【自然体で生きたいよね・2】
(四)
自然体とはどういう状態なのかについて考えてみます。
僕は、次の三つの状態が重なり合った状態だと考えています。
その状態とは、
? 肩の力が抜けていること、肩肘を張っていないこと。
? 体の重みが下半身に降りていること、地に足が着いていること。
? 気が丹田に降りていること、肚臥据わっていること。
の三つです。
常にそういう状態を保っているというのではなく、思った時に、それらの状態になれる、そういう状態の体にすることが出来るということが大切なんだと思います。
(五)
肩に力が入っていては、自分の能力の半分も発揮できないでしょう。
それはスポーツや芸能などの試合や競技会、発表会などでの選手や出場者の状態を見れば明らかです。
肩の力の抜き方を身につけている人は、事に臨んで自然体で立ち向かっていくことが出来ると思います。
地に足が着いていないという場合は、気が上がってしまい、その場の的確な状況判断が出来ず、ただうろたえてしまうことになってしまいます。
正しい判断が出来るためには、体の重みを下半身に落とし、地に足が着いている状態を作ることが必要なんです。
自然体で生きるということは、肩に力が入っておらず、不必要な緊張はないけれど、ふらふらと流されるままに生きるということではないんです。
また、気は丹田に降りていることと書きましたが、それはいつでもそうしておかねばならないかというと、そうではないんです。
柳生宗矩が沢庵に訊ねます。
「真剣勝負に臨んで、気は何処に置いておくべきか?(丹田に置いておくべきか?)」
沢庵は答えます。
「気は何処にも留めるな。
手を用いる時には、気は手に行き、足を用いる時は、気は足に行く。
気は用いるべきところに行くのであって、何処にも留めてはならない。」
これは達人の域の話なので、僕のような凡人には難しい話ですが、具体的な例を上げて考えれば解りやすいかも知れません。
落合が、松井が、イチローがバッターボックスに立ちます(古い話ですみません)。
彼らは肩の力を抜き、しっかりと地に足を着けて構えます。
しかし、気を丹田に留めてはいません。
気は投げるピッチャーを見る目に行き、投げられたボールを見る目に行き、それを打つための体や手の動きに行っているのです。
気を丹田に固めていては、手は出せないし、足を一歩も前に出すことは出来ません。
普段は気は丹田に収めているのだけれど、必要な時には、そこから自由に解き放ってやることが大切なんです。
(六)
肩の力の抜き方を覚え、地に足を着ける体の重みの落とし方を覚え、気は丹田に収めながらも自由に解き放つ技も覚えてこそ、自然体で生きていく術を見につけられるのです。
そして、これらの技を体感を通して身につけていけるのが、〔ふぁんそんテクニック〕と〔体感テクニック〕を備えた〔和気の気功〕なんです(またコマーシャルしちゃったよ!)。