唇にむにっと指を当ててみた。
あの時やっぱりキスされたんだと、自覚する。
「宇宙」
名前を呼ばれて振り返ると、幸村さんが片手を軽く上げていた。
「こんにちは」
「うん。よく眠れた?」
「? はい」
「そっか。よかった」
今日に限って睡眠について訊かれた。
特段変わった事もなかったので、流したんだけど、幸村さんの表情は浮かない。
「幸村さん、何かありました?」
「あれ、顔に出てたかな」
少しだけ寂しそうに言う幸村さんに、検査の結果がよくなかったのかな?とか、良くない事が浮かぶ。
「…宇宙がそんな顔しないで」
「え?」
気付けば、私が神妙な面持ちになっていたらしい。
いつもみたいにふふっと笑った幸村さん。けどやっぱり何処か寂しそう。
「実はね、退院が決まったんだ」
「え!おめでとうございます!」
「…それが素直に喜べない自分がいてね」
「なんで!?せっかく普通の生活に戻れるのに!」
「…宇宙」
前のめりになってしまう身体と、気持ち。
幸村さんが、くしゃりと私の髪を撫でる。どうして退院するの嬉しくないのかな。私にはサッパリだった。
そしたら、幸村さんは意外な言葉を紡ぐ。
「退院したら、宇宙ともこんな風に頻繁に会えないだろ?」
「え?…そうですね」
「それが寂しいんだよ」
寂しそうだったのはそれだったのか。合点がいって、それでも首を傾げる。
「幸村さん」
「なに?」
「私なんかより、生活に戻れる事を喜んで下さい」
やっと、庭球できるんですから!
そうガッツポーズをしてみせると、やっぱりふふっと笑う幸村さん。
「宇宙は強いね」
「え?」
「…なんでもないよ」
また髪を撫でられて、自然と目を閉じてしまう。
幸村さんにこうやって撫でられるの好きなんだぁ。こんなの幸村さんのファンに知られたら恨み買っちゃうよな。
「宇宙は寂しくないの?」
「幸村さんが退院する事ですか?」
「……いや。今の忘れて。ズルい事訊いた」
「私はハッピーですよ!幸村さんがまた庭球できるんですから」
ただ、私はその姿を見る事は出来ないけど。
そう思うと少し寂しいけど、幸村さんが大好きだった事ができるのなら、それでいい。
「宇宙…」
「ぶちょー!!」
幸村さんが何か言いかけた時に遠くから男の子の声がした。
部長って幸村さんの事だよね。
多分、面会の人たちだ。私は邪魔にならないように退散しようとしたら、幸村さんに車椅子の取っ手を掴まれて、叶わなかった。なんで?
「赤也、病院では静かにしろ」
「ふふっ、相変わらず元気だね」
わやわやと何人かの男の子のたちが幸村さんのところに集まってくる。
ジャージ姿って事は、部活の人たちかな。
今度こそ、と車椅子を動かそうとしたら、最初に幸村さんを呼んだ声が私に気付いた。
「部長、その人は?」
「あぁ」
それをキッカケに、男の子たちの視線が私に向く。
うわ。すごく気まずい。
「この子は笹木宇宙ちゃん。俺の病院仲間だよ」
そう紹介されて、思わず頭を下げると、男の子たちも自己紹介をしてくれた。
真田さん、柳さん、切原さん。
どうにか名前を覚える。幸村さんの部活仲間らしい。
なんだか、切原さんにしげしげと見つめられて目を合わせれずにいると、彼は突然声を上げた。
「そうだ!シグマのソラ!」
「えっ!」
「やっぱそうだー」
「赤也、どうしたの?」
「あぁ、この人音楽やってる人っすよ!」
うわー、有名人初めて見たわ。
なんて言い出して、私は大変気まずい。
3人の刺さるような視線に、耐えられそうにありません。
「…そうなの?宇宙」
「あー…はい」
皆の視線から逃げるように下を向くと、また頭を撫でられる。
「赤也が先に知ってたのには妬いちゃうな」
「俺たちはそういうのには疎い方だからな。俺も情報不足だった」
「まず、名前を呼び捨てなど、たるんどる」
それぞれが口を開くから、混乱していると切原さんは真田さんから逃げるように、私の後ろに隠れる。
すっごく気まずい。
「真田、宇宙を睨まないでやってくれるかな」
「そんなつもりは…」
「ほら怯えてるじゃないか」
「あ、いや私は」
大丈夫だと、大丈夫じゃないけど伝えようとしたら、真田さんに謝られた。
いや、そんな!
それから、差し入れだとスイーツを持ってきていた真田さんたちは、4人分しかないそれをみて気まずい事になった。
別に気にしなくていいのに。
真田さんたちの登場で、幸村さんの寂しさも紛れたよ…ね?