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迷宮30cm ※チハヒカ


それは手のひらで掴めるし声を届けられるし、この目で確かめられる距離の、謎。



「チハヤさん」

薄い煙のような白さを纏った日差しが降りてきて、足元を真っ直ぐに横切る。跨ぐようにそれを越えて歩く午前の道はまだ寒く、何、と答えれば同じように白い吐息がのろのろと浮かんだ。
斜め前を歩いていた無花果色が、くるり、風のように振り返る。

「どこに行きましょうか?」

幸せを水に溶いたら、きっとこんな感じなのだろうか。そんなことを思わせるような笑顔で首を傾げた彼女は、こちらを向いたせいで速度の落ちた足をふらつかせながら歩き続ける。転ぶよ、と言えば大した間もなく大丈夫です、と返した能天気な声に、まったく相変わらずだなんて。
そう思えるくらいには嵩を増した彼女との時間や記憶。積み重ねられたそれがぱらりと、砂のように落ちて脳を煙らせた。

「どこでもいいよ」

ふわふわと思考を侵食する煙。砂のようだと思ったのはきっとあながち間違いではなくて、正しくは砂糖のようだ。一字の間違い、たったそれだけ。
けれど次々と落ちては舞い上がるそれは、真っ白い粉砂糖を思わせる。噎せて噎せて、甘いそれを吐き出せずに飲み込んだ。

「そんなこと言っても、チハヤさんせっかくのお休みなんですから」
「だから出かけたいって言ったの、君でしょ?行きたいところがあるんじゃないの」
「そういうわけでは…」
「え、違った?」
「お、お出かけするなら付き添いたいって意味だったんですけど」
「…逆だと思った」

ふらふら、相変わらず安定しない足取りで進む彼女が苦笑いする。僕も同じような気分で小さくため息をついた。お互い行き先が決まっていると思い込んで、ただ歩いていたらしい。どうりで着かないわけだ。

「どうしましょうね」

口調だけは困ったように、能天気な声が思考を溶かす。予定がないなら帰ろう。そう言いかけた唇を何となく閉じて、そうだねと笑った。
はにかむように返される笑みが、煙の中で溶けたつまらない思考を見えなくさせる。


それは手のひらで掴めるし声を届けられるし、この目で確かめられる距離の、謎。
繋いだ指先をくいと引いて隣に立ちながら、僕は世界で唯一僕を迷わせる彼女が何だか可笑しくて、それで。




迷宮30cm

(出口ならいらないから、君が此処にいて)
▼追記

心音 ※魔法魔女


過ぎる時間に境目なんていらないし、それを数えるなんてことも遠い昔に止めてしまった。



「眠い」

吐き捨てた言葉の大半は、嘘だったと言っても過言ではない。正確に言うなら怠い。一人の時には抱かない感覚。

「…眠ったら?」
「別にいいわ、なんか気分じゃなくなった」
「…相変わらず」
「…相変わらず、何よ?」
「……この本は面白い」
「…あんた、誤魔化すの下手ね」

争いとつけるにはあまりにも緩い言い合いをつらつらと。まるで呼吸のように交わしながら、隣に座っていた彼の肩口に頭を押し付ける。
数秒の間があってから、黙って伸びてきた手が帽子を外した。そんな機転、利かなければ良かったのに。思いっきり視界を邪魔してやるつもりが、振り出しに戻った。本を片手に広げたまま、髪を撫でられるのが嫌いだ。許容されている気持ちになる、なんて気分の悪い。

「…何?」
「別に?あんたが眠ればいいって言ったんでしょ」

腹いせにぐいと体重をかけてやった。ずるずると滑り落ちるように力を抜けば、さすがにそのまま床へつくまで放ってはおかれないことなら、まだ新しい記憶が知っている。それでも傾いていく視界が嫌で、密かにソファーへ爪を立てた。諦めたように支える腕の、多分そこにあるのだろうという曖昧な体温と確実な感触がそれを緩めさせる。


「…何、してるの」
「何の話」
「…別にいいけど」

ばらばらと落ちてくる髪が鬱陶しい。何をしているんだと訊くくらいなら、始めから邪魔だと押し返すくらいしてもらいたいものだ。引っ込みのつかなくなった体勢でただ凭れるように受け止められながら、いっそ本当に眠ってしまったほうがいいような気がしてきた。ぱたりと瞼を下ろして、そっとため息をつく。

(馬鹿じゃないの)

許容されている気持ちになる、なんて気分の悪い。
けれどもそう思って苛々と髪を一束掻き上げた時、規則的な音を聞いた。

いつの間にか途絶えたページを捲る音に代わって鼓膜を満たす鼓動。記憶の隅に沈む昔に比べて落ち着きを得たように思うそれが憎らしくないと言ったら嘘になるが、これだけは素直に好きと言える。
ぼんやりと滲む体温を鮮明にさせる、それ。閉じていた瞼をかすかに開ける。



(追記に続きます→)
▼追記

融点ジグソー ※タオヒカ


忘れ去られたいつかの言葉を、パズルのように埋めていく感覚に似ている。



真っ白な灯台を囲うように、海鳥が数羽、鳴きながら飛んでいる。その影を辿って見上げた十六時前の空は、夕暮れ一歩前の灰色がかった色をしていた。

「……」

吊り橋の片側でそれをぼんやりと見つめながら、タオは釣竿を持たない両手で細い手摺を掴んだ。待ち人はまだ来ない。
若干一方的に取りつけた約束の時間は、そろそろなのだけれど。

忘れられてしまったわけではないと思いたい。吊り橋へと一歩足を掛ければ、ふいに強く感じる潮風が冷たかった。
待ち合わせの場所を少しずつ離れて、橋を進む自分に苦笑が漏れる。ほんの数分立ち尽くして待つことさえ落ち着かなくて、たかが数歩分の距離を縮めてみた、なんて。
あまりに無意味だ。だけれど、まるで誕生日の朝を待ちきれない子供のように、待っている。今この時間だけが早足で進めばいいのにと、そんな気分だ。

ずいぶん変わったものだと思う。昔の、というにはまだ新しい記憶だけれど、前の自分ならただぼんやりと、波の音でも聴いて待っていられたに違いない。こんなやり場のない、それでいて捨てきれない焦燥感なんてひと欠片も持たなかっただろう。

いつの間に変わってしまったのか、それすら分からないなんて可笑しな話だ。
そんなことを思いながら、吊り橋をまた一歩進んだ時。


「タオさん!」


待ちかねた声が、どこかから自分を呼んだ。顔を上げてすぐ、漁協の陰から駆けてきた彼女が目に留まる。
小さく手を振れば、気が緩んだような笑みが滲んだ。つられて微笑むふりで微かに下を向いたのは、あれだけ待ち望んだ誕生日の朝が少し気恥ずかしい子供の記憶と一緒。

「お待たせしてごめんなさい、農場を回ったら思ったより時間がかかっちゃって」
「いいえ、急に呼び出してすみません。忙しかったでしょうか?」
「もう大丈夫です、終わらせてきましたから」

吊り橋の中程で向き合った彼女は、潮風に巻き上げられた髪を押さえて微笑む。セピアの写真のようなその光景に、夕方が訪れたことを知った。
ぎしりと揺れた橋に、どちらからともなく灯台の下へ歩き出す。十六時の鐘が消えていく。約束の場所へ、二人で並んだ。


「あの…タオさん」
「はい」
「お話って何ですか?」


細い糸が張り詰めたように、重なった視線。水滴を溢したような滲みが胸の奥に広がっていく。



(追記に続きます→)
▼追記

パステルピンク狂奏曲 ※カイ←ポプリ・切


甘えたがりの純情擬き、一体何を望んでいるの。



ショートケーキに飾る苺は酸っぱいくらいがちょうどいい、なんて、誰が言い出したのだろう。

「…もう」

全くもって理解できない。口に残った酸っぱさをドレスのような生クリームで消しながら、柔らかなスポンジを削った。
私がパティシエなら、絶対に砂糖漬けのように甘い苺を使うのに。

そんなことを思いながらも、ついつい手が伸びるのは大きな苺の載ったほう、なんて。矛盾している。
唇についた最後のクリームは、わずかに苺の味がした。それが嬉しいのは、やっぱり酸っぱかろうが何だろうが、この味が好きだから。
それに。

「どう?」
「すっごく美味しい、ありがとう」

これを作った人が、好きだから。とてもとても、好きだから。
そりゃ良かった、と笑った彼の頬にかかる日差しが眩しくて、私は思わず俯く。
食べ終わってしまうのが惜しくて、半分残したケーキ。食べたくないわけじゃないの、と口にする代わりに、甘いそれを一口頬張った。


「ねえ、カイ」
「ん?」
「訊いてもいい?」
「ああ、何?」

こくり、冷たい水を一口流し込む。嬉しくて仕方がなかった。彼が私に、こんな。

「どうして、ケーキなんて作ったの?」

こんな、らしくないと言ったら失礼だけれど、彼には可愛すぎるようなお菓子を作ってくれたこと。目を凝らしてもメニューにないそれは、もしかしたらすごく特別なんじゃない、なんて。
思うのは強引だろうか。だけど想わずにはいられない。
けれど。


「うーん…何ていうかさ」
「?」
「俺、ポプリが楽しそうにしてるの見るの、好きなんだ」
「えっ?」

耳を疑いたくなるような言葉に、思わず顔を上げて。



(追記に続きます→)
▼追記

白昼、時々夢


いつからだろう、遠く遠く。もう忘れてしまったけれど。



灰色の階段は、昨日の雨で所々色を変えていた。こつ、と小さな音を立ててそれを一段下りながら、吹き抜けた風の冷たさに思わず指を丸める。

(…眩しい)

寒さに空を見上げれば、けれどもそこには真っ青な天井が広がっていた。目に沁みた光を追い出すように、そっとため息をつく。
不似合いな明るさと白い息が、混ざりあって無くなった。


「……」

微かに温かい手摺を握って、向こうの屋根の上で回る風見鶏を眺めて。そうして潮風に押し流されるように小さくなる船を見送りながら、ふと思う。
いつから、こうして一人午前の町を眺めるようになったのだろう。

はっきりとは思い出せない。けれどきっとそれは案外最近のことで、そのわりに見慣れている気がするのは、この時間を楽しんでいる自分がいるからだ。
星のない空を見上げて、人知れず笑みが零れた。目に沁みる日差しを愛しく感じたのは、多分錯覚ではない。だって。


「またね、ヒカリさん」
「はい」

カラン、と真下に近い位置で聞こえたベル。次いで、仕立て屋の声と彼女の声。
軋んで鳴いた風見鶏を視界の隅へやって、無意識に下を見た。建物の影から日向へ、無花果色の髪が揺れるように歩き出す。


「ヒカリ」
「?」
「…こっち」

間違いのない姿が嬉しくて、考えるより先に声をかけた。顔を上げた彼女は今日もすぐに笑顔になって、魔法使いさん、と両手を振ってくれるから。
こちらへ駆け出した横顔。掠れた汽笛を鳴らす船に背を向けて、俺も階段を下る。


いつからだろう、遠く遠く。もう忘れてしまったけれど。
君が好きだと言う眩しさの中で、何も知らないような顔で君を待つ時、遠い昔に夢を見たくて眠った日々のことを思い出す。そんな気がする。
曖昧なそれが、とても大切だったこと。それは形をもたないし甘いばかりでもないけれど、確かに綺麗だと思えた。

そんな日々の楽しさに、よく似た淡さを思い出す。
突き詰めて考えれば笑いたくなるようなその感情の名前は、きっと多分、何なのだろう。


なんて。解けすぎたなぞなぞを誤魔化すように、俺はまた足を早めた。
曲がり角の日溜まりでいつものように彼女が微笑むまで、あと何歩。




白昼、時々夢

(微睡む心は何処へ行く)

▼追記
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