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気功の山の登り方・山小屋?

気功の山の登り方・山小屋?

 「気功とは何か、何をすることなのか」という僕の探究の道を振り返り、まず、広い意味での現時点での認識を述べてみます。

 言葉にすれば、「気功は人生の師であり友である」、「気功は禅の一種です」というのが僕の認識になるでしょうか。
 その点についてお話してみます。

?、気功は人生の師であり友である

 ご存知のように、釈尊最後の教えとして「自灯明、法灯明」というのがあります。
 釈尊亡き後、自分たちは何を頼りに生きていけば良いのかという弟子の問いに答えて釈尊は
「自らを光とし、自らを依り処とせよ!
 法を光とし、法を依り処とせよ!
 他を頼ることをやめよ!」
と答えたということです。
 修行して自らの人間性を磨き、その作り上げてきた自分を信頼し、そこに足場を置いて生きていきなさいということでしょう。
 法というのは「法則」とか「真理」という意味です。
 気功的に考えれば、気功を学び深める手順である「放鬆→意守→貫気→採気→練丹」に従って気功を続けながら、気功の三要素である体と心と呼吸を統一的に調え、入静し、日常的な入静の状態と境地を獲得し、自然体、平常心で物事に当たり、生きていける自分を作っていくということになるでしょうか。  生理学的に言えば、動きや皮膚の感覚である体性感覚によって体内の状態を体感することによって、意識レベルの脳の活動が抑制され、脳波はβ波からα波に移行し、雑念や様々な精神的な動揺が薄れてくると同時に自律神経も交感神経優位の状態から副交感神経優位の状態に移行し、そのことに因って毛細血管が拡張することで皮膚や体内が温かくなり、その温かさに没頭して練功していくことで、β−エンドルフィンやドーパミン、脳内セロトニンなどが分泌され、痛みが緩和され、心地よさの体感が現れ、固まっていた心がゆるみ、執着心が薄れてくるのです。

 そして、そんな風に変わっていく自分に依拠して生きていけるようになるのです。
 気功は、このような役割と意義を持っているが故に、人生の師としての導きを得ると同時に、人生の友として常に自分を高めていってくれるということなんです。
 三要素と入静、体性感覚による体内感覚の体感とそれへの没頭という気功の法を依り処にして自らを光とすべく、練功していくことが出来れば、他を頼るという不安定な人生から脱皮出来ると僕は考えています。

?、気功は禅の一種です
(山小屋?につづく)
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