「アタシね、子供と台所に立つのが夢だったのよー」
「厳密には少し違いますよね」
「いーのいーの、もう義理の息子みたいなモンだし」
――という件ももう何回繰り返したやら。慧梨夏の実家、とあるマンションの一室にお呼ばれすると、大学に上がった頃からは俺も台所に立つようになった。
慧梨夏のお母さんの千春さんは、現役で料理を仕事にしている人だ。某所レストランで(休みもあるけど)毎日腕を振るっているらしい。その人の夢が、子供と一緒に料理をすること。
「ごっはんー、千春さんのごっはんー」
自分の席に陣取って、まだかまだかと急かすポニーテールこそがこの人の実の娘なのだけど、きっと料理をはじめとした家事の才をすっかりお腹の中に忘れてきたのかもしれない。
絶望的なまでの料理音痴に、千春さんが匙を投げるのも早かった。慧梨夏には2つ年上のお姉さんがいるけど、お姉さんも今では家を出て東都で一人暮らしをしている。子供と料理をするのは夢のまた夢か。
そんなところに現れたのが俺だ。大学に入って家事をやるようになって、料理がある程度出来るようになった。そうなれば、白羽の矢が刺さるのも早かった。今では、遊びに来る度台所に立っている。
「ホント、カズって準備いいよね」
「何が」
「だって、うちにお呼ばれするときさ、エプロン持ってかなきゃーって言って洗濯するじゃん」
「そりゃ、もうお決まりのパターンみたいなモンだし。人ン家上がるのに薄汚れたエプロンでっつーワケにもいかないだろ」
千春さんの助手として台所に立つと、学ぶことはいろいろある。料理の技法というのもそうだけど、何より、慧梨夏が何を喜ぶのかということだ。やっぱり、親だから。それはまだまだ敵わない。
千春さんが仕事で作るのは洋食のことが多いけど、実際に慧梨夏が好きなのは中華系だ。慧梨夏がまだここにいた頃はよくそうしていたとか。今では、家庭でも出来る簡単なレシピを考えるそうだ。
「薬味の量はお好みだけど、これがベースで」
「はい」
「カズ君のおうち、みんな薬味好きなんでしょ?」
「そうですね、特に姉ちゃんが薬味狂なんですけど」
そのレシピは俺の手に渡るのだ。ゆくゆく、慧梨夏に食べさせてやってくれということだろう。そう考えるとこれも花嫁修業……いや、嫁ではないな。まあ、そんなような修行の一環だ。
「お姉ちゃんにも慧梨夏がお世話になって」
「仲はいいんで俺もほっとしてます。ワールドカップの時なんかは姉ちゃんがもっと慧梨夏に構ってやれって叱りに来たくらいで」
「えっ、美弥子サンそんなこと言ってたの」
「ホント、小一時間説教されてたまったモンじゃなかった」
すると千春さんはくすくすと笑って、この分だと割とすぐに離乳食メニューを考えといた方がいいかもしれない、と決意を新たにするのだ。って言うか離乳食メニューって。
「大丈夫、カズ君にも出来るレベルに――ううん、その頃には慧梨夏でも出来るレベルにしとくから」
「えっ! 千春さんうちのレベルに合わせてくれるの!?」
「何言ってんの。アンタがカズ君のレベルに近付けるように頑張りなさい。ねえカズ君、慧梨夏が作ったご飯、食べてみたいよね?」
「そうですねー、食べれるなら」
「ほら」
慧梨夏の料理に関しては、何回かお腹を壊すことを覚悟しなきゃいけないけど。アンタもそろそろ花嫁修業を視野に入れなさい、と母から娘に活が入ったところで今日の学習も一段落。
end.
++++
たまに慧梨夏のママンもお話に出てくるのだけど、いち氏が遊びに来るとやっぱりちょっとはうきうきするらしい。賑やかで楽しいとか。
と言うか慧梨夏の姉ちゃん東都で一人暮らしとか夏の戦争で宿にするフラグビシバシ立ってるけどちょっとその辺どーなんすかねw
慧梨夏はその気になれば割と何でも出来るタイプなんだけど、果たして料理はいかほどか……いち氏、割とマジメに胃腸薬準備しといたらいいかもよ