スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

まさかまさかの本当の話


えー、友人に付き合ってもらって札幌でミュシャ展を見て、終電で家に帰るはずがなぜか帯広で一泊しました。

えぇ、降りれなかったのです。えぇ。
確かに一個前の駅までは寝てましたし、ちょっともたついたけど、ドア空いてたのほんの10秒あったかどうかですよ。

車掌さん曰く、「遅れてたんでドア空いていたの超短かったんですよね」とか。(ほぼそのまま。超って言ってた!)

私は大人なので、ぐっと我慢しましたが、ーー超短かったじゃないよ!
村民レアだけど、降りる人間もいるんだってば!

ホテル代自腹超痛い…orz
まぁ、生徒への話のネタがひとつ出来た…と思っても高いぞ、おい。

なんだろうね、ほんと。
こういう、あり得るけどあり得なくないみたいな状況に巻き込まれることが結構あります。
こういう話のネタはあんまり求めてないんだけどなぁ。


復活

 

 開き直り作戦が功を奏して、精神状態もずいぶんよくなりました。
 なんだかんだで、どんなに精神状態が悪くてもやるべきことはやらないといけないので、最低限をこなしているうちに、頑張っている自分を少しだけ認めてあげてもいいかなという気持ちに。
 ちなみに、周りの先生には「ちょっと疲れてる?」ぐらいに思われていたようです。


 今回の教訓としましては、年度当初にあれもこれもと欲張らないことですね。
 もちろん、出来るようになりたいことや、やりたいことを沢山持つのは大切なことだと思うのですが、その中でも何を一番頑張るのか、しっかり精査しなきゃいけないなと思いました。


 今回の一件があって、以前読んだ本の中の『 蕾には蕾の、花には花の、実には実の教育がある』という言葉を思い出しました。今はできないことがあります。でも一方で、今しかできないこともあるんです。あせっても何も生まれないし、自分で自分を押しつぶしてしまったら意味がない。
 と言うわけで、行き詰まったら開き直っちゃいましょう!(笑)
 『蕾には蕾の〜』と同じ本に、『悩んで解決することなどほとんどない』とも書かれていました。
確かに、どんなに探しても見つからないものが、探すのをやめた途端見つかるのもよくあることです。


 ちなみに、自分の過去の日記を見返したら、「悩んだって変わらないんだから無駄な時間は極力省きたい」とか書いてありました。そうでした、私はそういうやつでした。

 


 なーんて文章を書いて、投稿したつもりが保存されてただけでした。もう数日前から、この通り元気です。結構自分について新しい発見があったのでおもしろかったですよ。とか、終わったから言える(笑)
 ただ、自分に余裕が出来て、周りに目を向けることが出来るようになったがために、目につくというか新しく気になることも出てきました。そうしてまた、自分の感覚が正しいのか、それとも自分が細かいだけなのか悩むという←
 ただ、自惚れるようですが、去年から一緒の学年に所属している大ベテランの先生が最近、「もっと去年みたいに気になったこといっぱい言っていいから」と言ってくださって、私の感覚もそれなりに役に立っていたのかな?と思ってみたりして。


 ただなー。今気になってるのは、生徒の事じゃないんだよなぁ。若い先生方(私が一番年下なのだがそれは置いておいて)がとっても仲良しで、いろいろと精力的に動いてらっしゃるんですね。ただ最近、内輪のネタや内輪だけの盛り上がりが目につく気がして。同じ学年団なのに、私たち(私と大ベテランの先生)が蚊帳の外になっている気がする。優先順が間違っている、と思う。
 私は副担だけど、あの子たちを大切に思ってる。だから、その気持ちを踏みにじられているような気がして悲しい。前々から引っかかるところはあったんだけど、最近決定的にもやっとする出来事があってそう思った。
 なんか、仕事以上のつきあいをする人が今身近にいない私が、仕事もプライベートも仲良しなその人たちを僻んでるんだろうかなんて、自分の感情への疑いもあってなかなか言えなかったんだけど、今回は思い切って周りに相談してみたら、同意を頂けたのでちょっと気持ちも晴れた。
 まぁぶっちゃけ、僻みはあると思いますよ?楽しそうでいいなと思うときもあるもの。ただ、自分で好きなだけ研究に打ち込める今の生活も気に入ってるし、毎日じゃ疲れちゃうからたまにでいいとか思っちゃう私なので、私も中に入れて欲しいとかそんなんではないと断言できる。
 
 まぁ何はともあれ、私も結構ずるいので、打算も含め相談する人は選んでいたりする。
 自分の立場(一番年下)はわきまえているから、さりげなく種だけ蒔いておこう。

 でも相談した先生から、「今回のことは、あなたが将来学年や学級を引っ張るときに、こういうことをされると周りの先生は疎外感を感じたりするんだっていう勉強になったね」と言われて、確かにそうだなぁって思った。日々、勉強だなぁ。

五月の病



 あれ?自分もしかして5月病ちゃう?と思う今日この頃。
 4月のやる気や高揚感が維持できず、不安や焦りからやる気が起きなくなっていく……まさしく自分です。あ、でもちゃんと休み明けても仕事してますよ?気持ちは晴れないけど。

 あれもこれもで自分を追い詰めてる現状。
 2年目だからこそのこうありたい、こうあるべきが重たい。

 なーんて、結局は全部自分で作り出してる「おもり」なんですよね。
 だれもこうしろああしろなんて言わない。だからこそ、自分で戒めて、自分を教育していかなきゃいけないと思う。でも、どうやったって出来ないことがある。物理的に、時間的に。わかってはいるけれど、でも甘えちゃいけないとも思う。ここのバランスが上手くとれていない感じがする。

 中途半端にしたくない。だからできるかぎり全力を尽くしたい。
 甘えてるって言われるのが怖くて言えない。でも本音はね、もういっぱいいっぱいなんだ。3教科をどうやって教えるのかに自分を全部使ってるよ。家に帰ったらお風呂に入って、寝るだけだよ。お風呂に入ってる時だって、教科のこと考えてる。買い物してたって、教材になりそうなものを買ってしまうんだ。これ以上、求めないで。求められたって、今は出来ない。

 新しい先生が、部活のあり方を変えようとしている。それはたぶん至極まっとうで、今まで1人の先生に押しつけてきたツケが回ってきてるだけなんだ。でもその熱量も、いろいろな思いも、それは自分のものじゃない。だから、自分を動かすものがない。
 そんな自分を 身勝手な人間だと思うから、頑張らなきゃと思う。でも今は、頑張るだけの余力がない。それもまた、自分の処理能力が低い気がして落ち込む。
 頑張ってるよって、自分を認めてあげたい気持ちと、もっと頑張らなきゃって自分を戒める気持ちと。そのバランスがとれない。

 大人になったら、周りはそう簡単に褒めてくれません。それが当たり前。だから、自分で自分を適切に評価してあげなきゃいけない。認めるところは認めて、戒めるところは戒めて。肯定も否定も自分の中にある。飴と鞭を使い分けるのは自分自身。


 とまぁ、理屈はわかっているのだけど。自分を肯定する言葉が出てこないあたり、自分も立派な適応障害(5月病)なのでしょうね。2年目のジンクス?去年は何が必要なの か、何が出来ていないのかすらわからないから、落ち込みようもなかったってのもあるのかな。そういう意味では成長しているのでしょうけれど、成長した気がしない不思議。

 ぼちぼち頑張る。
<<prev next>>
カレンダー
<< 2014年05月 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
アーカイブ