スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

自己と他者と孤独

前々から言っておりましたが、私は「孤独」について関心があります。孤独とは何か、と。

一般的には、「孤独」って、誰かがいない事だとか、一人の状態だとかを言いますよね。実際、そういう状態を嫌がる人も多い。
現代は、純粋に一人きりになる事の方が少ないと思う。家族や友人などは当然ですが、電車や町中で全く知らない人がいたり、ネットで誰かと話ていたり誰かの日記を見ていたり……他人を感じる事がない方が少ないと思います。
だからこそ、自己だとか自分という存在だとかに目を向けようとしない。それ以外に目を向けるものがあるから。

いえ、それとも逆でしょうか。自己だとか自分という存在に対して、曖昧だからこそ、一人でいたくないと思うのでしょうか。……寧ろ、その循環?
なんらかの集団の中にいる事、何かを他人と共有している事に安堵する。他人の反応をもって、自分という存在を実感出来る。
SNSとか、このような典型かなと思うんですが(勿論、全ての人がそうだという訳ではなく、形態として、ですが)。

しかし、そのように単に誰かが一緒にいない、一人だけだという状態を「孤独」というのは、私は正確ではないと思います。
それはそれで結果的にはそのように思われますが、もっと本質的なものかと。


普段、自己や自分という存在ほど、意識されないものはないと思います。
かと言って、それがはっきりしたものかと聞かれたらそうでもない。恐らく、曖昧なものです。
自分がここに存在しているという事なんて、疑い出したら切りがない。何かと関わっている、という何かとの関係性の中でしかそれを確認する事なんて出来ない。
自分の存在、自分がここにいるということ、その理由などを考えていくと、その無意味さ、不条理さ、不安定さを思い知らされます。


人間というのは個別的な存在ですので、人と人との間には齟齬が生じます。特に、内的な、心理的な面においては。相手が認識しているものと、自分が認識しているものは同じではない。
それ故に、人間というのは、そもそもが理解し得ない。「孤独」と呼ばれるであろう在り方をしています。この在り方が、私の考える「孤独」ですね。

しかし、それにも関わらず、そのように理解されない事を「孤独」だと思い、そうではなく理解される事を人は望みます。
それは、その存在が、自己というものが曖昧で不安定だからではないかな、と。他者というものをもってしか、人間はそれを確かなものと出来ない。
だから自分という存在、自己を他人と共有して、それが確かなものだいう根拠を、安定を得たい、のかなぁ。


うーむー……まだまだ全然ダメですなー。前にもこの話題に触れたような気がしますが、あまり進歩がないですね(苦笑)
レヴィナス読んでみようかな。恐らく、何かの刺激になる筈。それよりもハイデガー?サルトル?キルケゴール?神をもった時代と比較して考えてみてもいいかも。

喪失と価値

本日の更新は、短編小説「メトロノームを響かせて」です。
怪我をしてピアニストを目指せなくなった少女の話です。プラス教師。ほんのり恋愛……になるのでしょうか。いや、恋愛未満ですね。

自分の全てを懸けていたようなものを失った時、人はどうするでしょう。それを無くした自分に堪えられず、そしてその状態が続いていくという事に堪えられずに死を選ぶ場合と、それでも尚も生に留まる場合とがあると思いますが。
後者においても、その人は生きていながらも、もう以前のその人ではないのだと思います。何故なら、自分と深く関わっていたもの、言わば殆ど自分と同意味であったものが、もうないのですから。
それはどれほど辛いものなのだろう。人は、獲得と喪失を繰り返しますが。この世にある物的なものに関わるようなものは、いずれ無くなる時が来るでしょう。それにも関わらず、そのようなものに大きな価値を与えてしまう人間の性格が……なんともなぁと時に思います。
かと言って、何かに価値を置かない生き方が良い訳がありませんが。そんなものはつまらないでしょうし、無味乾燥な生になるでしょう。

うーん、私も、文章を書く事を捨てられないと思いますね。自分の書くものと望むものとのギャップに、絶えず絶望を感じるけれど。自分から手放せはしません。
最優先事項(勉学とか寝食とか)を抜かせば、申し訳ないながら、一、二番目くらいに優先しがちです。他の小説を読んでみるとか、他サイトさまに遊びに行くとかよりも。レスは遅くはないかとは思いますが。
小説家になりたい訳ではないので、勿論、就職したらその時間は相当削られるでしょう。それだけでも、やはり考えただけで憂鬱なものがありますね(苦笑)
……そうは言っても、書けないから死ぬという事にはならないと思いますが。もう一つ大切なものがありますので、死ねないなと思う。


私が死ぬ時に、私の手には何が残っているのでしょう。最後まで、絶対になくならないものは、幸福だった記憶?その事実?(記憶は薄れゆくものだけれど)

小休止ときどき愚痴風味?

パソコンから見た日記の模様替えをしました。爽やかさがあるかな?猛暑なので、涼しさが欲しいのです(笑)
そろそろ今までのに飽きてきましたしね。携帯から閲覧の方には、変わりなくて申し訳ないのですが。
パソコンだと画像の重さなどを考えずに済むから良いですよねー。携帯向けだと、あまりに重いとなぁと私自身が思うので、基本的に画像は使いません。はい。
あった方が華やかだとは思いますが、小説サイトですしね。二の次ですよね。その反動か、パソコンサイトの方では、小説ページもあれこれこだわってますが(笑)


明日テストなんですが、どうも纏まらない。別のレポートなんか軽く5000字くらい書けそうだし、2〜3時間くらいなら集中出来るのに。
最近、思うんですが、社会哲学系は私には向きませんね。科学系も向かないけれど。興味はあれど、意外と道徳関係も向かない。
なるほど、こういう所で向き不向きが出てくるのですね。読んでいてもあまり頭に入って来ません。
うーむ……納得出来ないものは書きたくないんだけどな。集中出来なくて、ついついサイトの更新に走しりそうなのを寸止め状態です。


そういえば、一般的には……小学生〜高校生もう夏休みなんですよねー。やはり夏休みと言えば、海の日からですよねぇ。
自分にもそんな時期があったのは分かっているのですが、ついつい羨ましいなぁと思ってしまいます。そして、多分、就職してからは大学の夏休みを懐かしむのでしょうね(苦笑)
私は、8月の上旬はまだテストです。中旬辺りまで公務員試験講座もありますな。夏休みとしてあるのは、1ヶ月あるかないかくらいですかね。その間も、講座とか色々あるけれど。

……こうしてみると、うちの大学ってやる気ある感じがするのですが、どうなんでしょう。
7限(21時過ぎまで)のコマもあるし、土曜日も授業だし、昨年なんか祝日も授業あったし。私にとっては、もう当たり前になってしまっていますが。(今年は昨年よりも良い感じの時間割ですしね)
まぁ、学生の本分は勉強ですからね。頑張りましょうか。

【拍手レス】

7/19
「独特の世界観と〜」の方へ

拍手、コメントありがとうございます!
好きだとか、楽しみにしていると仰って頂けて、本当に嬉しいです。特に、世界観だとかいった作品の雰囲気は重視する方ですので。
これからも頑張りますね。ありがとうございます(*^^*)


***
拍手のみの方々も、ありがとうございます!
今年は猛暑のようですので、お体にはお気をつけ下さい。

誰もが忙しい

昨日の更新は、短編小説「世界の中心」です。
テーマは「依存」です。恋愛って、少なからず依存というものを内包しているとは思うけれど。


最近の私ですが……。やらなきゃいけない事が沢山あって、呆然としたくなりますが、でも沢山あるから呆然としてなんていられなくて。良いのだか悪いのだか、感傷に浸るような暇がありません。
感傷に浸るくらいならば、勉強するか息抜きに走ります(笑)

受験勉強が終わって解放されたー、と思ってから二年。でも、そうじゃない。私にとっての勉強は、そこで終わりな訳ではなくて。
誰だってそうですが、人生って一生がまるまる勉強なんですよね、本当。分かっていた事ですが、思い知らされます。
不愉快な訳ではないのですが。法学とか経済学とか、全く無知な状態でしたので、知らない事を知っていくという事は面白いとは思う。いつか多少かじってみたいとは思っていましたし。
……かと言って、それが良いかと聞かれたらまた違うんですが。やりたい事は他にありますからね。全然時間が足りないのに、それ以外の事なんて、とも思う。

全然足りないのですよ。そんなに私には時間がありません。余計な事をする時間なんて、人間は持っていませんよ。どれほどのものを、人はその生の中で諦めるのでしょうね?
レポートを書きながら、ああ、自分はまだまだ読み込めてないじゃないか、そこから考えを深められていないじゃないか、と思うんですよね。
それに対してみたら、やはりやりたい勉強を優先して、それだけを追求して、そうでないものは極力避けたいなぁと思う訳です。自分の学科の勉強でも、興味の薄いものは後回しにしたい。
勿論、そういったものからは新たな視点を得られるでしょうし、発見はあると思いますけれども。


……うーん。どうしてこうも、多くのものに時間や意識を取られるのでしょうね。勿論、そういう時代だと言ってしまえば、それまでですが。
努力もなしに得たものにどれほどの価値があるのか、とは思います。決して、そんなものは誇れはしないでしょう。私は私を、認められないでしょう。
なんの為かと問われたら、自分の為になるのだ、という答えが返ってくるでしょう。そりゃそうです、無意味な事などないと思います。
けれど、本当にそうなのか?と問い返したくもなる。ただ無意味な、無益な努力をする事に人は耐えられないだけなのではないか、とも考えてしまう。
勿論、いつかの努力は私の肥やしになっているし、自信になっているのですが。

やるべき事を、先伸ばしにするのは良くありません。ただ、やりたくないと駄々を捏ねる事も、腹立てる事も。
負の感情を抱くくらいならば、前向きに考えた方がずっと良いでしょうし、意味がある事でしょう。否定する事に意味はありません。
愚痴を言う事だって、勿論必要だけれども。そこに留まるだけでは意味がない。留まってなどいられる筈がないのです。
だから、私は前を向く。しなければいけない事ならば、義務としてではなく己の意志で向き合う方が、ずっといいし前向きだと思うので。

……と、結論づけます。折れそうですからね、そうでないと。泣きたくもなるし、喚きたくもなるけれど。どうしようもない事ならば、進むしかないのですから。
しかし、今からこんな状態では先が思いやられますな。バブル時代が羨ましい、ホント。考えるだけで気が重くなります。
今、まさに就活真っ最中の方、無理なさらず頑張って下さいね。
prev next