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片恋ごっこ


掠めるふりで指を絡める。素知らぬ顔でわずか先の未来を繋ぐ。



「おはようございます、チハヤさん」

ざあ、と水を掻き混ぜた水車が、透明な風をのせて回っている。古ぼけた木の色、湿った草の匂い。

「…おはよう」
「どうかしましたか?あ、寝不足とか…」
「違うよ」

よく聞こえなかっただけ、と。橋を渡って近くまでやって来た彼女を振り返って言えば、火を通された苺のような眸がぱたり。瞬いて、それからふっと細められる。

「そうでしたか。おはようございます、チハヤさん」

ふわふわ、漂うように浮いた声は、今度はしっかり耳に残った。何も答えずに小さく笑って、僕は彼女の通ってきた橋のほうへ視線を向ける。置き忘れられたような雲が、視界の隅を流れた。
ぼんやりと青い空から目を離せば、ふとそこに立っていた彼女も上を見ていることに気づく。ああそういえばこれは、彼女の癖だったっけ。

「……あたっ」

いつまで待っても一向に、こちらの視線に気づかない彼女の頭を軽く小突いた。日溜まりに染まった髪の温度が、ゆるく握った利き手に残る。

「何ですか、チハヤさん」
「別に」
「ええ?」
「君があんまりボーっとしてるから、つい」
「そんなことないですよ、ひど…」
「ほら」

む、とむくれそうになった彼女の前へ手を差し出せば、ぴたりと止まる抗議の声と、傾げられる首。丸いシルエットを作る髪が小さく揺れて、ぱしんと日差しを受け止めた。一歩進めた足の下から届く、乾いていく草の匂い。

「来るんでしょ?今日は違うの?」
「!」
「違うなら別に―――」
「ち、違いません!行きます!」
「そう」

慌ただしく取られた手は、当たり前のように握られる。そのことに何かを思いかけて、僕は何となく、笑って流した。
どうしたんですか、何でもないよ。チハヤさんは何でもないが多くありませんか、さあね。適当なやり取りをして、繋いだ指に灯る熱から、目を。
逸らす、ということが完全にできていたら、こんなあやふやな気分にはならないのだろうけれど。


掠めるふりで指を絡める。素知らぬ顔でわずか先の未来を繋ぐ。何も知らないような振りで、君の今日を一掴み、もう少し。

「それじゃ、行こうか」
「はい」

いつものように今日の昼食の話をしながら、僕達は過ごし慣れた僕の家へ歩いていく。道中、彼女が目を合わせずに話す理由を、僕はまだ知りもせず。




片恋ごっこ

(道中、あなたから手を差し伸べてくれるようになった理由を、私はまだ訊ねるほどの勇気は持てず)
▼追記

反響主義 ※魔法アカ・切


ほろほろないて谺する、あなたの微笑が仄白い夜です。



「どうしてそんなこと、言うの?」

ひやりと手首を撫でる夜風が、やけにゆっくりと進む。火傷のように痛む喉から絞り出す声に引っ張られるようにして、私は私を立たせていた。
どうしてそんなこと、言うの。たった今発したばかりの疑問が、ぐるぐる。頭の中を回っている。どうして、どうして。次第に増えては折り重なって私の中を埋め尽くすそれは、もはや疑問と呼んでいいのかも分からないほどに混沌としていて、けれども私にとっては何より真っ直ぐな問いだった。

「…アカリ?」
「……」

色の違う二つの眸が、震える足で地面にしがみつく私を見据えた。心配そうなその声に、いつもならああ優しいなあ、なんて思えるはずのその声に、酷く胸の奥がざわめく。
貴方はどうしてそんなに、冷静な声をしているのだろう。そんなはてながふつふつと、ふつふつ、と。沸き上がって、愛しくって仕方ないはずのその人を、どうにかしてやりたくなった。静かに伸ばした手の行き先は、分からない。

「貴方は何も分かってない」

そのもやもやをひっくり返してぶつけるように声に出せば、彼はまた、困ったように優しく私の手を捕まえた。少し低めの体温に、ずきんと目の奥が痛む。痛くて痛くて、そんな自分に嫌気が差した。
嫌だ、これではまるで、出会ったばかりの頃のようだ。

「どうして、寂しさは分からないなんて、言えるの?」
「……」
「私は言えるよ?貴方がいなくなったら寂しい」
「…アカリ」
「何度だって言える。貴方がいなくなったら寂しいよ。会えなくなんてなりたくないよ?私は貴方が―――」
「アカリ!」
「!」

堰をきって溢れ出す言葉に蓋をしたのは、私を呼んだ彼の聞いたことのないような声だった。はっとして引こうとした手は、けれど緩やかに引き留められてどこへも行けないまま。唇を開く彼に、私はそっと首を横に振る。何も聞きたくない、聞いてはならない気がした。けれど。


「……もう何も、言ったら駄目だよ」


まるで私の心を代弁するかのように、彼は言う。けれどもそれが私の想いと少し違う方向を向いているのを、私はいつになくはっきりと感じていた。
もう何も、言わないで。私は貴方にこそ、それを言いたい。

「どうして?」
「…うん」
「……答えて、よ」

必要だと、そう想った気持ちに間違いはない。必要にされていると、そう感じた嬉しさを忘れたことはない。どれほど言葉にしたかと言われたら少し困ってしまうけれど、それでも確かに私達は手を繋いでいる。繋いでいた。
結びあったつもりだった。どんなに長さの違う糸でも、きっと色は同じだと言い聞かせて。それは簡単にほどけてしまうようなものではないと、ないと。

私を見つめる眸が、揺れている。視線を交わすだけで、言葉はいらないとさえ思えた。それくらいの深い幸せを、貴方と分かち合った。
だからこそ、こんなときでさえ分かる。


「……君は、普通の女の子として、笑っていて」


貴方の言葉に潜む、優しい悲しみ、私に対する貴方の何もかも。あまりに混沌として真っ直ぐなそれに押し流されて、私の言葉は行き先を見失った。笑っていてというのなら、ここに居させてよ。喉が痛い。

「……君が、好きだよ」

柔らかな声が反響する。私も好きだよ。口にしかけた言葉は、眼差しに呑まれて消えていった。焼けるように熱かった胸が徐々に静かになる。代わりに冷めた雫がひとつ、頬を滑った。
この手を離さない方法は、どこにあるのか。私は模索して瞬きをする。濃紺の空が目に染みて、空気の温度に染まる手をただぎゅっと握りしめた。


貴方の声が、聴こえる。
ほろほろないて谺する、あなたの微笑が仄白い夜です。夜でした。




反響主義

(かなしいのは、誰?)

▼追記

未完全恋愛マニュアル


お手をどうぞ、で始まってキスで終われる恋が存在するなら、見せてもらいたいものだ。



「チハヤー」
「何」
「……呼んだだけ」

かすかなハーブと、野菜の匂いがゆらゆら、浮いている。キッチンに立って慣れた手つきで鍋をかき混ぜる背中を見ながら、私は今日も行く末の見えない戦いをしているのだ。

「……無駄に返事した」

一度は振り返ったアメジストが、呆れたようにまた向こうへゆく。予想通り、と言えばそこまでで、それ以上でも以下でもなく。相変わらずこの人は、愛想のなさを隠さないようだ。だが、私とていつまでもそれに振り回されているつもりはない。

「いいじゃん、別に」

減るもんじゃないんだよ、なんて。笑いながら言えば彼はひとつ、溜め息をついてああそう、とこの話題を切り上げた。そうしてまた、私には分からない細かい名前で分かれた調味料を片手に、くらくら昇る湯気を見つめる。
追い出されないようになっただけ、いくらか近づいたと思っていいのだろうか。そんなことを真剣に考えてふと、端から見たらなんて可笑しな悩みだろうと吹き出しそうになった。けれど仕方ないのだ。

好きになった人と近づきたい。そう思うのは誰だって同じだろう。私の場合、少しばかりそのスタートラインが遠い相手を好きになってしまった。それだけのこと。

「第一さ」
「ん?」
「君は何しに来たの?」

よりによってどうして、と思わないと言ったら嘘になる。どうして、こんなどう手を伸ばしたらいいのかさえ分からないような相手を、うっかり想ってしまったのか。けれどこればかりは、考えてみても余計に絡まる。だから。

「会いに来たんだよ?」

だから、とりあえずは一歩。また一歩。届くか届かないか、なんて、まだ決められるようなところではないのだ。かん、と金属のぶつかる音がして、彼が出したばかりのスプーンが、鍋の縁に小さな傷を作った。
ふらふら、漂う湯気が霧のように。その真ん中に立つ背中に、此処から手を伸ばしたら、どうなるだろう。

(なんて、分からないや)


お手をどうぞ、で始まってキスで終われる恋が存在するなら、見せてもらいたいものだ。小さな頃に聞かされた恋の話はいつだってそうして叶うけれど、現実はなかなか難しいようで。
差し出されることもなければ、差し出す勇気も今のところない。けれど。


「……暇人」
「な!そんなんじゃ―――」
「そんなに暇なら、手伝ってよ」
「……!」

こちらを向くこともなく告げられた言葉に、思わず見開いた目をぎゅっと閉じて、また開く。
ああ、なんだ。私の夢かと思った。
けれど違うようだ。濃くなるハーブの匂いが、ゆらゆら、私にも絡まっていく。

「チハヤー、チハヤ」
「何」
「呼んだだけ」
「……そう」

難しくても、面倒でもいい。だってこんな言葉にするのが勿体ないほどの思いは、此処にしか存在しない。
馬車にも絨毯にも乗れないのなら、精々早歩きでもして頑張ろうと思う。だって事実は時として小説よりなんとやら、なのだから。




未完全恋愛マニュアル

(時として、伸ばされる貴方の手は奇なり)

▼追記

はじまりがたり


始まりなんて求めていなかった。



「チハヤー」
「何?」
「……呼んだだけ」

音がする。閉ざした窓を叩く、少し荒くて、時々やたらと柔らかくなる、音。

「……無駄に返事した」
「いいじゃん、それくらい」

減るもんじゃないんだよ。椅子に腰かけて猫のように腕を伸ばした彼女は、僕の溢した溜め息を聞き流して、ね、と笑った。
毛先の跳ねたシナモン色の髪が、目を背けた視界の端で揺れている。

「第一さ」
「ん?」
「君は何しに来たの?」

彼女に対して大概のことを溜め息のひとつで流してしまうようになったのは、いつから、だろうか。そうしてそこに、諦めとはまた違う感覚を見つけてしまったのは。仕方ないなと笑う矛盾。受け入れる顔をして手を伸ばす僕、の。

「会いに来たんだよ?」

その奥で、音がする。閉ざした窓を叩く、煩くて敵わなくて、どこまでも柔らかな。
声がする。此処へ入れて、と言うふりをして、此処へおいでと招く君、の。

耳に焼きついて離れない、声が。

「……暇人」
「な!そんなんじゃ―――」
「そんなに暇なら、手伝ってよ」
「……!」


始まりなんて求めていなかった。どこにもないと思っていた。欲しいなんて思っているつもりじゃなかった。
君がいることに意味なんて、見出だすつもりはなかった。それなのに。


「チハヤー、チハヤ」
「何?」
「呼んだだけ」
「……そう」

かち、とどこか深い場所で、鍵の開く音がした。




はじまりがたり

(伸ばし合った手のその行方)
▼追記

融解昼夜 ※魔法ヒカ


揺り籠の背の柔らかさなど、とうの昔に忘れたはずだけれど。



「どうぞ」

静かな風が窓の向こう、夜に浮かび上がった木々の影を揺らしている。そのすぐ真後ろに広がるようで、遥か彼方にある夜空。そこには今日も変わらずいくつかの星座と無数の名前のない星が浮かんでいて、俺は今日も、一日の終わりにそれを眺めている。

「…ありがとう」

差し出されたマグカップを受け取って、礼を言った。熱いですよ。差し出したヒカリはそう言ったが、触れてみれば火傷をしない程度の、ただ温かいものだった。
かたん、と隣の椅子を引く音がする。揃いのマグカップを手にしてそこへ腰を下ろした彼女は、ゆらゆら昇る湯気と夜空を交互に見つめて、口を開いた。

「よく晴れた日は星が綺麗って、本当なんですね」

ゆら、ゆら。漂っては見えなくなる湯気につられて、そうだね、と答えた俺はマグカップを傾ける。ふわりと体に溶けるような味が、喉を滑り落ちた。
すっかり馴染んだものだ。テーブルに置いたマグカップの水面を見つめて、俺は思った。ホットミルクなんて、何年も口にしていなかったような気がする。

「美味しいでしょう?」

視線を追って気づいたのか、彼女は嬉しそうに、そうして少し期待を込めたように、こちらを覗き込んで笑った。頷けば一層深くなる笑みに思わず小さく笑いながら、ふと思い出す。

ねえ私、分かりました。貴方が眠らないのは、コーヒーばかり飲んでいるからですよね。
共に生活するようになって一週間か二週間、それくらいの時だったか。推理の果てに真実へ辿り着いたかのような、晴れ晴れとした顔で言われて、勢いのままに何だかそういうことだったと決まってしまったのは。

眠りたくない日があるのも、星は夜しか出ないのも分かりますよ。でも、できれば眠ってください。心配だもの。
あまり多くを望まない彼女が珍しくはっきりと言ったものだから、驚いたのを覚えている。同時に、ああ果報者だな、と思った。彼女が差し出したマグカップには、まだゆらゆらと湯気を立てる白い水面。


あの日以来、一日の最後に飲むのはホットミルクになった。親しむまでには時間がかかると思ったが、案外そうでもなかったようだ。
昔からね、好きなんです。彼女の小さな日常はするすると、俺の毎日に混ざって溶けた。きっとこうしてひとつずつ、今まで、を与えたり忘れたり。境目を見失っていくのだと、思う。だって。

「……」
「……」

時間は何年、何十年とあるのだ。彼女と出会って今日まででこんなにも変わってしまった自分が、これから先も変わらないわけがない。そうして彼女も、また。


揺り籠の背の柔らかさなど、とうの昔に忘れたはずだ。君も、そうして俺だって、尚更。けれど。

「……」

今になって、知った気がするのだ。
ゆるりと肩にかかる重みにそんなことを思いながら、俺は音を立てないように、カーテンを引いた。




融解昼夜

(滲むふたつの心音)

▼追記
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