2013-5-29 21:03
ひとつ、大変大馬鹿者の話をしよう。
今年新採用になった人間が4月中に二人、逃げるようにやめた。
どちらも小学校だという。私が受けて不合格になった試験に受かった人間が二人、ほんの1週間かそこらで教員を諦めたのだ。受かったくせに、やめるなら何のために受けた。
私は憤った。もしももしも、そいつらに面と向かって会うことがあったなら、殴りかかることを止められなかったことと思う。苦労して合格したんだろう。なぜそうも簡単に手放せる。
どうしてもう少し頑張ってみようとは思えなかった。まわりはそんなに薄情な人ばかりだったか、先生先生と寄ってきてくれる子どもは可愛くなかったか。私には到底理解が出来ない。苦しみがあれば、その分喜びはひとしおだっただろう。どうして坂道の途中で登るのをやめてしまったのか。
でも私にはわかる。多分耐えきれなかったんだろう。全てを背負う重圧に。小学校教員なら、一クラスまとめて全部自分の責任だから、きっと耐えられなかったんだろう。だから、逃げ出してしまったんだろう。
ひとつ、大変未熟者の話をしよう。
知識も経験も足りないくせに、科目を三つも持つことになった女の話だ。
出来ることと出来ないことを天秤にかけたとき、きっと出来ないことの方に傾くことだろう。知っていることと知らないことを天秤にかけたとき、知っていることを高く天秤は掲げるだろう。
1次試験にすら受からなかった、大変な落ちこぼれだ。ところがどっこい毎日楽しく学校に行っている。こんなに毎日楽しくて、こんなにお金をもらっていいんだろうかとヘラヘラしている。
小学校と中学校の違いはあるだろう。都市部と僻地の違いもあるだろう。でも、多分そんなのは瑣末事だ。わからないなら聞けばいい。出来ないなら頼ればいい。そうして子どもと共に学んでいく、それだけでよかったのに。
試験に受かってゴールじゃない。ゴールなんてない。満足して立ち止まったとき、そこが限界にはなるかもしれないけれど。
そもそも大学出たての卵の殻をかぶったひよこもどきに何が出来る。出来なくて当たり前なのだ。開き直ってしまえ、開き直っても罰は当たらない。出来ないことを出来ないと言って何が悪い。子どもにだって言うだろう、「失敗したって出来なくたっていいんだよ、これから出来るようになれば」
そんなの大人だって同じだろうに。
暑寒いポエム調でお送りしました。
正直未だに腹立ってますけど、今はちょっと哀れみの方が強い。詳細はわかりません、もしかしたらとんでもない能なしの阿呆んだれだったのかもしれないし、教師に夢見すぎて早々に潰れちゃった生真面目さんかもしれないし。
ちなみにとんでもない未熟者は私のことです。まぁわかるな、うん。
技術の授業でハウス栽培するんだけど、所詮都会育ちのもやしっ子ですよ。土の起こし方もハウスの立て方もわかるはずもない。ネットで調べようが本を読もうが、所詮は付け焼き刃だ。ならばいっそ、詳しい人を頼ることにしました。えぇ、スーパー公務補さんと栽培を教えるはずの生徒です。
ははは、情けないとか聞こえないー。わからないことはわからないの!わからないことを教えてもらうのは教師だって一緒!教師だから何でも知ってるとか、んな訳あるか!とまぁ、そんな感じで明日の私は一生徒です。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥って言うし?それで自分の者にしちゃえば万事オッケーでしょ、と言うわけで。
クラス一個背負うのが身に余るなら、軽くなる方法を聞けばよかったんだよ。
全部放り出して逃げ出す前に、助けてって一言言えればよかったのにね。
先生は失敗しないとか、先生は恥書かないとかなに寝言言ってんの。間違うし、失敗するよ、人間だもの(みつを)
教師だからこそ、失敗を失敗にしない、恥を恥と思わない生き方を示してあげなくちゃ駄目だと思うんだ。
転んでも挫けても諦めない生き方って格好いいよねっていう。