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笑って、僕だけに


意味もなく見上げた空は、これまたとりとめのない色をして雲を走らせていた。
町へ向かって歩いていた足は、空から視線を外したことでまたいつもの速さに戻る。が。


(……あ、)


ふと海岸で揺れた人影に、チハヤは再び足を止めた。
見慣れた色の髪を目印に、背を向けたその人へと近づいていく。


「ヒカリ」
「えっ?あ、チハヤさん!」

声を掛ければ、少し驚いたような顔をして。
けれどもすぐに当たり前のように笑顔を浮かべる。


いつからだろう。この瞬間を特別に思うようになったのは。
ありきたりな挨拶を交わしながら、はじまりを考えてみたけれどよく解らなかった。


「今からお仕事ですか?」
「うん。ヒカリはもう帰り?」
「はい」
「そっか。…調子はどう?」
「毎日楽しいです」

くるくる。変わる表情を今は僕だけが見ているのだと思ったら、何だか。
簡単に手放すのは惜しくなって、役場の大時計を気にしながら意味のない会話を続けた。
もうすぐ5時になってしまう。

酒場の人たちを待たせるのは良くない。そう思えば思うほど時間は早く進んだ。

かち、と止まることのない、聞こえるはずもない秒針の音まで聞こえてしまいそうな、感覚。


「チハヤさん?」
「っ!」
「どうかしたんですか?」

名前を呼ばれて我に返って、後悔。
ぼんやりしていた。
それと同時に未だ頭の中で鳴り続ける秒針の音が、よく解らない焦燥感、のようなものを不意に掻き立てる。

時間がない。仕事までの?それとも。


「ヒカリは、さ…」
「はい?」

「好きな奴とか、いるの?」


それともヒカリが、この笑顔が誰かに取られてしまうまで、の?


「え、ええっ!?」
「…」
「…いません…けど…?」


我ながら唐突なことを訊いたものだと思う。けれどもそんなこと以上に、突然ですね、と照れ隠しのように苦笑いしたヒカリの、小さな声で呟かれた言葉だけがはっきりと。
眸に刺さる夕焼けすらも忘れさせるほどに綺麗に響いて、気がついたら。

気がついたら、抱きしめていた。




(追記に続きます→)

▼追記

水宙カテドラル ※タオヒカ


空と海の境を繋ぐ線は、ゆるく弧を描いていた。


「風が気持ちいいですね〜」
「ええ」

春に近づいた風が潮の香りをのせて、無花果色の髪を揺らす程度に吹いた。
タオはそれをぼんやりと見つめて、白い砂の上に腰を下ろす。

真昼の陽射しを吸い込んだ砂地は、温かかった。
隣のヒカリはそれを見て、倣うように自分も傍に座る。靴の先が濡れるのは、それほど気にならない。


「何だかもう春みたいですね」
「そうですねぇ」
「あ、お魚っ」

小指の先くらいしかない小さな魚が、足元を駆け抜けるように游いでいった。
あまりに楽しそうに笑う恋人につられて、思わず笑いが溢れる。
大した理由もないのだけれど撫でた髪は、柔らかかった。
アイボリーのマフラーの先が、水に浸かりそうで浸からない。


微睡むように寄せては返す青い海の、波打ち際の透明な波がとても好きだ。
短い会話を繰り返しながら、砂に埋もれた貝殻を拾って、また言葉を交わした。


ゆらゆら、陽射しを弾いた波が硝子のように揺れている。
思えば約一年前の春に、ヒカリが此処に越してきてから。

毎日のようにこうして、他愛もない時間を過ごした。

その中で越えてきた、春から夏に変わる片想い、夏から秋に変わった両想い。
そうしてどちらからともなく想いを打ち明けあった冬。その季節すらもうすぐ終わって、彼女と出会って二度めの春がもう近づいているなんて。


「考えごとですか?」
「ええ、私にしてはずいぶんと時間の早く流れた一年だったと思いまして」
「?」
「素敵な春を迎えられそうだと、言ったのですよ」


ふわり、繋いだままの指を、満ちてきた波が覆い尽くして、浅い水に沈めた。
彼女は首を傾げたけれど、別に悪い意味ではないことは伝わったのか、にこりと笑う。


空と海の境を繋ぐ線は、今日もゆるく弧を描いていた。
変わらないもの、は少ないだけで、このせかいには充分に存在していると思う。

もうすぐ迎える暖かな季節を、また同じように迎えて越えて。
当たり前の如くそれを約束するように繋いだ手を、浸した水は相も変わらず、きらきらと透き通っていた。




水宙カテドラル

(それは芽生えたひとつの悠久)
▼追記

ワンダーワールド・ガール


ふわふわ、漂っただけの会話を捕まえてみたくて、手を伸ばした。



「チハヤさん、私ひよこに埋もれてみたいです」
「……」

目の前でキラキラと語られた果てしなく意味のない願望に、目眩を起こしそうになった。
ヒカリがどういう子なのかは大体理解したつもりでいたのだけど、まだ耐性はついていないらしい。
僕はため息をひとつして、マグカップを手に取る。

「…なんで?」
「黄色くてふわふわでぴよぴよで可愛いからです!」
「うんうん解ったわかった」

適当に聞き流したくても、なんとも耳に残る。なんだよ、ぴよぴよって。ふわふわまででいいんじゃないの。

マグカップをもうひとつ出してきて、ハーブティーを注いだ。
頼むから人の家で、朝からヒヨコの魅力を力説しないでほしい。なんて呆れながら、マグカップをひとつヒカリに押しつける。

ふわふわ、黄色い小鳥に埋もれる願望を語ったのと同じ声が、ありがとうございます、と笑い混じりに言った。


「それでねチハヤさん、昨日は羊とお昼寝してみたんです」

ハーブティーを飲み込んだ一瞬で、くるり、変わった話。
今度は羊か。本当に、どうしようもなくキラキラ、目眩がする。


「…楽しかったかい」
「はい!」


呆れながらも僕は、相槌を打ってみたり。
そうすればこの果てしなく他愛ない会話が少しだけ、長引くことを知っていながら、続きを求めた。


ふわふわ、漂っただけの会話を捕まえてみたくて、伸ばした手を。
すり抜けるように、握り返すように、ただ曖昧に傍にある君の声。


近頃それが少しだけ心地いい、なんていう摩訶不思議。
僕は空になったマグカップに二杯めのハーブティーを注いで、今を引き延ばした。




ワンダーワールド・ガール

(彼女以上に難解なオトギバナシを僕は知らない)


▼追記

慟哭


かくれんぼで最後まで見つけてもらえない時だとか、そうしてそのうち木の陰で独りきりになってしまった時、だとか。
寂しい、と思うのは何故だろう。



「チハヤさんって、」
「?」
「最後に泣いたのはいつですか?」

近頃アルモニカによく足を運んでいるヒカリは、カクテルをひとつ傾けて唐突に訊いてきた。

「…なんで?」
「んー…大して意味はないんですけど」

ほらチハヤさんって、あんまり感情的にならないように見えたので。泣いたりするのかなって気になりました。

ふわり、そう口にしたヒカリから、林檎の匂いがする。手を止めてしまったことに気づいて、僕はフライパンの中の魚をひっくり返した。


「最後ねぇ…覚えてないや」
「そうですか」


ぷつり。途切れた会話。
糸を切ったのは僕なのに、寂しい、と思うのは何故だろう。

瞼を閉じても林檎の匂いが、した。


「…そう言えば、話は変わるんですけど」


ふ、と耳を叩いた君の声。
また始まった会話。
途切れた糸を拾って、違う色を繋いだ、器用な君の手。

例えばかくれんぼで最後まで見つけてもらえなかった時に、そうしてそのうち木の陰で独りきりになってしまった時に。
もういいよ、と逆に呼ぶやさしい子供の声。みたい。


他愛ない話を始めたヒカリに料理を出しながら、僕は思った。

最後に泣いたのはいつだったっけ。
近頃笑った記憶ばかりが頭にあるから、思い出せない、な。
君のお陰で。




慟哭


(林檎の木の下で置き去りの子供はもういない)



▼追記

花に嵐


当たり前のように僕に笑いかける君が、大嫌いだ。



「チハヤー」
「…」
「聞こえてるくせにー」

ぐい、とエプロンを引っ張った手を、振り払う気力さえ起きない。
しつこく僕を呼んだ声に敗けて振り返ると、やっとこっち向いた、と見慣れた笑顔が目に入る。

「…何の用」
「ん?特に用はないんだけどさ、」
「…」
「チハヤに会いに…なんちゃって」

へへ、と彼女の溢した笑い声が、妙にはっきりと耳に残って。
苛ついた。エプロンを握る手は、まだ離されない。


どうしたのチハヤ、と、同じ声が言う。
煩くてうるさくて、読んでいたレシピを適当に畳んだ。
あのね、と、どうでもいい話が耳に入る。

煩いな。
一人で喋って勝手に笑って、それなら別に僕じゃなくてもいいじゃないか。
僕じゃなくて、も?


(…あれ?)

一瞬自分の考えが揺らいだ気がした、けれど。僕はそれに気づかないふりをした。
有り得ない。だって相手はただの煩くてしょうがない奴なんだから。

有り得ない、よ。


「それでねチハヤっ、」
「…煩いよ」
「へ?」
「うるさいよ、君」

黙って聞いてやるなんて御免だ。
そんなどうでもいい話。
たかだか町の日常くらい、何が面白い?

逆に何が面白くない?
僕はどうして、こんなただ聞き流せばいいだけの話に、苛々して。


まぁ、いいけど。
面と向かって煩いと言われたことに驚いたのか、珍しく静かになった君の。
オレンジのシャツの襟を掴んで、思いっきり引き寄せた。

驚きに見開かれる目を、ぶれてよく見えないくらいの距離で覗き込む。


「…嫌いなんだよね。君みたいな、さ」


勝手に入り込んできて好きなだけ掻き回す奴って、大嫌い。

「…ねぇ、アカリ」

すっかり返事を忘れたように、瞬きすらもしない君を見て。
少しだけ気が晴れると同時に、振り回してやりたく、なった。



「君ほどムカつく奴も、珍しいよ」



ゆらり。揺れている。
引き寄せた刹那、君が何を言ったのかは解らない。
何も、解りはしない。


だけど、ひとつだけ。
ただひとつだけ解ったのは、僕はどうやら物凄くたちの悪い天の邪鬼らしいという、こと。




花に嵐

(せいぜい戸惑えばいい、)



▼追記
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