連絡先を、半ば強引に渡されて。
怖々ながらメールを送ってしまったのが、今となっては良かったのか。
私は今日も平介くんのお菓子にありついている。
勿論、佐藤さんや鈴木さんも一緒に。
「平介くんって、本当にお菓子作り凄い」
ロールケーキを口に運んで呟くと、佐藤さんが身を乗り出す勢いで。
「コイツね、凝るとひたすらだからさ」
一時期すげぇロールケーキ食わされたんだよ、と続けた。
あー、と当の平介くんは飄々とした表情で遠い目をしている。
「あの時は上手く巻けなくて悔しくてさー」
今となっては、全然それを伺わせない手付きで、どれだけ練習したんだろうって思った。そして佐藤さんと鈴木さんはどれだけ巻き込まれたのだろう。
「ナツはさ、やんないの?」
「え?」
「お菓子作り」
鈴木さんが、ロールケーキをひと掬いして私を見てきた。
それにノるようにして、佐藤さんまでキラキラと私に視線を送る。
「…調理実習くらいですかね」
「ベタだね」
「俺、ナツちゃんの作ったお菓子食べたーい!」
「え…」
佐藤さんは本当に目をキラキラさせて私を見てくるから、無下に断る事も出来ず、曖昧に笑うのが精一杯だった。
「じゃぁ平介に教えてもらえばいいじゃん」
「え、俺?」
私の苦笑いに気付いたのか、鈴木さんが助け舟。
これで平介くんが断ってくれれば…と思ったんだけど。
「別にいいけど」
え…。
承諾されてしまいました。
「じゃぁ決定ねー!」
嬉々とした佐藤さん。
鈴木さんは諦めろと言わんばかりの表情を私に向ける。
ぐぬ…。
「…じゃぁ、お願いします」
こうして私は平介くんの家に週一ペースで通う事になったのです。
それから、あき君やママさんとも仲良くなって、なんだか居心地もよくなった感じです。
世界が広がる。
補習でアキラ君と一緒になった。
「なんだ、お前もかよ」
「アキラと一緒にしないで下さい」
「…えーっと」
話し掛けられたから返そうと思ったら、先に泉くんが答えて、私出る幕無し。
「なんだと!泉テメェ!」
「事実を言ったまでです」
「ちょぉ、ケンカはやめよう?」
何故か仲裁役になってしまって。
私の静かなはずの補習は夢と散った。
取り敢えず、補習が始まると泉くんは退室したんだけど、アキラ君はまだ鼻息荒くて、勉強なんて頭に入らないみたい。
そういえば泉くんはなんで教室に来てたんだろう?
勤勉な彼だから補習なんて受けなくても大丈夫なはずなんだけど。
そんな事を考えながら、先生の話を頭に叩き込んだ。
補習は一回でも少ない方がいい。
午前中の補習を終えて、教室でやっとアキラ君とおしゃべり。
「お前も赤点か」
「いや、日数が足りなくて」
「なんだ、そっちかぁ」
なんだか悔しそうに頭を掻いたアキラ君。
その様子を見ればアキラ君が赤点だったのが分かった。
こればかりは運動神経と比例しないからなぁ。
それはそうと。
「ねぇアキラ君」
「なんだよ」
「お弁当、食べてくれない?」
「は?」
そんな反応は想定内だ。
実を言うと、この後仕事が入って折角作ってきたお弁当すら食べる時間がないのだ。
「ちゃんと食べられるモノだよ!」
その旨を伝えて、念を押せば目を逸らされた。
これも想定内。
「…お前がどうしてもって言うんなら」
仕方ねぇな!
そう言って差し出したお弁当を受け取ってくれた。よかったぁ。
私はそのまま仕事に直行したのだけど、このお弁当でまた泉くんと言い合いになったのを知るのはまだ先の話。
今年何度目かの花火大会。
駅には、ヒロ兄と雅くん、切原くんの姿。
目を引くなぁ、なんて遠目に思っていたら、切原くんが一番に私を見つけて駆け寄ってきた。
「久しぶりだな!妃々季!」
地元に戻ってきたのも久しぶりで、目尻が下がる。
やっぱり地元は落ち着く。
「一人で大丈夫でしたか」
「まぁくんにただいまのぎゅーしてくれんかの」
ヒロ兄と雅くんも相変わらずで、思わず笑ってしまう。
勿論ただいまのぎゅーなんてしないよ。
「人多いね」
「花火大会だからな!」
「切原くんも楽しみにしてた派みたいだね」
「当然だろ」
「お祭り男って感じ」
「バカにしてねぇか!?」
してないよ、と笑えば。
何故かヒロ兄と雅くんが笑って、ギャーギャーと騒がしくなった。主に切原くんが。
いつもこんな感じなのかな、とそのやり取りを見ていたら、突然雅くんに腕を引かれて、そのまま腕の中へダイブする形に。
「余所見してると転ぶぜよ」
「寧ろその方が転びそうですけどね」
人の流れに逆らうように、立ち止まる。
ヒロ兄が雅くんの腕から私を引っ張り出して、よろけた身体を支えた。
切原くんはズルいっすよ!と意味の分からない事を言ってたけど。
人混みを、その流れに任せて歩く。
両手には雅くんと切原くんの手。
ヒロ兄は後ろから見守るように。
「お姫様みたい」
そう小さく呟いたつもりが、皆の耳には届いていたみたいで、笑われる。
決してバカにした風にではなく、とても優しく。
「貴女は私たちの大切なプリンセスですよ」
ヒロ兄の表情は見えなかったけど、いつもみたいに微笑んでくれてるんだと思う。
同時に、握られた両の手に力が込められた。本当に、特別待遇だなぁ。
家に辿り着くまでに、神社があって。
宝石箱のような光の渦に、思わず目を奪われた。
「一旦家に帰りましょう」
「それからでも遅くないじゃろ」
「早く行こうぜ!」
そう、帰るのを急かされて思わず頷く。
別に屋台に行きたかった訳ではなかったのだけど、やっぱりああいう所には目が行ってしまう。
家に帰ってゆっくり花火見よう。
久しぶりのご飯は胃を心配してお粥だった。
「…ナツ?」
言葉を発しようとしないナツに何度も問いかける。
けど、ナツは頷くか首を振るだけで、言葉は紡がなかった。
「お邪魔していい?」
夕飯が終わって、また部屋に戻ろうとしたナツを逃がさまいと、腕を掴んだ。
ちょっと戸惑ったように目を見開いて、一呼吸。小さく頷いた。
「何があったか、訊いてもいい?」
ベッドに腰掛けたナツと、電子ピアノの椅子に座った僕。少しナツを見下ろす感じで。
「…ケンカ、した」
「ケンカ?」
ナツからは想像出来ない言葉に、ビックリして、思わずオウム返し。
「怒らせた、絶対、怒ってる」
下を向いて、涙を堪えているのか声が震えていた。
そう言われて気付く。
ナツは人一倍、他人の言葉に敏感だった。
僕たちが何気なく聞き流す言葉も、ナツにとっては剣にも変わる。
それはあの時、学んだ。
誰を、怒らせた(と思っている)のだろう。
気になるけど、今のナツには訊けなかった。
余りに弱々しく、訊いてしまえばまた壊れてしまうんじゃないかと思った。
「…明日は、学校、行く」
「頑張ろうね」
それでも前を向こうとするナツは成長したんだと思う。
僕はただ、逃げ場所になれたらいい。
再発はしなかった。
でも、その代わりに引きこもった君に。
僕は何もしてあげれない。
小さな頃を除いては、初めてかもしれない。泣きながら帰って来たナツ。
理由を訊こうと思ったけど、光の如く部屋に走って行ったから、訊けなかった。
状況はなかなか悪くて。
夕飯の時間になっても部屋から出てこない。
寝る前も、顔を出さなかった。
心配であまり眠れなくて、朝一番でナツの部屋に向かうとドアに張り紙がしてあった。
「しばらく籠ります…かぁ」
思わず口にして、溜息を吐いた。
原因は分からないけど、あの時みたいにならなければ、良かった。
もうあんな思いはごめんだ。
それから3日、ナツは物音も立てず、顔を出す事もなく、母さんに聞けばご飯も食べていないらしい。
学校を休むまでは許容範囲だったけど、それは頂けなかった。
「心配ねぇ…」
「僕、見てくるよ」
母さんを安心させたかったし、何より自分が安心したかった。
僕はナツの部屋のドアをノックした。
静寂しか返って来ないのを肯定と取って、ゆっくりドアを開けた。
「ナツ?」
声を掛けるけど、返事はなくて、ベッドを覗いたが姿はなかった。
ふと動く、何かに気付いて目線を動かせば、愛用の電子ピアノを弾くナツが目に入った。
ヘッドホンで世間を遮断して、自分の世界に入り込む。
それがまるであの時のようで、慌ててナツの肩を叩いた。
驚いたように、こちらを振り返ったナツ。
何か言いたそうだったけど、ヘッドホンを外して、ごめん、とだけ呟いた。
「…勝手に入ってごめん」
僕も謝罪の言葉を伝えれば、ナツはゆっくりと首を横に振った。
「ご飯、食べに行こう?」
宥めるように、励ますように、ナツの背中を撫でる。
弱々しく頷いたナツに、少しだけ安心感。