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精神面がちょっと不安定。
どうにかして安定を図りたいのだけど、次から次へともやもや。
弱い子を、そういうもんだって認めてあげられない。だって同じように忙しい中、ちゃんと頑張っている子がいる。嫌なことにも逃げずに向き合っている子がいる。それなのにどうして、自分に甘くて逃げてばっかりの子を「しょうがないよ」って包んであげられるというのだろう。どうしたって私には出来ない。
きちんと向き合って、それでもどうしても出来なくて妥協するのは逃げじゃない。これ以上やったら壊れてしまう。そう思って立ち止まったりするのも逃げじゃない。でも嫌なことから目を背けて、背を向けて、一歩も前に進めないのは逃げだ。逃げて逃げて、逃げ切れるならそれも良いさ。でも、自分から背を向けたものはどこまでもどこまでもついてくる。必ずどこかで向き合わないといけないんだって。
自分が選んだことなら責任をとれ。それが本当に正しい選択だったかじゃなくて、選んだ後にどう行動するかで価値は変わるんだ。
やるべきことをサボったなら、どこかで死ぬ気で頑張って取り戻せ。楽しく遊んだなら、その分やるべきことはやるべきだ。
自分が手を抜いて受けた叱責なら甘んじて受け止めろ。悔しい気持ちを次に生かせばいい。
自分を取り巻くものすべてを逃げ口上に使うずるさが、私はたぶん許せないんだろう。清廉であれなんて思わない。だって私もずるいもの。
ずるいから、自分の選んだものを全て間違いにしたくないんだと思う。間違いにしないように手を打つし、出来る限りのことをやる。考え方を変える。まぁそれだって諸刃の剣で、昔から頑なで頑固な子だと言われ続けた要因はそこにあるんだろうな。とはいえ、後から振り返ってもっと賢い選択を認めることも出来るようになったし、昔よりは柔軟性を身につけたと思うのだけど。
だってさぁ、世の中絶対の選択なんてないんだよ?最良に違いないって思って選んだら、思わぬ落とし穴があったり、賢い選択ではないよなぁと思っていたら思いがけず幸運に恵まれたり。どんなに頑張ったって認めてもらえないことだってあるし、頑張らなかったことが認められてしまうことだってある。そんな理不尽で運任せな世の中だからこそ、自分の選択を最良にするだけの努力をしないと結局苦しむのは自分なんだって。もちろんたった13年ぽっちしか生きていない子供にそれを分かれなんてそんな無茶は言わないけれど、その子の逃げてばっかりの弱さを受け止め続けていれば本当にそれで良いのかなぁって。
とまぁ、ここまで答えのない自問自答だった訳なのですが。
この件に関しては担任の先生と話が平行線でいっこうに交わらないので、私ぺーぺーだし、担任の先生はベテランだし、尊敬してるし、私間違ってんのかなーとか、心狭いのかなぁとか、ちょっと泣きそうだった。で、今、本当に今気がついた。指導タイプが違うんだ、きっと。私はまだ本当にぺーぺーだけど、思考が父性型教師に近いんだと思う。私は悪いことは悪い、ダメなことはダメだって思う。不可抗力じゃない限り、そこにどんな理由があっても。だけど担任の先生は多分母性型教師で、それよりもいま目の前にいるその子の精神的安定を第一に考える。例えどんなにずるくても、甘えていても。
どっちが正しくてどっちが間違ってるとかは多分ない(ぺーぺーのくせにおこがましいとは思うけれど)
ただ、父性型の考え方は強者の理論らしい。母性型は弱者の理論だとも。
私は結構弱者側だと思ってたからびっくりした。だって、しょうもない中学生だったし。弱い子の気持ち分かると思ってたんだけどなぁ。
生徒を簡単に変えられるなんて思ってないのもホント。好きなだけ迷って困って試行錯誤すればいいと思ってるのもホント。そんな環境でありたいと思うのも本心。だけど、嫌なことからすぐに目を背けて逃げ出すばかりの子をどうしたって許せないのも本当なんだ。どうしたもんかね。
性 別 | 女性 |
誕生日 | 10月31日 |
職 業 | 夢追人 |
血液型 | B型 |