何もやってない


リヴァエレのプロットが終わり、その次がやる気起こらなくて…
プロット描いて満足してても、完成しなきゃなんの意味も無いのは分かってるんですが…!!やる気…!!!


それよりさっき悲報が…
私が今まで読んだ漫画で一番好きな、放課後のカリスマっていう漫画が連載してた雑誌、IKKIが休刊になったと…
一応他の雑誌に移る、という対処が為されるそうですが、これを期に終わらせ様とかされたら…本当…
今年一番の悲報だよ…
かなり特殊な漫画で、生きるとは。という自問自答を繰り返す様な漫画です。
好みが大きく分かれる作品だとは思いますが、私は大好きで、だいたいこの作品の影響を受けています。
私の作品が好きだなぁと思ってくださる方はこの漫画は確実に好きかと。
新刊が発売するのが毎年の楽しみで、生きがいと言っても過言ではありませんでした。
新刊を読む度にその日一日は立ち直れない位気分が沈むんですよね。
人生の壁にぶち当たった様な。
でもじっくり考える事が出来るこの作品が心から好きです。

人は誰しも自由に生きられるか。

今出て居る最新刊、10巻ではこんな問いが有りました。
だいたいの漫画は努力をすれば、道は開けるだの、希望は有るだの、チープな事を言います。
確かに夢が有るし、ドキュメンタリーでも結構そういう話が多いです。
でもこの漫画では、答えはノーでした。
寧ろ、描かれて居たのは結果論では有りません。過程、仮説でした。
今、スラムで生きてる人が、主要キャラを殴りつけてお金を奪って行くシーンが有ります。
そこで、「俺には出来ない、寧ろ他人から奪うことすら考えていなかった。」
スラムで生きた者はスラムで生き出来た並の知識や経験が有る。
それは、知識や経験がなければ生き残れないから。そして、そうしてまで生きていこうとする、そこに染まった時点でその人はそこでしか生きられなかった。
人の生きる自由とは生まれた場所で決められる。
そして、そこで何かを学べたものだけがスラムを出ていける。しかし、そこからまた出て行ける場所は限られている。
有名になれば成る程、自由に出歩けない事だってある。
それは生まれた場所の制限で有り、誰しもが自由では無い。
主人公達の拘束された場所から見れば、普通に生まれた人たちは自由かもしれない。
でも、その人たちですら自由じゃ無い人もいる。そこで学び、進化して行けるものだけが幅か広がるだけ。
そういう話でした。
何かをしようとすれば其れ相応の準備が要る。

人はそれぞれ生きる場所が決められてるんです。
名前がつけられた時点で、その人は○○家の○○さんなんです。

夢も希望も無いですが、何だかスッキリしたんです。
どう足掻いてもなれないものは沢山有る。
高望みをして居たわけでは無いですが、今自分にできることをしようとしたら、無限に有るわけでは無い。
まずは手近なものからやろうとすれば漠然とした、やらなければいけない事から、今やるべきではないのか?と思うものが自然と見えてきました。
そういう道しるべをくれる作品でした。

雑誌がなくなると聞いてすっっっっごいショックでしたが、連載が続くことを祈ってます。