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星の生まれる日 ※魔法ヒカ・切


この恋はいつか燃え尽きるように空へ昇って、届かなくなるだろう。



「ヒカリ」

時々、本当に時々だけれど、頭の中にある彼女へと向かう感情がそのまま声になるかのように、無意識に言葉を発することがある。大概の場合そういうときは彼女の名前であって、或いはねえ、だとか。どちらにしても傍にいる人を呼ぶ、というだけのささやかな声に過ぎないのだけれど、静まり返ったこんな夜の室内ではそれだって、十分に音として響き渡った。

「はい?」
「……」
「どうしたんですか」

窓際で明るい三日月を見上げていた彼女は、返事をしてもそれに答えのない俺を見て何か思ったのか、飲みかけのホットミルクも置いたままにしてゆっくりとこちらへ歩いてくる。いいよ、そっちへ行くよ、と言いたいのに、なぜだか今は動き出す気にもなれなくて。思考が、酷くぐるぐると散漫なままに渦巻いている。形のないそれらはひとつを選び取ってしっかり考える、ということもできずに、ただ脳内を占領して回った。その中を時々、見慣れた牧場の景色や彼女の名前、横顔。そんなものが行き来するのが分かるだけ。

「ゲイルさん」

そっと、確かめるように頬へ触れた手に、少しだけその渦が静かになった。二人のときだけ呼ばれるようになった名前は、彼女の声で紡がれることにまだ幾分か慣れないけれどそれ以上に、ここには彼女がいるのだということと、彼女しかいないのだという事実の両方を与えてくれる。それは麻酔に似ていた。毒ではないが、じわりと的確に心の位置を捉えて、時には幸福にさせるし時には傷をつける。今は、はたしてどちらだろう。

「……ん」

言葉を何かひとつ選んだら収まりかけた思考が再び散らばってしまいそうで、ソファに腰かけたまま眼前の彼女を抱き寄せる。しばらくそうして、厚手のカーディガンの上からでも分かる心臓の音を数えていた。二十をいくつか超えた辺りで腕を緩めてみれば、ゆるゆると首に回されていた腕も緩められて、ソファの反対側が沈む。三人がけのソファの片隅に座った俺のすぐ隣へ座って、彼女はとんと肩へ頭を寄せてきた。ずっとフローリングが映っていた視界の斜め下を、無花果色が染める。

「……」
「……」

彼女は、何も言わなかった。こちらを覗き込むこともせず、ただ瞬きをしていた。その睫毛の細かな震えや髪の膨らみ、膝の上で組まれた手や、やたらと大きなスリッパを愛用する爪先や、そんなものを眺めていたら、頭の中は徐々に静かになってきた。きりきりとしたわずかな頭痛が、夢の後のように残っている。それもそうしてじっとしていると、自然と治ってくるようだった。嗚呼。

「……ヒカリ」
「何ですか?」
「……こっち、向いて?」

彼女は、鎮痛剤だ。そしてこの眩むような胸の痛みの元である。すべては彼女の傍にいることで起こるものなのだ、あの思考の渦だって。独りでいた頃には、自分の感情にすべて名前をつけて振り分けることができた。あんな、感情が思考の容量を超えて溢れるようなことは、決してなかった。癖のようにどんなときも穏やかな弧を描く唇は、触れてみれば淡く熱を持っている。当たり前だ、と思う。同時に、そうじゃないんだ、と欠片のように残された最後の頭痛が、それを否定する。

「ね、ゲイルさん」
「……何?」
「私には、貴方の考えている全部のことは分かりませんけれど―――」

この恋はいつか燃え尽きるように空へ昇って、届かなくなるだろう。眩しいままで。結末の見える日々を何も知らないような顔で生きることなどできるわけもなく、けれどもすべて承知の上で傍にいることを選んだのは俺たちだ。後悔はどこにもない。ただ、そうして彼女がこの視界の中で生きて生きて、生きて、その後で俺はどうするだろうか。愛はすでに彼女の姿かたちとイコールで結ばれていて、きっとこれ以上の何かなど星座がひとつ灼けて落ちるほどの時間があったとしても見つけられない。彼女は俺の、感情の一部だ。

「―――愛してます、とっても!」

ああ、ほら。
心の底を共有しているのではないだろうかと疑いたくなるような言葉に、それを言った彼女のあまりに柔らかな笑顔に。傷ついては癒える胸の奥で、数え切れない流星が零れた。きらきらと、あまりにきらきらと光るそれが涙だと気づいたのは、抱きしめるようにゆっくりと伸ばされた彼女の指が道すがらにそれを拭った、そのときのことだった。




星の生まれる日

(約束をしてほしい、きっとこの心ごと持って翔び立つと)

▼追記

空の下 ※魔法ヒカ


雨が降って花が咲いて、太陽が出て月が出て。



冬の陽射しは粉が降るようだ、といつだったか彼女が言っていた。暖かな、と言っても手先の冷たいやんわりと明るいだけの朝に、吐き出した息は白く煙って目の前をぼやけさせながら消えていく。空気に色がつくのだと思うと、何だか少し珍しいものを眺めたような気になって、もう一度はあと吐き出してみる。それはやはり真っ白に曇って、すぐに見えなくなった。

「魔法使いさん」

ぱたぱたと駆けてくる足音に気づいて振り返れば、待ち人は存外すぐ近くまで来ていた。ヒカリ、と声をかける前に呼ばれてしまい、動かしかけて目的を見失った唇で微笑ってみる。彼女は歩調を緩めることなく傍へやってくると、ようやく足を止めて二度三度大きく息をつき、それから少し申し訳なさそうな顔になって言った。

「おはようございます。ごめんなさい、待たせましたか?」
「……いや、さっき着いた。お早う」
「……本当ですか?」

特別気の利いた嘘をついたわけでもなくて本当に先ほどここへやってきたのだけれど、彼女は疑うような視線を向けて、それから何か名案でも思いついたように俺の手を掴んだ。けれども、すぐに不満げな顔になって呟く。

「……冷たい……」
「……ヒカリもね」
「これじゃ、分からないですね」

指先の冷たさで大まかに時間を計ろうとしたらしいが、その作戦はあまり成功したとは言えないだろう。先に着いてこそいたが家を出てここ、時計台の下までそれほど距離のない俺と、後に来たもののあの坂の上から歩いてきた彼女とでは、どちらも恐らく家を出た時間に大きな差はない。
同じくらいに冷え切った指で手のひらを掴んだり裏返したり、頬を膨らませていつまでもそうしている彼女に小さく笑って、その手を繋いでみる。一瞬驚いたようにこちらを向いたものの、すぐにはにかむように微笑って、彼女もそれを握り返した。

「冬の朝って、好きです」
「……そうなんだ?」
「はい。空気が深い、みたいな気がして」

ふらりふらりと有耶無耶に霧を散らかしたような午前の道を、整いきらない歩調で歩いていく。間で前後に揺れては戻る繋いだ手は、風に晒されて冷えていくばかりだ。そのうち凍って解けなくなると物の例えのように思ってみて、けれども案外それでもいいと本心から思った。右手は俺の手があって、左手は彼女のほうが空いている。たかだか散歩に行くくらい、それだけあれば何も困ることはない。

「……春は?」
「好きです、暖かくて」
「……夏」
「綺麗ですよね、水が眩しいのとか」
「……秋、も?」
「いいなぁって思います、落ち着くでしょう?」

解くのはどうせ、船着場を回って灯台のふもとまで行って、教会広場のベンチで休んで、そうして俺の家の暖炉の前へ着いてからだ。答えの予め予想できていた質問だったが、どれも好きだと言うのではなくてすべてに一つずつ答えるのが、なんだか彼女らしいなと思ってしまった。同意を求めるような響きにそうだね、と答えれば、はいと笑って足を止めるからつられるようにして立ち止まる。桟橋の上から眺める海は、彼方で空と交じり合って銀を零したように揺らめいていた。

「――――――」

眩しい、ただし直視することのできる眩しさだ。広いな、なんていう子供のような感想を、どちらに抱いたのか自分でもよく分からない。日の沈んだ後の景色ばかりを見慣れていた俺にとって、それは当たり前に知っているようで、けれどもどこか真新しい景色だった。空はこんなに青かっただろうかと、ぼんやりと思ってから隣を見やる。

「……寒く、ない?」
「不思議と、それほどでも」
「……俺もだ」

問いかければとうに感覚の鈍るほど冷えた手がぎゅっと握り返されて、空気が笑った気がした。


雨が降って花が咲いて、太陽が出て月が出て。それでも変わらない。

「……行こうか?」
「はい」

隣に、彼女がいるということだけが。まったく同じ光景の二度とない毎日の中で、それだけは春夏秋冬、晴れの朝も雨の夜も変わらない景色。
桟橋を戻って広々とした砂浜を歩きながら、ふいに思う。奇跡のような邂逅というものは、あるのだ。例えどんなに広い、この世界だって。




空の下

(青く澄み渡る手のひらにて)

▼追記

heartstrings ※魔法アカ・切


この胸は空白をたくさん抱えていた。だから君が降ってきた。



「占い屋さん、こっち向いて!」

カシャ、と柔らかな真昼の空気を裂くような音が聞こえて、冬の太陽に慣れきった目に閃光が走った。反射的に下ろした瞼は、きつく閉じすぎて少し痛い。のろのろと持ち上げてみれば、視界に数回緑色とも桃色とも言えない光が泳いで、そうして悪戯に成功した子供のような笑顔が映る。

「……何、アカリ……今の」
「へへ、撮っちゃった」

見れば手には、彼女がいつも辺りの景色を撮り歩いているカメラ。薄々察してはいたが写真を撮られたらしい、という事実が、今さらながらに我が身の出来事として認識できてきて。やられた、と思って数秒、ああこれでは本当に悪戯に引っかかった大人だと気づいて、思わずため息をつく。そんな俺の様子を見て、彼女はカメラを両手に持ったまま笑った。

「そんな顔しなくたっていいじゃない。魂なんか抜かないよ?」
「……そんな、迷信にため息ついたわけじゃない」
「うん、そうだよね。……だめだった?」
「……うん、いや……はあ」
「占い屋さん?」

駄目かと訊くのに、その顔は駄目だと言ったらすぐにでも涙を堪えるような笑みに変わりそうに眉が下がっていて、言いかけた言葉を一旦引っ込める。ただでさえ言葉を連ねることが苦手な俺は、そうすることで余計に言葉と言葉の間が空いた。そうすると今度は彼女が、どうかしたのかとでも言うように俯きかけた目を覗き込んでくるものだから思わず背ける。そんな不思議そうな顔をしないでほしい。君にかける言葉を必死に探して繋げてはばらしているんだ、とは、それさえも言えないままに。

「……その。写真……現像、するの?」
「え、できればしたい」
「……どうして」
「どうしてって、そうだなぁ」

結局、真に伝えたいことの核心からはかなり遠い場所にある質問を選んで、そう訊いてみた。今度は彼女が言葉に詰まったことに、少なからず驚く。はきはきとして快活で、あまりそういう場面を見たことがなかったからかもしれないが、彼女が会話の中で何かを慎重に考えているという光景はどこか新鮮だった。藤色の光を注したような眸が、白い日溜まりに透けているのをぼんやりと見つめてそれを待つ。

「占い屋さんの、真正面からじゃない顔が、結構好きだから」
「……え?」
「呼ぶと、返事はゆっくりだけどすぐに振り返ってくれるの。周りが静かでもそうじゃなくても、いつも呼んだら聞こえるのが当たり前みたいに」
「……それ、は」
「あ、もちろん、こうやって向き合って話すのも好きだけどね?」

それは、君の俺を呼ぶ声が、一際明るいから。そう反論しようとして、柄にもなく照れたように笑ってみせた彼女に呼吸を持っていかれた。ね、と言われてわけも分からず、雰囲気に押されるようにこくりと頷く。すると彼女はそれを見て、ぱっと表情を輝かせた。

「ね、だからこの写真、現像しちゃだめかな?」

その胸の前で大切そうに抱えられたカメラと彼女の視線とを交互に見比べて、俺はしばし考える。良いとも悪いとも、どちらとも即答はできなかった。
彼女は呼ぶとすぐに振り返る俺を好きだと言ったが、それを言うなら元はと言えば逆なのだ。俺は、周りに人がいてもいなくても、そこが広くても狭くても、明るくても暗くても、どんなときでも変わらず俺を見つけて真っ先に呼んでくれる、彼女が好きだ。その目に見つけてもらえることが、とても。だから彼女の願うことなら、ましてやこんな対価の何もかからないような些細な願いなら、できる限り叶えてあげたいしそうして笑っていてほしい。けれど。

「……分かった」
「え?」
「……いいよ?でも、二つだけ約束」

けれど悲しいかな、彼女の選んだ願い事は俺にとって、どんな豪華な贈り物よりも頭を悩ませざるを得ない。俺は、魔法使いだ。彼女が本当に願うなら奇跡の花だって最上の紅茶だって、絵本の中の星だって取ってあげられる。対価は何が必要になるか分からないけれど、全部全部、その目につかないところで繕ってあげよう。もっともそれは、彼女がそんなことを望まないと分かっているからこその想いであるのだけれど。けれど望むのなら本当に、綺麗なものだけ見せてあげるし汚れる前に次をあげる。

「約束?」
「……そう。一つは、現像したら……データは消して?手元には、現像した写真だけ、残して」
「……分かった」
「……うん、ありがとう。もう一つは」

ああ本当に、それくらいにまで思った彼女が望むものは、どうしてそんなものなのだろう。九十九の贈り物をしたとしてもきっと、決して贈ることのないもの。俺は、魔法使いだ。彼女の手の中で写真はいつか古びて埃を被り、色褪せて―――けれどもいつか彼女がそれを気まぐれにふき取って眺めたとき、そこにはきっとそれを掴む皴の刻まれた自分の手と、つい先刻に行き会ったのとまるで変わらない俺の姿が映ることになるだろう。


「……何回だって、撮っていいから。季節が変わるたびに、必ず、捨てて」


そのとき彼女はその硝子玉のような目を瞬かせて、何を思うのだろうか。知っていたことだと何も思わないのか、相変わらずだと笑うのか、或いは。形になど残らなくても、月日の流れが違うことはいずれ目に見えてくる。けれども形に残ることで、それがより著しく輪郭を持って未来の彼女と俺の間に立ち塞がることが、俺は寂しい。

「どうして?」
「……どうしても」

そしてそれを口に出して言うことができないのは、偏に臆病だからだ。はっとされることが恐ろしい。彼女に、俺達は別物であると改めて認識されることが。秘密を作って遊ぶようなふりをしてそう微笑めば、彼女は唇を尖らせてごまかされてくれた。何度だって撮るからいいもん、と横を向いた華奢な肩を、抱きしめて何もかも話してしまいたい衝動に駆られ、緩く組むように両腕を拘束させあう。ふいに瞼の裏を刺した真っ白な光に、思考の栓が抜けたように胸が熱くなって、俯いて目を瞑った。ああどうして、こんなにも愛おしくなってしまったのだろう。


この胸は空白をたくさん抱えていた。だから君が降ってきたし、それを受け入れることができてしまった。積もり積もった君はやがて、胸の奥の一番高いところまで達して。ほんの少しの星屑だけが届くことのできた、小さな夜空の琴線を細い指先でなぞった。

「……アカリ」
「ん?」
「……ほら、君だって」

呼びかければ、カメラをいじっていた手を止めて。ぱっと向けられた視線に、笑いたいのになぜだか上手く微笑いたくない。違和感に気づいてほしくて、見過ごしてほしくて、けれどもそんな葛藤の末に勝つのはいつだって後者なのだ。くすりと笑って、何でもないことのように言った。

「……何をしていても、振り返ってくれる」

ああどうか、どうか。それだけで俺は、幸せだ。




heartstrings

(この愛に捕らわれないで)

▼追記
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