【小さなヒントが大きな問題を解決する】

 気功の訓練の中でも重要な柱の一つである「小周天」を体感を伴って出来るようになったのは、僕が気功を習い始めて6、7年が経った後だった。
  それは勿論、僕の感覚が悪いとか不器用だからという理由ではない。
  その当時は、基本になる気の感じ方、意念の意味、意念の向け方などに対して、理論的な説明や技術を伝えられる人がいなかったのである。
  それも、当時の指導者達のせいではなく、気功の訓練に対する理論が構築されていなかった、その段階になかったからだ。
  小周天というのは、気(気感)を尾骨から体の後ろ側で上げていき、頭頂部から額、鼻と下ろし、舌でつないで口あたりから恥骨に向かって下ろし、それを会陰、肛門を通して尾骨に回し、それを繰り返す、つまり、体幹部で気を楕円形に回すという訓練法なのだ。
  それを、当時は、督脉で上げていき、任脉で下ろすという具合に指導されていたのだ。
  それは勿論、間違いではない。
  しかし、鍼灸師として経絡を勉強していた僕にとっては、かえって邪魔になったのだ。
  これは鍼灸の養成学校や経絡学の問題でもあるのだが、経絡を皮膚表面の線で教えているからだ。
  経絡上に存在する経穴(ツボ)は、鍼灸的に見れば小さな一点、まさに針の穴のような小さなポイントに過ぎないのだ。
  だから、その経穴をつなぐ経絡は細い線になってしまう。
  そんな細かな皮膚の感覚を感じなければ気を通すことも小周天もできないということになる。
  そんな風に考えていた訳だから、僕は小周天が出来なかったのだ。
  それを解決する別の発送を教えてくれた人がいた。
  それは、気功の先輩で女医さんだった人だ。
  彼女が何を教えてくれたかと言えば、気功における経絡経穴の考え方だった。
  気功、特に養生気功、保健気功においては東洋医学の理論を基礎においているので、意守法でも貫気法、採気法でもツボの名前を用いている。
  意守湧泉だとか労宮だん中貫気法だとか、命門呼吸とという具合だ。
  しかし、それだと、先ほども書いたが小さな一点や細い線としての理解になってしまう。
  だから体感が難しくなる。
  そこを突破する考え方を彼女は教えてくれたのだ。
  「和気さん、だん中と言ってもね、二つの乳首を結ぶ真ん中の点ではなくてね、そこを中心にした丸く広がった面なのよね。」
  その彼女の言葉が全てを解決してくれたのだ。
  だん中に気のボールを押し当てて「意守だん中」をする場合、経穴としての一点を感じる訳ではなく、面としての皮膚を体感していけばいい訳で、しかも、それは皮膚の内外を含めた立体的な感覚になるのだから、その立体的なボールのような感覚をそのまま上げていくと、顔の中と顔の外とで一つの立体的な空間になるから、そこから、その空間的な感覚を垂直に下腹まで降ろしていけば、顔の形や督脉と任脉をつなぐ舌の感覚や顎の形などといった、僕が苦労していた問題も全て解決したのである。
  このように、難しく感じていた気功の技も、ほんの小さなヒントによって解決することがあるのだ。