「うわー……凄いです…!」
「まあ、これはあくまで理論値で、絶対その通りにいくかって言ったら行かない確率の方が高いとだけは言っておくから」
夏合宿の班打ち合わせの真っ最中、僕とペアを組むミキサーの女の子が珍しく高揚した表情をしている。その手には、野坂の書いたキューシート。1秒単位で書かれた番組進行表だ。
ミキサーとしての野坂のウリは、やはり秒単位で計算される番組計画だろう。そして、場合によってはそれを寸分の狂いもなく実行してしまうこと。それだけ曲やフェードなどでの調整が上手いとも言えるね。
ただ、それはあくまで本人の言うように理論値。こうあればいいなという値に過ぎない。アナウンサーのトーク技量にも左右される数字であるということは先述しておかなければならない。
「キューシートは大体10秒単位で書くことが多いって教わってきたので、これは凄いです」
「まあ、うん、大体の人はそうやってるから、別に絶対こうしろってワケじゃ」
「これは私の理想のキューシートです。野坂先輩、もう少し詳しく見せてもらっていいですか? 他の番組のシートもあればそれも見せてもらいたいんですけど」
これにはさすがの野坂も少し困っているようだ。僕はと言えば、それを見て笑みを浮かべずにはいられないのだけど。どうしてって、そのキューシートは菜月さんへの信頼を大前提にして書かれた物だからね。
アナウンサーとしての菜月さんの技量と言えば、トークタイムを持ち時間のプラスマイナス5秒以内に納めること。ピントークに限りという条件こそ付くものの、ミキサーにとってはありがたい能力だ。
菜月さんと野坂が組んでいた昼放送では互いのいいところがばっちりと噛み合った1秒単位の番組を作ることが出来ていたけど、果たして夏合宿でもそのやり方が通用するかな?
――と思っていたら、ここに秒単位のキューシートを褒め称える1年生が現れるとは……しかも、僕のペアの相手だというのが厄介なところで。班の方針になったらどうする。僕はお世辞にも褒められたアナウンサーじゃないからね。
「アオ、キューシートはあくまで目安で」
「はい、わかってます」
「ほら、例えば同じMMP昼放送のキューシートでも書く人が違えば」
「何ですかこの線のみのシートは。このミキサーはやる気があるんですか?」
おっと、大まかなキューシートを随分とばっさり斬り捨ててくれたね。いやあ、彼女が向島にいたら大変なラブ&ピース社会になっているところだったよ。
「とまあ、可視化されたのはざっくりした部分だけど、これは逆に咄嗟の対応にすべてを懸けているとも言えないか?」
「なるほど。すべてを先に固めてしまうと計画が狂った時に臨機応変に出来ないということですね」
「アナウンサーさんのネタ帳や台本にしても同じことが言えるんだけど。俺の秒単位の計画はアナウンサーさんへの信頼が第一だから。何か、アクシデントが起きないとも限らないし」
そういう可能性があるということは心の片隅に置いておきます、と彼女はひとまず落ち着いたようだ。それでも線だけで何も書いていないシートには納得がいかないらしい。
「でも、やっぱりこれはさすがに」
「アオ、ちょっと」
「はい」
「圭斗先輩の相手をするならいつ振られるかわからない逆キューへの準備をして、1秒単位で番組をやろうとは思わない方がいい。以上」
「……なるほど。雑なキューシートの謎が解けました」
「ん。野坂、代弁に感謝するよ」
end.
++++
まさかノサカの秒単位のキューシートが理解され、賛同を得る日が来ようとは! 圭斗さん的には悲劇ともとれるかもしれない。
でも、それ蒼希であればわからなくもないのかもしれない。自分のペースを頑なに乱そうとはしない鋼のドジっ子ですし 何かやらかす恐れがあるのも想定内!
ちなみに菜月さん、ダブルトークだとタテの進行を阻害せんばかりの見事なヨコっぷりを見せてくれるので時間の概念が吹っ飛ぶ模様。