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人間関係について


ちょっと気になったので。

何に対して思ったのかと言いますと、ツイッターでフォローさせて頂いてる方お二人の会話が目に入った事です。
まず、挨拶をしろ、感謝の言葉は言え、というのが概ねの内容だったのですが、その中には声が小さいや、絵の感想にタメ口は…というものでした。
最低限の挨拶や感謝の言葉は大事と思うのですが、絵の感想って挨拶から始まって敬語で伝えるものでしょうか?
私には、うまい!好き!だけで十分だと思うのです。
それ以上を求めて何になのかなとも思います。
寧ろ、何のために絵を描いているのでしょうか。
感想を貰う為に絵を描いて、その感想は敬語で言えということでしょうか。

そして、声が小さいは、それは主観的な判断過ぎではないのかな、と。
明るい方は勿論挨拶や感謝の言葉を大きな声で言えると思います。
でも、世の中には人見知りという人も居ます。
前も言いましたが、どうやら私には視線恐怖症の気があるみたいです。
とにかく人に見られているかもしれないと思うだけで緊張して呼吸すら上手く出来ないこともあります。
それを、馬鹿にしたり、治せよ、というのは簡単な事だと思います。
治す努力をしていないと勝手な判断で言うことも簡単です。
寧ろ、それが個性だとは思えないでしょうか。
個性は良くも悪くも他人から見れば様々に見えます。
明るく言えばなんでも許されますか?
よく謝る人はネガティブですか?それとも気を使えて謙虚な人ですか?
捉え方は人それぞれです。

私はツイッターなんて遊び場で、フレンドリーに行きたい人です。
寧ろ、会社ではない場で趣味の人と和気あいあいと喋る場だと思っています。

しかし、それが嫌な人が居る事も承知です。
機械に打ち込んでいるとっいても話している相手は人間だからです。

しかし、その一つの相違だけでこいつは…とか判断出来る程相手を知って居ますか。
大抵の人は私のことを第一印象は厳しい人だと言います。
しかし、話してみると楽観的、適当な人。
また一方では、一途やら全力だな、という印象だそうです。
他人から見れば一個体でも十人十色な印象を抱きます。

ああ、この人とは合わない。
と思う事は当然あると思いますが、だからといって全ての人間誰しもが合わないわけではありません。
寧ろ、人と接すれば接するほど合わない人間は増えて行くと思います。
その様々な人たちを受け入れることが出来て大人になっていくんだと思ってます。

しかし、私の様に風当たりの強い所に行くことが出来ない人間も居ます。
レジですら人と接する事が出来なくて、どれだけ小さな買い物でも出来るだけ通販をする場合も。
それを悪いと思いますか。
仕方ないと思えますか。

私はコメントがタメ語でも構いません。
寧ろ、こんな私のことを接しやすいと思っていただけることが嬉しいです!
物事を頼む場合は最低限の挨拶が必要だとは思います。そこは人と接する上で重要だと思いますが、絵の感想や、この日記に書かれていることへの感想程度にそんな挨拶や敬語など要らないと思います。
寧ろ、気持ちを伝えることの方がその場合は大事だと思ってます。

この書いた事は私の一意見ですが、人それぞれを受け入れることの出来る心のゆとりと器と感受性を養っていければと思います。


何を偉そうに!と思いますね、私も思います。
そして、私は受け入れられない場合が多い、とてつもない子供です。
でも、怒ってる人を見て、今日は機嫌が悪いのかな、イライラしてるのかな、という程度には自分の心にゆとりを持つようには心がけています。
そんな程度で人を嫌いになって、自分の心を負の感情でいっぱいにする方が疲れます。
適度に受け入れて、緩やかに日々が過ごせれば十分です。


グダグダと長い文でしたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
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