【気づきの足跡・6/意守から貫気へ(体感の発展)
気功を習い始めて1年くらいは作品としての動功の形ばかりを覚えていた。
今も楽しんでいる元明功法、十三勢太極気功、太極気功18式、大雁功などは、この頃に覚えた気功だ。
その間に気のボールも作れるようになっていた。
また、静功が、脳(ストレスや心の乱れ)からの内臓系の解放、内臓の宇宙のリズムへの復権だと理解もした。
そして、気功の根幹としての静功を通して気の訓練に取り組み出していったのだ。
ところがである。
気のボールは作れても、体内での気の感覚が全くわからない。
意守丹田と言っても、その丹田の感覚がわからないのだ。
体内の感覚がわからなくては、意守も貫気もあったもんじゃない。
どうすればよいか?
そこで始めだしたのが「気功流手当て」であった。
これも最初のうちは、だん中や中かん、関元などの単に任脈上の経穴や、中府、期門、天枢、京門などの胸腹部の募穴などに手を当てるという、本当の意味での手当てだけをしていたのだ。
そのうちに、手の温かさが皮膚や皮下に染みこんできている感覚に気づくようになった。
この温かさが染みこんでいる感覚、これが師の言う「きのボールを押し当てた時の感覚」、即ち、体内の気の感覚に違いないと確信し、しばらくは天突(鎖骨の間の凹み)や胸板、下腹や腰などに手を当て、そこから染みこんでくるような気の感覚を楽しんだり、気のボールを作って、それを押し当てたりして体内の木の感覚を体感するようになっていったのである。
そして、ある日のことであった。
いつものように胸板に手を当てて、胸板から胸の中に現れてくる気の感覚に没頭し、静功を楽しんでいた。
そして、それが終わり、両手を膝の上に降ろした時であった。
胸の中の温かさが腕を通して掌に降りてきたような感じになったのだ。
何だ? 今の感覚は!
気が通ったのか?
そして、そこから僕の貫気法への取り組みが始まったのである。