「高都!」
そうやって呼び捨てで呼んでくるのは他でもない倉田。
「なんだよ、騒々しい」
俺の肩を掴みそうな勢いだった倉田から身体を引いて、怪訝に思いながら宥める。
「お前、GW暇だよな!」
「は?」
俺の返答を待たずに、暇だと決め付けた倉田はニヤリと笑う。
「俺に付き合え!」
いつから俺に指図する程偉くなったんだ?と思ったが言わないでおく。
そんなの今に始まった事じゃない。
「何だよ、突然」
「お前、外国語得意だったよな」
全く話が見えない。
それでもGWは付き合う前提で話が進んでしまって、断れる空気ではなくなった。
本当は会議が入ってたんだけどな。
そうは切り出せず、俺はつくづく倉田には甘いなと思う。
「何の用なんだよ」
と言ったところで、思い出した。
若手で国際戦?みたいなのがあるんだった。
倉田はその団長だった。
他の国の団長さんとは顔見知りの様だけど、通訳なしでは話せないんだろう。
それで、白羽の矢が立ったのが俺だったと。
「じゃぁ3日はホテル集合な!」
倉田は用件だけ済ますと、何処かへ行ってしまった。
ほんとマイペースだよな、あいつ。
「僕、北斗杯のメンバーに選ばれたんです!」
そう嬉しそうに言った後輩に苦笑いしか出来なかった。
お化け、なんて信じてなかったけど、怖いモノは怖い。
だけど、あの人からはそんな印象は受けなかったんだ。
出先で、たまたま調べ物がしたくなって、ネットカフェに寄った。
その時、なんだか騒がしい男の子が居た。
一人で何を話しているのか分からなかったけど、その横?後ろ?を見てびっくりした。
烏帽子を被った人が立っていた。
烏帽子なんて、目立つ事この上ないのに、誰も気にした様子はない。
何だろう。見間違いかな。
そう思ったけど、私にはうっすらと、でもはっきりと見えた。
幽霊、というものを初めて見てしまったのだ。
怖い、とは思わなかった。
ただ不思議な感じ。
ジッと見てしまっていた様で、男の子は慌てたように受付に走って行ってしまったけど。
烏帽子の人と目が合った気がした。
思わず会釈してしまったけど、向こうも会釈してくれた。
悪い人じゃないのかな。
「あ!」
私は調べ物を思い出して、パソコンとにらめっこに戻った。
次に見掛けたのは、棋院で。
対局室にあの男の子が居て、その斜め後ろには烏帽子の人。
まだ対局中だし、声は出せなかったけど、驚いた。
私、霊感なんてないんだけどな。
そう思って、烏帽子の人を眺めていたら、目が合った。
また会釈してしまったんだけど、今度は笑顔で会釈を返してくれた。
時間がなかったから、男の子に声を掛ける余裕はなかったんだけど。
本当に幽霊なのかな?
謎ばかり。
「私、幽霊見ちゃったかもしれない」
そう芦原さんに言うと、妃々季ちゃん疲れてる?なんて言われて、面白くなかった。
湖を泳ぐ鳥のような人だと思った。
しかしそれは悟られてはいけない。
まだまだ甘い人だと、同時に思う。
まぁどうでもいいんだけど。
初めて見た時は、面倒臭そうだと思った。
自分から妬みを買いに行くようなタイプ。
それでいて、人を魅了する力も持っている。
面倒臭そう。
まぁ私には同じクラスだとか、そういった接点もなかったし、安心していた。
クラス自体もその面倒臭そうな庭球部の部員もそう居なくて安心した。
これから卒業まで関わりがありませんように。それだけを願った。
しかしそんな願いは無に還る。
武末が生徒会メンバーになった。
必然的に生徒会長だった、庭球部部長さんと小さな接点が生まれた。
私は平和に卒業まで過ごしたい。
ちょっとだけ武末を恨んだ。
それから幾度となく、武末のマッサージをするようになった。
やっぱり平和には過ごせそうにない。
そう思って、なんとか少しでも平和に過ごせるヒントを得ようと、生徒会長さんを観察してみた。
普段は傲慢とも取れる態度、優雅な立ち振る舞い、俺様。
そんな印象なんだけど、裏では必死に今の地位を保つ様に努力を惜しまない。
俗に言う努力家。
鳥みたいな人だなと思った。
結局、得たヒントは目立たず、大人しく、穏便に。
それだけだった。
「今のだれ?」
そう言われるのはもう慣れっこ。
「従兄弟だよ」
そう答えるのも慣れっこ。
えー!格好いいー!
今度紹介してよー。
なんて。
私の方が紹介して欲しいくらいだ。
学校まで車で送ってくれたのは、先輩の青山さん。
憧れの先輩、第一位。
物腰は柔らかだけど、優男という印象ではなくて。
顔も格好良いんだけど、性格が本当に素晴らしい。
そんな彼は、気付いただろうけど、私の従兄弟なんかではない。
ただ女子を躱すのにはちょうどいい言い訳だった。
最初は凄い若手が出てきた、という先輩プロの噂で知った。
院生になって、初めてその凄さを知る事になる。
始めの内こそ、その実力に憧れを抱いた。
早くあんな棋士になりたい。
そう思って、努力を惜しまなくなった。
ある日、研究会に参加すると、彼も来ていた。
緊張で声が出なかった。
学校の女子のミーハーさが羨ましくさえ思えた。
そんな私にだ。
「少し、外に出ようか」
そう声を掛けてくれたのが、青山さんだった。
何を話すでもなく、青山さんは私の隣にいてくれて、思わず泣きそうになった。
「最初の内はね、そんなもんだよ」
涙目になった私に気付いたのか、独り言とも取れるトーンで青山さんは言った。
その言葉に、流れそうになった涙は消えた。
安心。そう感じた。
それからだ。
私のこの感情はきっとそうだと、自覚した。
名前を覚えてもらうのに必死になった。
声を掛けてもらえるように努力した。
全て、碁を通してだったけど。
今、やっと話す事が出来て、たまにこうやって車で送ってもらったりするようになった。
でも、青山さんにとって私は、後輩。
もしくは妹の様な存在なのだろう。
そう思うと、涙が出そうになる。
とても優しくて残酷な人。
「何やってんだよ」
そう問われて、俺は苦笑い。
「いや、中学思い出してさ」
「中学?」
倉田は首を傾げるが、きっと覚えちゃいないだろう。
倉田とは中学からの付き合いで、その時も同じクラスだったと記憶している。
中学からは給食制で、パンだろうが、ご飯だろうが、決まって出るのは牛乳。
その日は、ちょうど学校を休んだ生徒がいて、生徒数来る牛乳が一本余った。
男なら、ではないが、勿論俺が俺がとなるのは常だ。
余った牛乳に男子生徒が集る。
その中に倉田もいたのだけど。
いざ、ジャンケンで勝負を決めよう。
勝ったのは、クラスでスポーツ、学力トップクラスの多田野君で。
負けた生徒を尻目に、自慢、といったように牛乳を飲み干した。
さて。
ここまではよくある話なんだけど。
問題は午後の授業。
体育が午後イチで、競技は野球だった。
勿論多田野君はピッチャーで、次々とストライクを取っていく。
そんな中、彼に異変が起きた。
何処と無くモゾモゾしているのだ。
あぁ、俺は気付いてしまった。
原因は給食中に飲んだ計二本の牛乳。
なかなかトイレ、とは言い難い年頃だ。
ましてやクラスのヒーロー的な彼が。
この後、多田野君がどうなったかは、想像に任せるが、俺的には無駄に格好付けるもんじゃねぇなと学習した出来事だった。
目の前には牛乳。
しかも懐かしの紙パック。
何故か芦原君にもらったんだけど、そんな下らない事を思い出したのだった。
え?
勿論、俺は飲まずに、声を掛けて来た倉田にやったよ。
別に芦原君を疑った訳じゃない。
ただ、多田野君を思い出して飲めなかっただけ。
そんな夏の終わり。