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オーマイガール

 




 あの、素敵な結婚式の日から由依子の言葉をやたらに思い出す。
 さまざまな場面、さまざまな瞬間に、彼女はふっと現れる。
 そうして彼女がくれた、最初の言葉を思い出すのだ。
『ねえ、藤ちゃん。あたしねえ―――』






 それから一週間後、サキと一緒に休日前夜の夜を過ごしている時、薫ちゃんから電話が来た。
 サキが彼専用の着信音であるビートルズのイエスタデイを聴いて、「花咲くんだね」と呟いた。




「なんだい、薫ちゃん」



『明日、暇か?暇だよな、暇だろ、暇って言えばかやろう』



「のっけからいわれのない暴言!」



『イエスかノーで答えろ、畜生』



「いや、マジなんなの薫ちゃん。生理前なの?暇じゃねーよ、サキと予定があんだよ」



『あっそ。じゃあい』



 プツッ、ツーツーツー。
 薫ちゃんは不機嫌に何かを言い終わる前に通話を切った。呆然としたまま、僕は無常な終話音のするスマホを見つめる。
 普段の薫ちゃんからは想像もつかないほど冷めた口調だった。
 けれど、とりあえずいいと言ったなら大丈夫だろう―――と思った矢先にまた僕のスマホはイエスタデイを歌い出した。



 サキが不思議そうに首を傾げて、僕を見る。僕は肩を軽くすくめて、もう一度電話に出た。

 


『もしもし、さっきは悪かった。明日、夜からならどう?』



「さっきからあやしー感じ半端ないんだけどなんなの、まじ。まあ、6時くらいなら」



 二人きりの時間を過ごしたあと、サキと一緒に薫ちゃんに会うのもよかろうと僕は言った。
 サキも僕の意図に気付いてか、わくわくした表情で僕の顔を見つめている。
 そんな僕達の雰囲気を電話越しに感じたのか、ふと薫ちゃんが固い声で問うてきた。




『……ふーん、サキさん今いんの?』




 普段なら聞いてこないような科白に、一瞬だけ、嫌な予感を覚えた。
 何でもないような振りをして、努めて明るく、いつも通りの声で聞き返す。






「は?いるけど、なに」



『……あのな、言うだけ言う。』




 数拍の沈黙のあと、彼は変わらず固い声で言った。
 サキの表情が曇る。何かを察するのは、いつだってサキのほうが早い。





『明後日の月曜、由依子はこの町から出て行く』




 僕は何も答えない。薫ちゃんは構わず、ゆっくりと言い聞かせるように続けた。




『だから、明日、由依子と畑山と四人で少し飲もうと思ってな』




「……ごめん、行かない」




 気付けば、勝手に言葉は滑り落ちた。
 薫ちゃんの吐息が震える。カチリという微かな音に、彼が煙草に火を点けたことを察した。
 何を言われるのかは、解っていた。
 だから、今すぐ電話を切ってしまいたい衝動に駆られた。




『…後悔はねーよな?』



「……あったとして、テメーには言わねーし」



『あっそ、マジ禿げろ』



 何とも言えない気持ちにさせられる捨て台詞を吐いて、薫ちゃんは電話を切った。
 思わず、憮然としつつスマホをテーブルの上に置くと、今まで静かにしていたサキがそっと口を開いた。



「ゆいこちゃん?」



 いつもは特に何も言わない彼女が、初めて由衣子の名を囁いた。
 僕は少しだけ迷ったあと、小さく頷いた。瞬間、訳もわからない罪悪感が急に押し寄せる。
 サキはそう、と呟いたきり、しばらく黙っていた。




 怒らせてしまったのかもしれない。
 本当は、ずっと不安だったのかもしれない。
 そう感じたのか、気がつくと僕の口は、誰も頼みやしないのに言い訳じみた言葉を勝手に並べ始めていた。




「今までごめん、サキ。もう、由衣子には会わないから。俺、なんにも考えてなくて、それでサキのこと」




「ほんとうに、いいの?」



 僕の尤もらしい言葉を遮って、サキは囁いた。
 まっすぐ僕を見るその瞳は、まるで困った子供を見ているようで、少しだけ何を聞かれたのか戸惑う。



「…サキ?」



「藤くん、ゆいこちゃんにしてきたこと、私には正直に話してくれたよね。だから、私、今まで何も言わなかったの」




 サキは僕の頬を手の甲で優しく撫でる。聞き分けのない子供を宥める母親のように。
 何なのだろう、僕が解らないままで、薫ちゃんや畑山、サキですら解っている由衣子のこと。
 誰よりも、由衣子のことを知っている僕が、ずっと解らないままでいること。




 それは。





「ねえ、藤くん。あなた、いつまで待っているの?」




 その言葉に、4年前の由衣子の後ろ姿が脳裏にちらついた。




「―――……俺、サキが何言ってんのか解かんねーよ」



 気がつくと、苛立ち紛れな囁きが溢れていた。
 サキは僕の険しい表情に、キュッと唇を噛み締めた。
 もうこれ以上は、何も言えないとでも言うように。



「……そう、」



 藤くんが、後悔しないのなら。



 サキはそう締めくくって、何事もなかったかのように晩ご飯の支度をするね、と微笑んだ。
 その微笑みは、何故か。



 由衣子の、僕の嫌いな笑い方に似ているように思った。





オーマイガール

 




 僕の元カノは、自称鳥居みゆき似である。
 度々、あまりにも強く主張するので、ふとこの間たまたまTVに出ていたので、しばらく鑑賞してみた。
 事実、劣化版鳥居みゆきと言っても過言ではなかった。
 仕草であるとか、テンションとか、似か寄りすぎて何とも言えない気分になった。
 しかし、鳥居みゆきに似ていると喜ぶ元カノはどうかと思う。
 そう伝えたら、彼女はえらく真面目な顔をして、「大丈夫、自覚してる」と答えた。



 今日は、そんな鳥居みゆき似な彼女の結婚式である。




「いやー、まじで由依子に先越されるとか思ってなかったわー」



 いつもつるんでいる畑山がしみじみと花嫁姿の元カノを見ながら、若干羨ましそうにぼやいている。
 その発言に新婦の元カノさん――由依子は割と小綺麗な顔をこれでもかと崩しまくり、両腕をゆらゆら揺らしながら反論した。



「何言ってん、あなた。3ヶ月付き合いもったことないくせに何言ってん」



「うん、せっかく化粧ばっちりできれーな花嫁さんなんだからその変顔やめな?」



 てか痛いとこつくんじゃねーよヘンタイ、と畑山が由依子に毒づいた。 
 変人なだけあって彼女の招待客は少なかったが、絶えず彼女の周りで笑いが湧く。
 僕は煙草を吸いながら、そのあほというか、馬鹿というか、とにかく力の抜けるやり取りを遠巻きに見ていた。



「藤、何してんの」


「お、薫ちゃん」



 ぼへーっと煙草を吸っていると、親友とも言える高校からの腐れ縁から、怪訝な眼差しを向けられた。
 その眼差しは明らかに未練か、と言っていた為、僕は彼が次の言葉を唇に乗せる前に首を横に振る。



「…先に言っとくけど、別に何もないからな」



「そういう顔か?まあ遅いけどな」



「薫ちゃん、まじお口チャック」




 下手に新郎親族や新郎本人に聞かれでもしたら、ほっぽり出されかねない。
 顔をしかめて呟くと、じゃあなんだよと薫ちゃんは言いましたとさ。
 まじお口チャックしろ、お前。
 一応周りを気にしながら、ぼそりと僕は囁いた。



「……未練なんかねーですけどね、なんか複雑ナンダヨネ」



「うん、まあ何故お前がちゃっかり招待されたのか、俺には由依子の神経が解らんしな」



「…そーなのよ」



 そうなのだ。そして、ちゃっかり出席している自分自身の神経も疑う。
 六年前、結婚しようとプロポーズまでしたのに、僕らは別れた。
 それは僕から切り出した別れだった。
 それまで五年間も続いてきた付き合いの中で、由依子への愛情がまるで妹のような、そんな家族みたいな感情に変わってしまっていた。
 そんな時、昔憧れていた女性が現れて、僕の心は完全にそっちへ向いてしまったのだ。



 別れを切り出した時、由依子は壊れた。たぶん、僕も。
 気持ちは完全になくなっていたのに、何度か彼女を抱いた。
 数ヶ月したら、由依子から離れていった。
 けれど今、何故だか僕は此処にいて、彼女の友人席に僕の座席がまざっている。
 これほどおかしな話もないだろう。



「…そーいやあ、藤。サキさんには」




「フツーに由依子の結婚式いってくるっつったよ」



「……それも変な話だよな、今カノ公認て」



 そう。憧れの君とは僕が必死こいて口説き落とし、今や三年目のお付き合いとなる。
 けれど、彼女は僕が由依子に会うことをあまり否定はしない。
 のほほんと、いってらっしゃいと言うばかりだった。
 たぶん、大人の余裕なんだと思う。



「そのうち刺されんなよ、藤」



「るせーわ、薫ちゃんまじお口チャックして」




 こぢんまりとした結婚式会場の片隅で、なんだってこんな話をしているのか。
 薫ちゃんははいはいとおざなりな返事をしたかと思うと、ふと僕の肩をぽんと叩いて踵を返した。
 急にどうしたのかと思えば、視界の片隅に純白が掠めた。



「由依子」



「藤ちゃん、スーツだとまじチャラいねえ」



 にへらっと子供っぽく笑うが、何となくその笑顔が強張って見えて、僕は思わず指先でその頬に触れた。
 びくりと、由依子の肩が揺れる。
 その一瞬に、自分の犯した間違いに気付いた。



「…チャラいって失礼だな。おめでと、由依子」



 何も気付かなかった振りで、いつものように笑った。
 由依子は一瞬だけ、真顔になった。けれどもそれは、すぐ消える。
 いつもの、由依子の笑顔がこぼれた。



「あんがと」



 その、短い言葉に、僕はいったい何を求めていたのか。



 由依子はくるりと回ってみせると、まるで子供みたいにけらけらと笑った。
 綺麗にヘアメイクされた髪が夏に近づき始めた柔い風に揺れる。
 大きな窓から射し込む強い日射しの中、純白のドレスを着た彼女はどこか別の世界のひとに思えた。



「……あたしねえ、結婚したらこの町、出るの」



 ふと、別の世界のひとが口を開いた。
 その一言に、僕はいつだか彼女と交わした会話を思い出す。




 ねえ、藤ちゃん。きっと、きっとね。
 あたしたちのさよならは、ねえ?



 そうだな、由依子。
 俺達のさよならは、もう一度。



 この町を、離れたら、もう。



「……尚さんの転勤なの。もう、この町には帰らない」



 由依子の両親は既にない。
 新郎の両親とは敷地内同居だと言っていたから、たぶん一緒にいくのだろう。



 由依子からの、二度目のさよならだった。



「…そか、元気でな」



「ねえ、藤ちゃん」



 由依子は言葉を続けようとした僕を遮り、僕の嫌いだった笑い方で笑う。
 言いたいことをすべて隠した、少し寂しい微笑。



「あたしねえ、藤ちゃんに会えてよかった」



 じゃあね、と由依子が踵を返す。彼女はもう、振り返らなかった。
 その一言に、僕は何を言えたのだろう。
 精一杯の、彼女の優しさに、いったい僕は。



『―――それでは、これを持ちまして平野家、並びに仙崎家の結婚披露宴を終わります』




 式場のスタッフの綺麗な声に従って、来賓者の僕達はぞろぞろと式場の中庭へと出ていく。
 由依子は、綺麗だった。ほんとうに。
 優しそうな旦那の横で、幸せそうにはにかみながら、僕達を見渡しては涙ぐんでいた。



 それなのに僕は、何とも言えない気持ちを持て余していた。



「ブーケトス行きますよーっ!!独り身のお嬢さんがた、群がれよーっ」



「やかましいわこのリア充!!!」



「悔しかったら早く結婚しろ畑山アイコオオオオ!!」



「名指しすんじゃねえどぐされ女アアアー!!!」




 結婚式に似つかわしくない毒づきあいのあと、由依子と畑山は抱き合ってわんわん泣いていた。
 どんだけだこいつら。というか、由依子は相手のご両親の前でそんなこと言って大丈夫なのか。
 ちなみに隣にいた薫ちゃんはちょう爆笑していた。カオスすぎる。




 ひとしきり騒いだあと、由依子は涙でぐちゃぐちゃになった顔いっぱいに笑いながら、ブーケを投げた。
 それはちゃっかり畑山が受け取って、何故かまたみんな爆笑していた。



「なあ、藤」


「なんだよ」




 
 散々騒がしかった結婚式が終わり、帰ろうとする僕に薫ちゃんが声をかけた。
 薫ちゃんは畑山が受け取ったブーケを肩に、少しだけ僕を怒ったような顔で見ていた。
 その顔を見て、僕の返答も荒っぽくなる。



「お前、ずーっと由依子に甘えたまんまだったな」



「……どこがだよ」



「知らねーと思うなよ。最後くらい、ちゃんと終わらせてやれよ」



 立ち尽くす僕とすれ違いながら、薫ちゃんは言った。
 その後から、畑山が高いヒールの靴で危なげなく駆け寄ってくる。
 薫ちゃんのあとを追いかけていた彼女はふと、俺を見つけると呆れ顔になった。



「藤、なにその顔。結局由依子に全部言わせたの」


「だから何がだよ!てか畑山、いつの間に薫ちゃんと出来てんだよ!」



 畑山にまで薫ちゃんみたいなことを言われてやけっぱちに怒鳴ると、畑山は怯むことなく不機嫌に顔をしかめた。
 キツ目美人のため、迫力は半端ない。



「まだ解ってないの?あんた、由依子に一言でも謝った?」



 どきりとした。何も言わずにきたことだった。
 由依子をせフレみたいな扱いにしていたことも、由依子にただの一度もその過去を謝罪しなかったことも。
 何も周りには言わなかった。かっこ悪すぎて、言えなかった。



 由依子が相談していたのだろうか、と思えば、先回りするように畑山は言った。



「あんたさあ、あたしら四人が何年つるんできたと思ってんの?10年だよ?それで何も気づかないとでも思うわけ?」



 まじミラクル馬鹿、と畑山が言う。



「由依子は、ただの一度もあんたのこと言ったことない。あんたと由依子の態度見てりゃ解んの!なめんなスーパーミラクル馬鹿」



 畑山の、綺麗に巻かれた茶髪が揺れる。
 彼女は鬱陶しげに頬にかかった髪を払って、それからと続けた。




「由依子は、あんたがずっと好きだった。それでも、結婚したのは平野さんが由依子のこと、愛してくれて、由依子も彼を愛してるから」





 だから、この町から出て行くの。




 そう告げると、畑山は別れの言葉もなく僕の隣を通り過ぎていった。
 のろのろと振り返れば、式場の出入口である洋風の門の下で薫ちゃんが待っていて、彼女は早足で彼の元へ向かっていく姿が見えた。
 僕の視線に気付いた薫ちゃんが、軽く手を上げて去っていく。
 僕はただ、その二つの後ろ姿をぼんやりと見送った。



 ふと、4年前の由依子の別れ際の言葉を思い出した。
 何度目かのセックスをした日、確か今頃の季節で。
 由依子は泣きながら笑った。



『ねえ、藤ちゃん。あたし、もうここにはこないね』



 でもね、と由依子は囁いた。
 由依子の後ろ姿は、ひどく切なかったけれど、その時の僕に彼女を引き止める資格はなかった。



『約束、覚えていたなら』



 ただ一言、言い残して彼女は帰った。
 それから一年、久々に四人で集まるまで、由依子からただの一度も連絡はなかったのだ。



 


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