気功の山の登り方・山小屋?
?、気功は禅の一種です
「気功とは何か、何をすることなのか」という僕の探究の道を振り返り、広い意味での現時点での認識の二つ目は「気功は禅の一種です」ということになるでしょうか。
気功は如何なる場合にも気の感覚の体感と気の巡りを誘導する穏やかで滑らかな動きと呼吸を三位一体として調えていき、入静状態を獲得していく訳ですから、その取り組みは「禅」そのものと言えるでしょう。
しかも、入静状態において、体内の「ふぁんそん感覚」を越えて大きく広がった「空の体感」ともなれば、般若心経の一節である「空中無色…以無所得」の実践的体感そのものと言えるだろうと思えるのです。
「空に中っては、肉体は無になっており」から始まり、精神的活動も視覚や聴覚などの五感もそれに用いられる意識も、感覚によって認識される外部の光や音なども、釈尊の説いた様々な教えも総てが無の状態になっており、以って、無所得の状態になっているのだと説かれているんです。
ここで言う無所得とは、収入が無いという意味ではありません。
仏教的な意味で「主観と客観の区別がなく、あれこれと思い図ることのない自由な境地」という意味なんだそうです。
皮膚感覚が薄れ、外と中の境目がなくなり、何ものにも囚われず、何ものにも振り回されることのない静かな境地、それが気功における「空の体感」てすから、それは正に無所得の境地と同義語だと言えるでしょう。
そして、それが観自在菩薩の修行だとすれば、私たち気功の練功者は観自在菩薩として気功に取り組んでいくのだと自らを戒める必要があるんではないでしょうか。
そういう心境での気功的な実践は、更なる禅の高みへと導いてくれるのだと思います。
【タントウしてみよう!】気功の山の登り方・25
足の裏で床を押す力が骨盤を動かすという動き、即ち、骨盤は足の裏の力によって動かされるという動きは身につきましたか?
今回は、前回に引き続いての練習になりますので、足の裏でポーンと床を押し骨盤の山なりの左右移動をしばらく続けましたら、どちら側でも構いませんが、骨盤が降りた後、今度は骨盤を上げずに、腰を落としたままで骨盤が平行に滑るような感じで左右に移動するようにしてみて下さい。
足の裏で床を外に押すようにするんです。
その時に、膝が内側に入ってこないように、股を張っておいて下さい。
そして、その動きをしばらく続けてから、ゆっくり真ん中で止まっていくようにします。
動きが止まった時、膝が足の甲の真上に来るようにし、爪先のラインよりも前に出ないようにします。
上から見た時に、膝の向こうに足の指や靴の先が見えるくらいにすると良いでしょう。
そこからです、大事なのは。
臍の真後ろの腰椎を後ろに押し出すような感じにするんです。
腰が反らないようにして、背中(肩甲骨の間の胸椎)からお尻(仙骨)までがストンと真っ直ぐになるようにします。
第二腰椎と第三腰椎の間を命門と言うんですが、そこが開いたような感じになりますので、この作業を「命門を開く」と呼びます。
さて、命門を開いたら、体が前傾しないように真っ直ぐ起こし、腰を落とすように力を抜いて踵に体重を降ろします。
この腰から下の構えと体重の落とし方を含めて「タントウ」と言います。
最初に練習しましたスワイショウによる肩の力の抜き方と、今回のタントウによる腰の落とし方が気功による自然体作りの基本的な取り組みになりますので、スワイショウと共に、今回のタントウもよく練習するようにして下さいね。