スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

掘り出し物を探す


過去に埋もれた記事第2弾。
第1弾は真面目だったから、ちょっと面白いやつを。

【2月 前の部活の顧問だった頃】

私の可愛い生徒たち

その1
両手の甲にぱっちりおめめを描いた生徒。何これ?と聞いたら嬉しそうに「これをこうする(両手で目を覆う)と、寝ててもバレないんです!」だからリアル寄りの目なのか。……そんなバカな。

その2
部活の直前「頭が悪いんで、今日の部活帰ります」と言って帰って行った生徒から「頭の調子が悪いんで今日の試合休みます」と電話をもらい、翌日インフルエンザ報告を受け取るまでがハイライト。

その3
頭の調子が悪い彼が一番に電話をしたのは、実は前顧問の携帯だったらしい。今は椎名先生に掛けなよ、と言われて「あ、じゃあ椎名先生お願いします」と一言。
一緒に住んで無いから!と突っ込まれる朝6時台。


ツイッターを始めた(と言ってもアカウントを取っただけの見る専で一切呟いてない)ので、ツイッター風に書いてみる。

目を描いた子は、たまに鼻からティッシュを生やしている。手の甲に目とか、中二病に目覚めたのかと思って身構えたら小学生レベルだった。

『頭悪いんで』は本人いたって真面目だったので笑えず、職員室に持ち帰ってからその子の担任に聞いてもらった。そして職員室が温かい爆笑に包まれた。

8割くらいは可愛くないんだけど、不意打ちの2割に和まされ、まぁいいか、という気持ちにさせられる。

載せないで埋まってる記事ってだいたい尻切れの場合が多いんだけど、これは綺麗にまとまってた。……なんで載せなかったんでしょうね?


タイムリーじゃないけど

修羅場の波に揉みしだかれ、遊び、寝込み、ばったばたの一ヶ月を過ごしておりました!文字通りリアルが充実していると、文章という形で自分と向き合う時間が取れないので、自ずとブログが放置されます。

修羅場は文字通り修羅場なんだけど、なんで文化祭前後に色々固まってんのかね!←
もうちょい分散させてくんないかな!
そして修羅場を生き延び、友達と遊んだのですが、その際かなり色々と振り回してしまったので、未だに懺悔中。相当ひどかったな、って思うの。ごめんなさい。
そしてそして、先週一週間は風邪にやられていました。1日だけ休み、あとは死んだ顔で授業だけしに学校に行った。熱出ることあまりないから結構辛かったー。10月って大体風邪ひくの。たぶん9月に無茶するからだと思う。

さて、メモを整理してたら過去に書いた文章が、いい感じの尖り具合だったので、ぽいっと載せておきます。


【8月 とある議員の失言】

「生産性がない」のは、まぎれもない事実なんだよ。セクシャルマイノリティーに関わらず、私のような結婚して子供を産むつもりのない(暫定)人間も含めてね。
だけど、それが正論だとしてもわざわざ口に出す必要はないわけで。正しければ何を言っても良いわけじゃない。どうしても自分が言わなければならない場面じゃないのなら、誰かを傷つけたり嫌な思いをさせたり、あるいは自分に矛先が向くようなことは口に出すべきじゃない。
正しすぎる言葉は時に全方向を傷付ける刃になる。言論の自由があるからと言って、無神経な正論がまかり通るわけじゃないんだ。


と、一見『生産性がない』発言に憤っているようですが、はじめに書いた通り『生産性がない』のは紛れもない事実なんだから、あっちもこっちもガタガタ言ってんじゃねーよ!が今回の自論です。

以前も書きましたが、生物としてのマジョリティはパートナーを見つけて子供を産み育て、遺伝子を繋いでいくことです。それを望む望まないに関わらず、しないあるいはできない人間はどうしたって生物としてはマイノリティで、言い換えれば異端です。それは覆せない事実なわけで。
でも、異端だからダメだとか、おかしいとか欠陥だとか、そういう訳じゃない。

生産性があろうとなかろうと、ちゃんと自分で選んで、自分らしく生きてるんだから胸を張ればいい。と思うんだ。
それじゃダメなんだろうか、世間が肯定してくれないと。肯定したら、種として滅ぶよ?
……あーなんだろ、いつもこの手の騒ぎを見るたびに、マイノリティ側が自分たちを世間に肯定させようと躍起になりすぎている気がするの。認めてもらうことは必要だ。そういう生まれ持った性質もあるし、そういう生き方もあるって。
でも、認められるのと、全面的に肯定されるのって違うと思う。少数派が否定される世間はおかしい。それは断固戦っていい。いろんな生き方があって、みんな自分らしく生きている。ふーん、そんな生き方もあるんだね、ってナチュラルに受け流される世間になったらいいと思う。だから、過剰な配慮を求めすぎるのは、腫れ物になりそうな気がしてもやもやする。

だいたい世間は多数派に合わせて作られているんだから、自分がそこから漏れたくらいでいちいち傷付いてたらやってられないよ。

ちなみに、生産性がないから援助に意味がない(意訳)の発言は余りに幼稚だし、差別だと思う。だから今回のことは全面的にあの人が悪いし、擁護する気は一切ありませんので、誤解なきよう。


以下、補足。
理解のない周囲の言葉に傷つけられることって、避けられないよ。この文章って確か、父の日とか母の日の行事に片親しかいない子供の哀しみを知って、みたいな記事を読んだことも下敷きになってたはず。
言いたいことはわかる。そういう哀しみを感じている人がいることを“知っている”ことは必要だ。だけど、正直なんかもやもやした。

配慮なんてしてもしきれないよ。だって色んな人がいるんだもん。色んな事情、色んな思想、色んな思いを抱えた人がいるんだもの。全方面に配慮したら何も言わず、何もしないのが正解になっちゃう。

そうじゃなくても、みんな好き勝手なこと言うんだよ!理解なんかしてるようでしてくれないんだよ!←

私だって、あれだけ散々修学旅行で1日目に函館山には登れないことを説明したのに(バスの運行規定上)、1日目が快晴で2日目が雨だったから、初日に登れたらよかったのにねって、言われたし、反省にまで書かれて「なんやねん!」って思ったけど!傷ついても仕方ないし、理解力ミジンコwって思って流してやったわ!(でも怒ってる)

教師だってこんな感じなんだからね!
周囲を変えることは不可能だよ。変わらない周りに憤ったり、攻撃したりするよりも、傷ついてもそれを跳ね返せるような、しなやかな強さを子供達には身につけてほしいなって思うんだよ。

ちなみに修学旅行の件は、隣のクラスの先生が分かってくれていて「あんなに説明してたのにねぇ…」って言ってくれたから、私は救われたのでした。

ちょっと話がそれたけど、配慮してほしい、わかってほしい、肯定してほしいなんて、求めてばっかりの人生は生きづらいと思うなぁ、という話。たぶん。
<<prev next>>
カレンダー
<< 2018年10月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
アーカイブ