時々、本当に時々だけれど。
このひとは豹変する、と思う。
「魔法使いさん、」
「…何?」
「私も見ていいですか?」
彼の膝に広げられた分厚い本を指差して、興味の矛先が向いたことを示してみる。
「…いいよ…別に、楽しくないと思うけど…」
「ありがとうございます」
とん、と。
彼の隣に腰を下ろして、さりげなくその肩に凭れてみた。
予想通り、彼は何も言わない。
何も言わずに、ただ静かに、ページを捲りながら私の重みを受け止めてくれるのだ。
優しい、ひと。
いつだってそう。
口下手で不器用で優しくて静かで。
いつだって、まるで木製の人形のような、かくかくした優しさが心地良い。傍にいたい。
もうひとつだけ、と決めて、私は我が侭をする。
ページを捲る彼の袖を、そっと掴んだ。
ゆるして、くださいね。
「…ヒカリ?」
「…て…」
「…え?」
「構って、ほしいだけ…です」
私は下を向いていたから、彼の顔は解らない。
けれど本を閉じたのが、勝利の合図。今日も私に負けてくれた、貴方。
優しい、ひと。
「…ん、ごめん」
「別に…私の我が侭ですから、」
唐突に申し訳なくなって、謝るの。今日も。
でも。
「…今さら、だね」
くす。小さな笑い声に、私は彼の境目を見る。
らしくないほど自然に頬を滑り降りた手がやたらと甘ったるくて、私はそれに逆らうことなく目を閉じて、顔を上げた。
時々、本当に時々だけれど。
このひとは豹変する、と思う。
「…ねぇ、ヒカリ」
「?」
「…本に妬いた、とか…?」
「―――っ!!」
くす、くす。口づけた一瞬ですべてを見抜くのは、ずるい。
火をつけられたみたいに、顔が熱くなる。
私はこういう時、いつも顔を上げられなくて、彼の目を見ることは出来ないのだけれど。
けれど、視界の端で弧を描く唇を見て思うのだ。
今ここにいるのは、さっきまでの不揃いな優しさをくれるひとじゃなくて。
もっと果てしない感情をくれる、ありきたりな、王子さま。
窓辺に刺さった月に、そんな似非ロマンチックなことを、想った。
くるみ割り人形
(君の我が侭なんて、俺の欲望に比べたら可愛すぎて)
2008-12-31 04:31
あいつは穏やかで、優しい人間だから。
きっとあの子によく似合うんだろう。
暖かさを持たない僕と違って。
あの人は冷静で、とても的確な人ですから。
きっと彼女も信用や憧れを抱くのでしょう。
世間知らずな私と違って。
ただ一人の女の子の幸せを考えることが、これほど難しいことだったなんて。
あいつに、あの人に譲るほうが彼女は幸福になる?
そう思いながらも、悩めるふりをしながら簡単に諦めたり出来ない、この我が儘を。
本気、の一言で片付けてみたら、それは浅はかなのだろうか。
「…あ」
「…おや、こんにちは」
灯台の近くを散歩道にするのが、好きだ。
けれどもそれはどうやら、僕だけでは無かったらしく。
「タオ。仕事は終わり?」
「休憩ですよ」
あなただって、もうすぐ店が開くのでは。
いいんだよ、別に、間に合えば。
そんな会話を交わす、漁協の青年は恋敵。
半年前、この大陸に越してきた一人の女の子に、僕らは恋をした。
始めはもちろん知らなかった。お互いに。
けれどいくらかの時間が経つうちに、気付いた。
あの子を好きなのは、自分だけじゃないという、こと。
「…仕事の調子はどう、」
「それなりですよ、そちらは?」
「同じだよ」
同じだよ。その言葉は、つんと胸に刺さった。自分で言ったのに。
多分、笑顔を崩さないこいつの胸にも。同じ棘を刺した。
同じだ、僕らは。嫌になるほど、よく似ていると他人事のように思う。
もちろん性格とか性格とか性格とか、真逆に近いのだけれど。
それでも同じ場所に来て、同じ年頃らしい言葉を交わして、同じ向きに影を伸ばして。
そうして、同じ人を好きになった今も、こうして同じ場所に来て。
「…あなたのほうが」
「…君のほうが」
きっと彼女を幸せにするのでしょうね。
きっとあの子を幸せにするんだろうね。
うつむきがちに呟いた嫌味までもが、こいつの気遣いと一緒か。
いっそ奇跡的だ。
「ですが、」
「?」
「そうも言っていられませんよ、ね?」
風の抜ける音だけが、鮮やかだったんだ。今日も。
「…当たり前、でしょ」
手強いですね、と。こんな時でも笑って。
それはこっちの台詞、と言いたいけど、何だか挑発された気がして悔しいから、やめた。
誰が乗るか。
(追記に続きます→)
2008-12-31 02:27
発注の日程くらいしかものを書き込まないカレンダーの、約二週間先に。
彼にしては珍しく、青で丸をつけた日がある。
祝い事、ではない。
それなら多分赤が似合うだろうという程度の感覚なら、自分だって充分に持っている。
青なのは、祝いではなく別れだから、だ。
青い丸は、街を出る証。
ロイドは二週間後に、町長にのみ別れを告げてこの街を出る予定だ。
誰にも言うつもりはない。
いつのまにか居て、ある日、居なくなって。
行商人とはそういうものだ、と俺は思う。
そう、例え。
どれほど親しく接してくれた街であろうと。
「…」
全く、自分も辛気臭くなったものだ。
いつまでもカレンダーを見つめていては時間の無駄だ、と。
気分を変えて今日の作業に取りかかろうとした指先を、蒼い花が掠めた。
甘い匂いがふわりと広がる、それは、自分の今までの日々にはなかったもの。
この街に来て暫く経った頃、引っ越してきた変わり者が、くれた。
飾ってみるだけでも癒されるから、と半ば強引にこれを押し付けた少女を、思い出すなというほうが無理な話だ。
「…何を迷っているんだろうな…」
くしゃり、枯れかけの花を握りつぶしてしまえば、断ち切れると思ったのに。
その下にある蕾を見つけてしまったから、どうにも出来ないまま。
何も掴まない掌に、甘ったるい匂いだけが、消えなくて。
旅をする。街から街へ、誰にも告げることはなく。
いつのまにか居て、気がついたら居なくなって。
それすらも、曖昧なほどに跡を残さず。
それが俺の自分で選んだ“行商人”というスタイルであったし、俺はそれが気に入っていたはずだ。
それで満たされていた、今までは。
なのに。
遠くで鶏の声がした。
風車を回す音がした。
脳裏に浮かぶ笑顔だけが、やたらと重くて、出て行けやしない。
ああ、本当に。何を迷っているのだろう。
何を、迷えば良いのだろう。
「…もしもし、ああすまない、俺だが」
カレンダーの横にある電話を取って、いつもの発注先に掛けた。
視界の隅で揺れる蒼が、心地良い。
「予定が変わったんだ。次の商品、ミネラルタウンではなくて…こっちに届けてもらえないか?…ああ、助かる。急で済まないな…」
受話器の向こうで了承の返事が聞こえると同時に、ロイドはペンを取って。
たった二本の線で、青い囲みを消した。
(追記に続きます→)
2008-12-28 03:35
!注意!
このお話は悲恋ではありません。
が。
何かとても悲しい出来事があったことを前提にした、よくわからない魔ヒカです。
OKな方は下にスクロールお願いしますm(__)m
空から滲む億万の水はただの気怠さでしかないのに、目の前で落ちたひとつの滴は、静かな胸の奥を重く掻き崩した。
空から滲む億万の水はただの光景でしかないのに、目の前で落ちたひとつの滴は、確かな意味が在るのだと感じた。
ひとつ、ひとつ。またひとつ。
もはや“ひとつ”と誤魔化すには無茶な数が、ぼたぼたと。
小さな秘密を隠したつもりの彼女の腕を伝って、地面を濡らした。
空から滲む億万の水はただの気怠さでしかないのに、目の前で落ちたひとつの滴を、俺はそのまま見過ごせずに。
「…ヒカ、リ」
呼び掛けた声に、彼女は振り返らない。
振り返らないまま、何も言わずに、雨の一部のように。
ぽたり、消えたのは、雨だと云うなら俺は信じよう。
ただ。
「…ねぇ、」
「…」
「…そろそろ…傘でも貸すよ」
誰も僕らを視ないでください。
今きっと、とても悲しい顔をしているから。
誰も僕らに触れないでください。
今きっと、それはとても不躾なナイフのように感じるから。
ばさり、俺が翳せるものは布くらいしかなくて、すぐに雨の重さで垂れて君にのし掛かる。
けれども君は秘密を隠した腕を退けて、それを掴んで。
弱くて強い君は、俺に一度だけありがとうと泣いた。
誰も僕らを視ないでください
(今少しの切なさが癒えるまで、世界を閉ざさせて)
2008-12-27 03:20
世界はこういう曖昧な恋を、俗に“友達以上恋人未満”なんて云うけれど。
そんな生易しい関係なら、きっとアタシはもっと気楽なのに。
これは多分、そういうものじゃなくて。
ただの、長い長い片想い、だから。
「……」
カタカタと今日も変わらずミシンを動かす横顔が、少しだけ緊張している。
解ってるわよ、アタシがいるとまた何か言われるんじゃないかって、集中出来ないんでしょう。
バカな子。
「コトミ」
「っ!」
声を掛けてみれば、案の定びくっと肩が揺れて、針がずれた。
「あ…!」
慌ててもたもたとミシンを止め、少し気落ちしながら絡んだ糸を解く姿に。
何だかそれはそれで、申し訳ない気分になった。いや、名前を呼んだだけで怯える彼女も、結構酷いけれど。
「…トロいわねぇ」
「えっ」
「ほら、貸しなさいヨ」
小さな手から布をひったくって、がんじがらめの結び目を緩めていく。
心のようだ、なんて思考が頭の中で沸いては消えて、我ながら随分女々しいことだ、と。
ぱらり、ひとつの結び目が解けた。
こんなふうに、簡単に無くしてしまえたら良いのに。
いつからか出来上がった、彼女との見えない境界線。
その両端を結ぶ糸は何だか異常に硬いみたいで、ゆるり、時に行動しようとする度、余計に動けなくなる。
そうしてまたひとつ、彼女は遠くなっていくのだ。
思えば男女の境界を意識し始めた頃から、それまでに積み上げた幼い友情は、見事に消えていったっけ。
もっとも、その頃には既に、彼女を一人の女の子として大事に思っていたけれど。
まぁ、そこで素直にならなかった自分が悪いのだろう。
後悔、なんて。
静かな空間の中で、結び目がまたひとつ、ぱらりと。
視線を上げれば蒼い眸は、慣れた不自然さでこちらから逸れた。
後悔、なんて。
どうしてもう少し早く、開き始めた隙間を埋めようとしなかった?
答えは簡単、ただの意地。
多分、難しい恋をするにはまだ少し、幼かったのだ。自分が。
幼いままに恋をしたのだ、たったひとりを、十年想った。
馬鹿みたい、ね。
「…出来たわヨ、ほら」
「あ、ありがとう…ございました…っ」
「…なんで敬語なのヨ…」
「えっ、あ、えと…」
(追記に続きます→)
2008-12-26 15:31