厚く積もった雪を踏むたび、繋いだ手がバランスを取るように上へ上がる。手袋越しの指先には、そのたびぎゅっと力がこもった。空いたほうの片手で、スカートの裾をたくし上げて、彼女は通りを見渡す。
「綺麗だね」
 彼方まで広がる雪の道は、昼を間近にした日差しに照らされて、眩しく照り輝いていた。夜の間に積もった雪が表面だけ解けかかって、薄く透き通った氷となり、石英の断面のような透明感を放つ。屈んで手のひらで触れると、赤茶の手袋に朝露のように吸いつき、ゆっくりと解けていった。彼女のたくし上げきれなかった裾にも、同じ光の粒がついている。
「足跡がほとんどないな」
「町の人たちはいるけど、観光の人が見当たらないもんね。あの天気じゃ、船も止まってたし当然か」
「そうだな。こうも静かだと、なんだか昔の町に戻ったみたいだ」
 そっか。俺の言葉に、彼女は同意とも否定ともつかない言葉で返した。それを訊いて、ああ、と思い当たる。彼女はあまり、ひとけがなかった頃の町を知らないのだった。
 そう考えると、彼女がここにいること、それ自体が、なんだかあの頃とは違う証明みたいだな、と思う。くすりと笑った俺に気づかず、ミノリは通りすがりの家の塀に積もった雪を掬って、小さな雪だるまに変えてそっと戻した。
「ミステルが驚くぞ」
「でも、イリスさんはこういうの好きそう」
 ああ、確かに。誰がいつ残していったのか、誰にも分からない雪だるまなんて、あの人が見たら「お話みたい」と喜びそうだ。とはいえ、いつも窓辺で小説を書いているあの人のことだから、実はもう一連の秘密は覗き見られていたりもしそうだけれど。
 どうかな、と窓を見上げたが、中の様子は分からない。今日はどこの家も、寒さにカーテンを厚く閉めている。
 今までならきっと、俺だってそうしていた。でも、今は。
「えい」
「っ! こら」
「あはは、冷たかった? 雪だるま作ったら冷えちゃった」
 今は、窓の外側で子供みたいに歩き回っている。早朝、電話が鳴ったときは誰かと思ったけれど。ねえ外見た? という声があまりに弾んでいたから、ああ今どんな楽しそうな顔をしてこの電話の向こうにいるんだろう、と会いたくなって、気がついたら一緒に散歩しようと返事をしていた。
 きっと、こんな顔をしていたに違いない。
「まったく、本当に冷たいな」
「わっ」
 手袋を脱いで首筋に当てられた手を、捕まえてコートのポケットに押し込む。バランスを崩して寄りかかってきた肩を抱きしめると、驚いたように開かれた目が、白い空を映して明るく光った。
「あの、レーガ」
「ん?」
「ここ、外……」
 おずおずと、ポケットの中で掴まれたままの指先が動く。もしかしてそれで逃げ出そうとしているのだろうか。ささやかな抵抗すぎて、ちっとも本気に思えない。知ってるよ、と返せば、紅茶色の目はいっそう大げさに丸くなった。
 誰もいないね、と話したのは、つい先刻のことなのに。
「仕返し」
 それでも、俺が身を屈めると、覚悟したように伏せられる瞼が可愛い。重ねた唇は二人ともひやりと冷たくなっていて、帰ったら鍋の中のスープを温めよう、と思った。
 世界はこのときが、永遠に続きそうなほど、静かに輝いている。



スノウライト