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そういえば

実は、サイトとして始めてから一年になります、今日で。
いつも当サイトへ足を運んで下さり、本当にありがとうございます。見て下さっている方がいるんだなぁと思うと嬉しいです。自分が小説好きだからというのとは別に、やはり、書かなきゃなぁ書きたいなぁって思う。
記念というか、お礼に、何かしたかったんですけどね。リクエスト承るとかアンケート設置するとか……何だかんだと考えてながら、気付けばもう、みたいな。うーん、今からでもアンケート設置したら、答えていただけるでしょうか?


本当に早いものですね。「永遠の雪を抱いて眠れ」も一年あれば書き終わってるだろうなぁと思っていたのに、まだ半分も終わっていないという。
私は、この一年で小説を書く事に関して何が出来たんだろう?そんなに作品数も増えていないし、書けていない。かと言って、一年前に書いた文章を未熟だなぁと思えど、そこまで成長している訳でもない。
やりたい事がいっぱいあった。書きたい事もいっぱいあった。でも、半分も出来ていないなぁなんて思います。

まぁ小説書く時間が少しでもあるだけ、まだまだ全然良いですけどね。マイペースに行きますよ、うん。


しかし、近年何かの節目には毎度思いますが、人生は短いですよー。20代でこんな感じなら、もっと歳とったらどうなるんだろう、本当。
中学生くらいまでは、なんて長いんだろうと思っていましたがね。若いうちは、やりたい事は最優先ですべし!です(笑)
あ。ちなみに、この現象(二十歳の人間が感じる一年が、10歳の人間の感じる一年年の半分だっていうの)の名称、ちゃんとあるらしいですよ。なんだったか忘れましたが。そうですよね、十歳の人間の一年って今まで生きてきた長さの十分の一で、二十歳なら二十分の一ですもんね。そりゃ短く感じるなぁ。


一年後も、もっとずっと先も、きっと私は言葉を紡ぎ続けるのでしょうね。忙しさで、その時間が少なくなったとしても。毎年、思う(笑)

ケーキバイキング

そういえば、先週誕生日という事でケーキバイキングに行ってきました。
ケーキとか甘いもの好きなんです。なので、あんまり行かないけど、ケーキバイキングも好き。最近行っていませんが、たまーに自分へのご褒美的な感じで行きます。
まぁ大して量は食べられない方なので、普通に買う方が断然特なのは分かっているんですが、やっぱりきらきら美味しそうなケーキが並んでるのがいいんですよねー!目で楽しい。ちょこちょこ色んなケーキを楽しめるし!

今回は、赤坂にある「36 cafe」に行ってきました。ちなみに、サルカフェと読みます。無理があるような気がするけど、何となく可愛いのでまぁいいか(笑)
平日は普通にカフェなんですが、土日祝日のみ13時以降オーダー式のケーキバイキングなんです。ドリンクバーつき。種類は少ないけどピザもある。一度に二つずつケーキを頼めます。目で楽しむタイプの私としてはちょっとあれなんですが、どうしてもね、質が高いというクチコミが気になっていて。
店売りのケーキをそのまま出してくれるんですよ。だから、質が高いし、見た目も凄く凝っていて、一つ一つ丁寧なのも当然なんですが。
美味しい。美味しいのは間違いありません。以下、誤解招きそうな事を言うけれど。

あのね、良くも悪くもケーキバイキングのケーキじゃない。濃厚なの、めちゃめちゃ濃厚なの!特に、チョコムース。頭に響いてくるような濃厚さ。甘いのは好きだけれども。
なので、私は3個半しか食べられませんでした。クチコミ見たりすると、わりと6個とか普通に食べてたりするし、12個食べた人とかもいるから、まぁ5個くらい行けるかなーなんて思ってたら、甘い!なんて甘い考え!
小ぶりで可愛いのに、すごいんですよ。可愛いのに重いの。12個食べた強者とか、本当になんなのー!と思う。



さて。私が食べたのは、モンブラン、かぼちゃプリン、チョコムース、トライフル。

実は私、これが初モンブランです。今まで栗とケーキという組み合わせが何となく許せず、とにかく避けてました。
が、美味しいですね!ただ、洋酒の味が強いです。中にクリームが入っているようで、甘いかなぁ。あと、タルトっぽいんですが、タルト生地が堅い。これはこのお店のタルトケーキ全体に言える事ですが。

かぼちゃのプリンは期間限定との事。こちらはさっぱりとした優しい甘さです。

トライフルは、日替わりで上に乗っているものが変わるようです。私が行った時はなんだったかは覚えてないんですが。

……チョコムース。これで、私は打撃を受けたんですね。とにかく濃厚なんです。美味しいんですが。ケーキバイキングでではなく、単体で食べるなら、この濃厚さは嵌まりそうなんですが。
ビターチョコとチョコの二種のチョコを使ってます。底の方に、胡桃だかナッツ系のものが入っており、これがまたムースと合ってカリカリ美味しい。

一緒に行った相手が食べたのは、ラズベリーババロア、蜂蜜とグレープフルーツのゼリー、デリス・パンナコッタ、タルトフィグ。少しずつ味見させてもらいました。
ラズベリーババロアも、ちょっと洋酒が強め。酸味もあり、甘過ぎず、美味しいです。
蜂蜜とグレープフルーツのゼリーは、とても堅い触感です。なんかグミよりも堅いかなぁ。歯ごたえがあって、意外と重い。
デリス・パンナコッタ。パンナコッタなのに、上に乗ってる(多分)生クリームの量がすごい。2:1くらいの割合なんじゃないだろうか。口直しにさっぱりしているだろうパンナコッタを頼んだらしいのに、全く口直しになっていない(笑)
タルト・フィグ。これも期間限定だったかな。無花果のタルトでした。チョコムースにやられた私にはこれでも甘かったんですが、わりと甘さ控え目なんじゃないだろうか。無花果の甘酸っぱさがケーキと良く合う。


個人的に印象に残っているのは、良くも悪くもチョコムースです。あんな風に書きましたが、濃厚で美味しかったです。チョコ好きには堪らない。ケーキバイキングではもう勘弁してくれ!という感じですが、もう一度食べたいです。
でも、あまり近くないんですよねぇ、赤坂。近所にあったら、週一回くらい買いに行くのに。
まぁとりあえず、ケーキバイキングとして行く事はもうないでしょうが。あんなに美味しいケーキなのに、その美味しさをちゃんと感じられないなんて、お店の人に申し訳ないしね。

近所で美味しいケーキ屋さん探そうかなぁ。36 cafeは、私のケーキ好き心に火を付けちゃったよ。

卒論の作成計画書、提出!

卒論の作成計画書、内容は簡易で良かったのね。もっと具体的に書くものだと思っていたので、予想外でした。読んでないじゃないか、とボロボロに言われると思っていただけに、かなりほっとしました。
知人に相談した時の方が、この根拠は?これはどう繋がるの?とかあれこれ厳しかったよぅ(苦笑)

まぁ私は院に行く気はないと断言しましたからね、その所為もありますが。
院に行きたいか行きたくないかでも、やはり変わってくるようです。行きたい場合はそれを左右するので、学術的でなければいけませんが、そうでない場合はある程度自分の考えみたいなものを出しても良いようです。そりゃそうだよね。
これは幸いです。誰かの著作の分析も面白いですが、それだけではなくプラスして私は自分の考えを出したい訳です。分析だけじゃ詰まんないもん。とりあえず卒業出来るレベルであれば、それ以上評価されなくてもいいのです。
私は、私がこれから生きて行く先の、基盤になるようなものを書きたいんだ。答えを出したい。核を作りたいのです。

色々やりたい事があったのですが、結局かなり狭めるような感じになりますね。
まぁですよねぇ、そんなに出来ませんよね。それに、私には理解するだけに必要なものが決定的に欠けているのは、自分でも良く分かっている。知識も足りないしね。
まぁ人生まだありますから、これからですな。仕方ない。自分の首を自分で締めたくないし。


とりあえず、存在論的に行くか、心理学的に行くかという二択は確定ですね。しかし、うーむ、存在論は性に合わないと言いつつも、もう一つの道として心理学的な道を提示されても何となく気が進まない不思議。

ハイデガーかサルトル。存在論と言えば、やはりハイデガーですよね。サルトルをやるなら、ハイデガーをやりたいなと思うのです。サルトルは、ハイデガーから相当な影響を受けていますし。(ハイデガーの焼き直しとか言う評価もわりと聞く)
研究層も厚いし、ハイデガーの方が訳も良いものが多いと言われると、やっぱりハイデガーに行きたくなる。当然ですな。
でも、多分サルトルの方が合っているのだろうというのもまた分かっています。ハイデガーには、「他者」が出てこないので。ハイデガーをやるなら、サルトルと比較したいなぁ。
でもですね、それは流石に……。どれくらい大変かというと、先生でも(恐らく卒論として一年間では)やりたくないなぁと言うくらいです。『存在と時間』を読み込むだけで、頑張ったなぁというレベル。
まぁっていうか、学術書ってみんなそんなもんよね。この二人の比較研究は無謀。卒業してからですな。

で、だ。もう一つの道、心理学的な方向で進められたのは、エーリッヒ・フロム。そういや、読んでみたいと思っていたけど放置してたなぁ。『自由からの逃走』が有名ですね。社会学者であり、心理学者で、哲学研究者?ファシズムとかの考察をしてたよね。
しかし、うーん、心理学かぁ。あまり分かんないのですが。一時期簡単な入門書とか読んだ事はあったけど、あとは教養科目で取っていたくらい。

……さて、どっちに行っても苦しい気がするぞ。まぁだったら、好みでしょうねぇ、そりゃ。

心理学的考察から存在論(ハイデガー+サルトル)。どちらも出来ればベスト。というか、やりたかったのはこういう事なんだろうな。そこに更に、現代社会、宗教(キルケゴール)と繋げる。
でも、時間が足りる訳がない。エッセイならいいけどさ。あっさり塩ラーメンの上澄みだけになるなら、卒論なんだし一つに絞るべきに決まっている。
一応今は、メインにサルトルで、余裕があったら他もあっさりとという感じかなぁ。

まぁ何はともあれ、とりあえず読まねばなりませんね。読まない事には話が進まない。
でも、やる事いっぱいだぁとか嫌になるけど、反面でわくわくもするのです。早く読みたい。自分の興味があった、今まで疑問に思っていた事に答えが出るかも知れない、ってなんだかわくわくしません?(笑)
哲学って……学問の始まりって、多分そういう所からなのでしょうね。

ありがとう、な日

お誕生とか記念日とか(サイト開設日とか)、私にとって「ありがとう」な日なのです。大切な誰かのは勿論、自分のも。誰かのは、勿論それにプラス「おめでとう」ですが。
自分のものを気にするのは、祝って欲しい、構って欲しいからではないのです。いや、勿論祝ってもらえたら嬉しいですけど!でも、そうじゃなくて、それよりも「いつもありがとう」なんです。
傍にいてくれてありがとう。関わってくれてありがとう。気にしてくれてありがとう……そんな日なんです。

確かに、もうそろそろ歳をとって嬉しい歳ではありません。肌とか体力の衰えとか気付くとうわぁと泣きたくなるし、もうこの辺りで時を止めたいなーなんて思います(苦笑)
でも、先に書いた事を毎年思い出して、感謝出来る日だなと思うんです。普段は様々な事に埋没がちで、当たり前に思えてしまう、その大切さを。思い出せる、思い出して感謝する良い機会だなぁと思う。
勿論、常にそういう気持ちでいられるに越した事はありませんが。……難しいですよね。


日常の中では、当たり前のように人と関わる。というより寧ろ、関わらずには生きていけない。小説を読む、という一人での娯楽でも、小説を介してその作者と関わっている。
そのような間接的なものを除いたとしても、関わらざるを得ないでしょう。人は、人の中で、社会の中で生きているのですから。否応なしにそうなる。
それ故に、時にはそれを煩わしいと思う事もあるでしょう。相手に対して配慮したり遠慮したり、我慢したり……傷付けたり、傷付けられたり。人と人、別の存在が共にいれば、そこに齟齬や軋轢が生じない訳がありません。
ですが、それでも、誰かが傍にいてくれる事はとても幸せな事なのだと思います。一人は気楽ではありますが、そこにある「幸せ」は虚しいと思うのですよね。本当に、「幸せ」と呼べるかも疑問です。

誰かと関わるから生じる辛さだとか悲しさだとか、沢山あるのは否定出来ません。確かに、一人でいれば傷付く事はない。波風も立たず、心は平穏でしょう。私も、何もかも捨ててしまえたら楽なのに、と思う事もあります。
でも、それはやっぱり虚しいと思う。その傷付いたりするのもまた、その相手の言動を無視出来ないから、その相手を大切だと思うからなんですよね。だったら、幸せだとか嬉しさだとかもそこにあるのでしょう。


そんな事を、毎年思うのです。有り難くて幸せな事だなぁって、ありがとうって感謝したいなぁって。当たり前ですが、でも日常では忘れがちだなと思う。

ありがとうございます。こんなネットの片隅にひっそりといるにも関わらず、関わって下さる方がいるって本当に幸せな事だなぁと思うのですよ。
私はチキンなので、基本的に自分からは積極的に関わったり出来ないのですが。声を掛けていただく度に、幸せだなぁと思っております。

関わってもらえるって、本当に幸せな事ですよね。だって、本来は無関係に存在しているんですもん。関係なんてない、たまたま出会えた。関わらない事だって、無視していく事だって、出来るのに。
だから、私はここに居続けるのです。自信がなくとも、忙しくとも。ほんの僅かでも、一方的なものでも良いから、関わっていたいと思うのですよ。
時として、とても申し訳ない気持ちになる事はありますが。

ヤマアラシのジレンマ

唐突に、少し前に人と話した時の事を思い出したのですが。

私って、傍から見たらとても幸せそうに見えるんだろうなぁ。人との関係も良好で、傷付く事もなく、穏やかなように。
その人からだけじゃない。わりとよく言わるので、確かにそう見えるのでしょう。
でもね、違うんだよ。傷付くのは、貴方だけじゃない。誰もがそう。
私は確かに幸せだけど、それは別に降ってきたようなものじゃなくて。ちゃんと努力だってしてる。
どうしたらそれを伝えられたのだろうか、と思い返します。


なんの苦痛もない、傷付く事もない、楽しいだけ、穏やかなだけの関係なんて、所詮上辺だけの付き合いなんですよ。
そういう状態でいられる事はあっても、最初から最後まで何の波風も立たないなんて、自分と違う存在と共にいるのならあり得ないと思う。齟齬や軋轢があって当然です。そうでないのならば、それは単に踏み込んでないだけ。

人と人とが本気で向き合おうとしたなら、ヤマアラシのジレンマ、なんですよ。
一人は寒い、だから身を寄せ合う。けれども、その体は棘で覆われているから、互いに傷付け合って。それでも、繰り返し、距離をはかりながら、漸く丁度良い距離を見つける。
人間も、まさにそうだと思いますよ。誰もがそう。

私だってそうですよ。平穏そうに見えるそうですが、喧嘩だっていつもの事だし、既に何回か別れていますしね。
今だってそう。丁度良い距離感を見つけたと思ったけど、やっぱり人も状況も刻々と変わっていくから。まだ、探し続けなきゃいけない。関わり続ける限り、一緒にいる限り、終わりなんてないんですよ。
それは楽しいだけではありませんよね。でも、一緒にいたいと思うから、お互いにその努力をし続ける。勿論、それは一方的なものじゃない。


うーん、難しいなぁ。あまり状況も分からないのに、下手に口出し出来ませんからね。彼女は辛い、それは分かるし。だから口をつぐんだけど。
でも。でもね、思うんだ。好きってなんなの?恋愛って何?束縛したり、相手の事を考えなかったり、自分だけを優先したり……それでいいもの?
違うと思うんだ。好きだからっていうのは分かるけど、そういうの、忘れちゃダメですよね。


で。なんでそんな事を唐突に思い返したかと言うと、恐らくは、近々誕生日なので一足先に祝ってもらったからなのでしょうね。
彼女が幸せになれていれば、良いんだけどなぁ……。
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