《体内感覚をたいかんするために・2/気功の山を歩こう!》

【体内を如何に体感するか】

(三)
 〔気功流手当法〕だけでは、意守法をものにするには困難がある。
 気功で言う〔意守法〕というのは、手当てなどの媒介手段を用いることなく、意念(気持ち)を持って行くだけで、その体内の部の気の感覚を体感するという技だからである。
 掌を当てて体内を体感するということと、気持ちを向けるだけで体感するということの二つの間には大きな隔たりがあり、その間を埋めるための練習が必要なのだ。
 それが〔ふぁんそん流手当て法〕と〔気のボール当て〕である。


(四)
 〔ふぁんそん流手当法〕というのは、〔気功流手当て法〕の中で、掌が当てられた部位の皮膚から皮下、体内にかけて、温かな感覚が染みこんできているという感覚が体感できてきたら、掌を皮膚から離して体感してみるという練習法だ。
 手を離して、気持ちを、いま感じていた皮膚から皮下、特に体内の感覚に持って行き、同じような感覚が再現できるかを確かめていくという練習なのだ。
 掌を当てて体内を体感するという〔気功流手当て法〕の中で感じてきた体内感覚を感じるのは、体性感覚によって実際に感じている訳だから、それはイメージではなく実際の肉体的現実なので、その感じているところに容易に気持ちを持って行くことが出来るようになり、これが脳からのフィードバックを可能にしていくのだ。
 掌を当てて、体内感覚が感じられたら、掌を離して、感覚の再現を練習していくこの〔ふぁんそん流手当て法〕は、体性感覚を開発していく大切な取り組みなのである。



(四)
 〔ふぁんそん流手当て法〕によって皮膚から皮下、体内の感覚が少しなりとも再現できるようになれば、次は、掌を当てて練習するところから一歩進んで、最初から〔気のボール〕を当てて練習してみるとよい。
 例えば、〔気のボール〕を作って胸板に押し当てるようにし、意念を胸板の中に持って行くのだ。
 〔ふぁんそん流手当て法〕で体感できた体内感覚が再現されて来るだろう。
 そして、更に、これまでにない感覚が現れてくる。
 それは、掌から胸板までの空気と胸の中の感覚が同化していき、まるで〔気のボール〕の三分の一から二分の一、三分の二くらいまでが体の中に入っているというような感覚である。
 すると、外と中を隔てていた胸板のバリアが消えていくのだ。
 この外と中を隔てている皮膚感覚、肉体感覚が消失していくという感覚を体感することが、これから先の貫気、周天、採気などという本格的な気功の山を登っていくための必需品なのである。
 ここで、やっと五合目辺りだろうと思う。