



「ごめん。また」


「きゃっ、ちょっとたっちゃん何よォ」



サッと青ざめたあたしの顔色を察してか、そう短く言い残して、桐島が硝子玉の目をしたまま、女性の腕を掴んで踵を返す。
高いヒールをもつれさせながら、引き摺られるように女性も去っていく。
あたしはただ、その後ろ姿を呆然と見送るほかなかった。



「湯野」



がやがやと騒がしい放課後の喧騒に紛れて、桐島の声があたしを呼んだ。
今日、初めての会話だった。何かを察した中谷が相模を捕まえて、「今日ゲーセン行こうぜ」と誘う声がなぜか遠く聞こえた。



「なに?」



「今日、空いてる?」




努めていつも通りに笑ったはずの顔が歪むのを感じた。
桐島はいつもの仏頂面のままだ。それなのに、たぶん話の内容は少し、きっと重い。
あたしは小さな溜息を吐き出して、ゆるくもう一度、笑う。




「今日は休み。なんか話?」



「……うん。いい?」



いつもの仏頂面が、少しだけ曇る。あたしは返事の代わりに、鞄と桐島の手を取って歩き出した。




もうすっかり夏になった空はどこまでも高く、蒼くて遠い。
屋上に降りそそぐ強い陽射しに目を細める。
そうしてふと、中谷が夏になるとよく苦しそうに空を見ることを思い出した。
痛そうで苦しそうで、そのくせどうしようもなく優しい顔だった。
どうせ考えていることは、あの親友の彼女のことだろうと察しはついたけれど、あたしがとやかく言う立場じゃないので何も言わない。
いつも思う。どうしようもない女たらしで、あんな美人の彼女もいるくせに、どうして彼女を欲しがったのか。
それも、あたしが言うのはお門違いなので聞かないけれど。



もはや殺人的な熱射を浴びて、じりじりと焼けるアスファルトを避けて、日陰に並んでしゃがみこむ。
歩きしなに買った炭酸ジュースのボトル口を噛みながら、桐島が話し始めるのを待った。



「……昨日の、アレ、なんだけど、」



数分後、なぜだかやたらに気まずい空気を破って、桐島は口火を切った。
言いにくそうに口をへの字に歪め、とにかく嫌そうだ。
その出来れば知られたくなかったと言わんばかりな表情にあたしは戸惑う。
………やっぱり、デートだったんだろうか。だって威嚇されたし、怖かったし。
いや、こいつの場合、パトロンていうのも有り得なくもないか?




「アレ、母親」



「………ハイ?」



割と失礼なことを考えていたあたしは、彼の発言にとうとう自分の耳も馬鹿になったかと思った。
桐島はあたしの反応が想定内だったらしく、ため息混じりにもう一度繰り返す。



「俺の母親。本当にあんなのが恋人とかやめてよ、吐くから」



「吐くってあんた…いや、それにしたって若すぎない? 30ちょっとくらいでしょ?」



何なら今にも吐きそうな顔色になる桐島をたしなめつつ、あたしは動揺を落ち着かせるためにコーラを一口飲む。
脳裏に昨日向けられた敵意の眼差しが浮かんでくる。
そう言われてみれば、似ていなくもなかったが、何歳の時に産めば、17歳の息子を持てるんだ。
あたしが訊ねると、桐島は珍しくぶんぶん首を横に振った。



「あんなんでももう43だよ。人並み以上になんかやってんでしょ」



「よっ?…いや……若いね、」



思わず復唱しかけたが、あの他人なんざどうでもいいを地でやっている桐島が、わざわざこんなしょうもない嘘なんてつくはずもなく、あたしは当たり障りのない返答で留めた。
そうしてふと、彼が自分の家族の話をするのは、なるちゃん以外で初めてなことに気づく。
自分の母親のことをやたらと冷たく語る桐島と自分がダブる。
彼が今、どんな感情を抱いているのか、あたしは手に取るように解った。



「言いたくないなら、それ以上言わなくていいよ」



笑って、線を引く。わざわざ言いたくないことを言わせたくなかった。
すると彼は口許を覆って、首を横に振った。



「……いや、違う。あんたにだけは、変な誤解されたくないだけ」




彼の言葉にあたしは少しまごつく。その意味は痛いほど解っていた。
何度、彼の気持ちを告げられても、あたしは応えられない。
それでもいいと言ってくれる彼の優しさに、あたしは依存しているのだ。
そう自覚する度に、自分のずるさに吐き気がした。



「……そんな顔、しないでよ。キスしたくなる」



「なっ…に言って、」



驚いて、顔を上げた時には桐島とあたしの距離は0だった。
暴れる間もなく、すっぽりと桐島の腕の中に収まってしまって、ワイシャツ越しに湿った肌の温もりが伝わった。
ぐいっと強く抱き締められて、鼻先に慣れた香水の香りを感じた。
あたしと同じ、ライオンハート。



「ちょ、やめろこの、」


「俺。あんたじゃなきゃ、だめなの」



じたばたもがくあたしを宥めるように、静かな声が頭上から落ちてきた。
桐島の心臓が、早鐘みたいに脈打つ音がする。



「応えてなんかいらない。こうして隣にいさせてくれるだけでいい。
あんたは鳴海ちゃんのものだ。解ってる。
……だけど、今日だけ…ちょっとだけ、こうさせて」



桐島の声は、まるで許しを求めて泣いているようだった。
ゆっくりとあたしを強く抱き締めていた腕を外したかと思うと、今度はあたしの腰に腕を回して、小さな子供のように体を丸めて縮こまった。
太ももにかかる息がくすぐったくて、けれどもやたらに弱った桐島を突き放すことも出来ずに、あたしは小さく諸手を挙げて固まってしまう。



そうしてしばらくのちに、おそるおそる彼の額にかかった前髪を指でそっとすいてやった。



「ねえ、湯野…」



「…なんだよこのスケベ」



いつもの軽口を叩こうとしたのに何故かうわずる。桐島がふ、と小さく笑う気配がした。



「俺、あんたをあいしてる」



なにも、答えられなかった。
何言ってんだよ、とも、そんなこと言うなよとも。なにも。
だって、桐島が今にも消えそうなくらいに儚くて、それなのにあの、中谷みたいな。



今まで見てきたなかでいちばん。幸せそうに笑うから。



「だから、何もくれなくていいんだ。俺、あんたが笑ってるだけで嬉しいから」



桐島の言葉はきっと、あたしの中で一生忘れられないものになると思った。
誰よりも特別な、だいすきでも足りない、愛してるでも足りないひと。
きっと、桐島にとって、あたしはそんな存在な気がして、どうしようもなく怖くなる。
そんなふうに想ってもらえるほど、高尚な人間じゃないのに。



「ねえ、桐島…」



気づくと名前を呼んでいた。
彼は答えない。けれども、言葉は勝手に滑り落ちる。



「愛してるってなんだろうね」



あたしの腰に抱きついたままだった彼はふと仰向けに寝直した。
いわゆる膝枕だ。なんとも自由で怒る気にもならない。
そうしておもむろにあたしの左手をとって、そっと握りしめた。




「少なくとも、」



桐島の穏やかな顔がやけに心地よかった。本当は、言わせたくなかったのではなく、『あたし』が聞きたくなかったのかもしれない。
優しさではなく、ずるさだったかもしれない。
それでもいいよ、と桐島も、鳴海もあたしに言うのだ。多分、何度でも。



「あんたがいてくれるだけで、俺は幸せだよ」



「……なんなの今日。ほんと調子狂う…」



「そうだね。俺も本当になんであんたみたいなの好きなんだろう」




ふわふわと笑う桐島がいつもの憎まれ口を叩く。
あたしは、ちょっとだけ強めのチョップを嫌になるほど形のいいおでこにお見舞するだけで許してあげた。



夏の空はどこまでも高く、蒼くて遠い。



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