【気づきの足跡・1/体感しながらのスワイショウ】6月26日

 僕の気功は、講師になったことで深まったと言っても過言ではない。
 講師の仕事は技や理論の中身を生徒さんに解るように、解りやすく伝えねばならないからだ。

 僕がしている腕の動かし方一つ、背骨の揺らし方一つ、気のボールの作り方一つなどのどれをとっても、教えてくれる師があった訳では無いし、どこかの本に書いていた訳でも無い。
 言ってみればオリジナルなのだ。

 その工夫の跡をお伝えしよう。

1、体感(内観)しながらのスワイショウ

 「ではスワイショウから始めましょう!」
 授業が始まると、師はこう言って腕を振り始める。
 僕も真似をして腕を振る。
 師はそれに引き続いてこう言う。
 「では、今日は七百回振って下さい。」
 僕は頭の中で数を数えながら腕を振る。
 百回になると指を一本折って、百単位で振っていった。

 スワイショウとはそういうものだと思っていた。

 しかし、ある時、一つの疑問が浮かんできた。
 別のところで師は言う。
 「気功をしていると脳波はα波になります。」
 「入静のない気功は気功ではありません。」

 物事を論理的に考え、納得できないと動けない左脳人間の僕にとっては、数を数えながらのスワイショウとα波の脳や入静の状態とは相容れない、どちらかと言えば矛盾するものだったのだ。

 どうすれば入静し、脳波をα波にしていくスワイショウになるのだろうか。

 そして、有る時、その問題を解決する「気づき」に出逢ったのだ。

 僕は喫茶店を目指して街を歩いていた。
 手には何も持ってはいない。
 何だか腕が軽い。
 そして、ハッと気づいたのだ。
 腕は振っては居ないのに揺れているではないか!
 腕は独りでに動いているのだ。
 そして、僕は歩きながら、腕が揺れているのを感じてみた。
 腕の付け根、肩関節の中の腕の付け根の揺れを漢字ながら歩いたのだ。
 そして、僕はそれまでに感じたことのない感覚を体感したのである。

 これが入静ということだろうか?

 そして僕は家に帰り、数を数えることなく、腕の付け根の動きだけを体感しながらスワイショウをしてみたのだ。
 そして、脳がリラックスし、手足の先がぼぁーっと温かくなる感覚を味わったのである。

 気功をする為には気功が出来る脳と体を作らねばならない。
 授業の最初にスワイショウをする本当の意味はここにあるのだ。
 僕はそう確信したのである。