その人が卒業式なんぞに顔を出す性格ではないことは知っている。地上5階、情報センターの窓から黒山の人だかりを見下ろせば、宙に舞う卒業生がちらほらと。
サークルなどに属さないオレには特別送り出す存在もなく、今日もいつものように解放されている情報センターの自習室スタッフとしてアルバイトをしている。
こんな日に利用者などあるものかと思いつつ、もしもに備えること。これだけ学生がいれば、1人や2人くらい何かを思い立つ者がおらんとも限らん。
「お疲れさまですー」
「川北」
「ふいー、人が多くて疲れますねー」
「サークルの方はいいのか」
「はい、一段落しました。飲み会は夜からなのでそれまでここでヒマ潰しでもしようかなーと」
あの人混みに揉まれたらしい川北が、心底疲れた表情をしている。田舎から出て来てそろそろ1年になるが、これだけ人がごった返す場はそうそうなかったらしい。
川北のサークルと言えば石川と美奈もそうだったはずだが、幽霊部員の奴らが……いや、それを抜きにしても石川が人を送るような性格かと言えば。いや、石川クンならわからんな。
外は賑やかだが、建物の中は静寂が包んでいた。壁1枚隔てた中と外で、こうまで空気が変わる物か。ここでは川北がほうじ茶を淹れるごく普通の風景が広がるけれども。
「林原さーん、外から何か聞こえません?」
「胴上げの声が聞こえるな」
「えっと、そうじゃなくて、建物の中です」
「屋内か?」
川北の言葉に、しばし静止し耳をすませる。確かに、そう言われれば屋内の物だと思われる音がする。足音、靴底が床に擦れるキュッキュッというあの音に、1人分ではない声。
しかし、こんな時に情報センターに用事のある学生などいるだろうか。実際、去年の利用者はゼロだった。卒業式の日に開放する必要はどこにあるなどと春山さんと話していたのも懐かしい。
「ほら芹ちゃーん! 行くよー!」
「ふざけんな和泉!」
廊下に響くその声に、嫌な予感しかしない。いや、予感ではなく嵐が起こると確信した。事務所の扉は施錠して、自分の身は自分で守ること。
受付窓からは死角になる机の下に身を潜めた。オレはいないことにしろと川北に指示を出し、何とかやり過ごそうと。面倒なことには関わらないが吉。
「リンくーん、いるー!?」
「川北、このバカ男のことは気にしないでくれ」
「あっ、えーと、春山さん卒業おめでとうございます」
「どーも」
「と言うか春山さんて卒業式は来ないみたいなこと言ってませんでしたっけ」
「無理矢理引き摺られた」
恐らく、春山さんはいつもの苦虫を噛み潰したような顔をしていることだろう。青山さんまでいるのか、いや、そうでなければ春山さんがこんなところにいるはずがない。
「リンはどうした」
「あ、えーと、林原さんは今ちょっと外に」
「出るワケねーよな、リンのクセに。おいリン、いるんだろツラ出せ!」
気持ち、身を潜める壁が揺れた気がした。ポケットに入れていたスマートホンのメール仮面で川北に次の指示を出す。どれだけ脅されても鍵は開けるなと。
事務所のドアノブを捻るも空振りに終わり、あの人の舌打ちが聞こえる。ざまあみろ。そもそも今日で大学を卒業したのだからアンタはもうここの学生でもない。
「川北ァー、鍵開けてくんないかなー」
「スイマセン春山さん、林原さんから鍵は開けるなと言われてて」
「ほほーう」
「バカ川北お前!」
鍵を破られれば、しばし嵐が過ぎるまで。外の胴上げが終わる頃には。
end.
++++
面倒なことには巻き込まれたくないからね! リン様も身を守ろうとするよね! そんな星大の卒業式回。
ミドリは多分バイトじゃなくて本当に暇潰し。なのできっと時給は発生してないんだろうけど今日はヒマだろうからね
青山さんが春山さんを引き摺ってる姿が割とナチュラルなんだけど、卒業式にどうやって引き摺って来たのやら。