久々にDVDを借り、気になっていた作品を観ました。今回は「ラブリー・ボーン」。

 作品を簡潔に語ると台詞にもありましたが……。

「私の名前はスーザン・サーモン。お魚みたいな名前でしょ? 私は……十四歳で殺されたの」

 という衝撃的な内容です;。何故、殺されたのか。犯人は誰なのか。死後、何処へいくのか。残された家族はなど、色々と余す事なく観れるようになっています。

 これ結構リアルな物語で、引き込まれていきました。スーザン・サーモンことスージーは元気一杯の幸せな人生を送っていました。

 優しい両親に妹や弟に恵まれ、年頃になると美少年のレイが気になり両想いの末、初デートの約束をしたりも。

 そんな彼女を家の隣人でありながらある中年の男が狙い始めた事に、気付けないでいます。

 そしてある日、夜遅くなってもスージーが帰らない事に両親は警察に通報しますが、その日以来スージーが姿を現す事は二度となかった……。



 父親は娘を溺愛し、何ヶ月経とうが決して捜索を止めようとしません。

 母親は心が不安定になり、父親の異常な捜索ぶりについに家を出ます。

 残された子供達は行方不明となった姉の死を受け入れきれないまま、成長します。

 家族がバラバラになっていくのを、この世とあの世の狭間に留まっているスージーは見守っていました。

 そこは、何でも思い通りに世界が変化する最高の遊び場だけど、いずれスージーはあの世(天国)へ旅立たなくてはなりません。

 彼女がそうなるまでの見つめ直す物語みたいな感じです。それは自身の死を受け入れ、去るという辛い選択なんですけどね。



 知らない人について行ってはいけないと、改めて思います。スージーは油断してしまい、少しだけのつもりが二度と帰れなくなりましたし。

 画像が綺麗ですが、残酷さも際立ってます;。犯人の心理描写の見せ方が気持悪いというか、ゾッとします。

 両親が警察に「普段帰ってくる子供が帰って来ない」という当り前のような台詞からも、怖さってきますよね;。

 因みにいつまでも亡者に固執してはいけない、みたいなメッセージも含まれている感じで、スージーも天国へ行く前に霊感体質の人に乗り移った時も自身の死体の在処より、初恋のレイへ気持を伝えるだけにしてるんですよ。

 妹も犯人を示す証拠を手に入れた後、両親に言うか一瞬躊躇いましたよね。

 でも、結局犯人を伝えて警察が動き始めましたが。依然として姉の遺体は不明、犯人逃亡となりましたが。

 この犯人、スージー以外にも過去多くの子供を殺していた常習犯でしたが、逃亡中にまた殺そうとしますがやっと年貢の納め時がやってきます。

 その死をあっけないと取るか、相応しいと取るか、どちらにせよ放置車から崖下まで捜索されるかわかりませんが……スージーと違って行き着く先は間違いなく地獄なんだろうなと思いました;。

 っていうか、もし公開捜索にしてれば最後に遺体放棄した場所の人が気付いて通報、スージーの遺体発見もありかなぁと。

 最後にタイトルであるボーンがスージーは愛すべき骨と表現してましたが、私はこれbe bornのうまれるという意味だとずっと思ってたから意外でした;。

 そもそも子供らしく去った彼女にしてはこの表現って難しくないかと;、遺体も発見されてませんし散骨もなく、人を形成してるのは確かに骨もあるけど;。それが、うまれるの意味とか?; 面倒だ、愛する人々でいいじゃん;。

 ニュアンスはスージーとの思い出が生前に触れ合った人々の心に残っていればいい、だけど振り返らず生きて欲しい(たとえ遺体はなくても)と願う……みたいなのだと思うのですがね;。

 この映画、面白いとの表現は不適切かもしれないけど悲しくて切なくて泣きました。(爆)