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日ごと秋が深まる

 久しぶりにしんどい風邪をひいた。主治医から風邪ひくと肺炎になりかねないから注意しろって言われているが、ひいてしまったものはしょうがない。とりあえずたくさん寝たら熱が下がったので安心。長時間寝ていたからか、背中から腰が痛いので漢方薬を飲んだら効いてきた。まずいなあ…漢方薬なしではいられなくなってきた。あちこち不調で嫌だな。

 今日はとても暖かく、私の部屋は東南にあるので暑くて起きてしまった。庭はまた少し色づき、秋の花々もそろそろ終わる。赤いダリアが丘の上でいいアクセントになっていて目立つ。姉のどれかがつんでお仏壇に供えたのを毎日うっとりしながら眺めている。

 昼間に窓を開けてたらカメムシがいつの間にやら入ってきて、さっきまで格闘してたら十匹ぐらいいた(苦笑)。霜が降りる季節だからそろそろカメムシもトンボもいなくなるだろう。







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『まんぷく』に思い出の地

 昨日は久々に全身の力が抜け、起きられなかった。初霜が降りた朝方、ご飯を食べようと起きたら居間にはコタツが!休みの次兄が私が寝てる間に出してくれていた。
 
 ちょうど通販で画像の座椅子を買ったからグッドタイミング!最近、お尻の骨が痛くて座布団では痛くて堪らず小さい座椅子を買ったのだった。可愛い座椅子。背当てもあり後ろに倒れることもないし、これはいい!


 今季のドラマは結構面白そうなドラマが多く、『下町ロケット』の続編、『黄昏流星群』、『昭和元禄落語心中』など続けて観たいドラマが幾つかあって、久しぶりにドラマ三昧になりそうな予感。

 朝ドラ『まんぷく』は前作の『半分、青い』が迷走したまま終わり、最後まで謎の展開が繰り広げられてガッカリしていたところに、ようやく朝ドラらしいドラマに戻ってきてほっとしている。ヒロインが働いていたホテル『大阪東洋ホテル』の建物内部に私は毎日目が釘付け!
 実は私が中学時代の修学旅行で行った場所だったのだ。内部のシーンは愛知県犬山市にある博物館明治村に保存している旧帝国ホテルのもので、外観は別の建物(旧甲子園ホテル・現在は甲子園会館というらしく甲子園にあるそうな)のようだ。修学旅行では明治村で一際豪華な建物だったと記憶しているが、ドラマで毎日観ていたら「ここ、私も行ったわ!」と懐かしさがこみ上げてくる。
 設計したのはアメリカの巨匠ともいうべき建築家フランク・ロイド・ライトで、彼が率いるライト設計というチームが戦前に建設したもの。1968年に帝国ホテルが新本館を建設するに伴い、ロビーを中心に明治村へ保存するために移築した。当時の内部そのままにロビーはテーブルやイスなど調度品も現在、千代田区にある帝国ホテルとほとんど同じものを持ってきたらしい。外観の建物甲子園ホテル(現甲子園会館)は、フランク・ロイド・ライトの愛弟子の遠藤新氏が設計を手掛けた。外壁とか帝国ホテルにすごく似ているよね(笑)。

 ちなみに帝国ホテルは関東大震災当日が落成披露式であったが、震災を受けて中止になったものの被害はほとんどなかったという。戦後はGHQの司令部やマッカーサー軍帥の執務室として利用。A級戦犯等の裁判を審議するとして有名な建物である。歴史的に重要な建造物なので国の近代化産業遺産と登録有形文化財に登録されている。

 私の建築好きはその修学旅行で明治村へ行ってから始まり、これまでバンドの追っかけついでなどで全国各地の貴重な建造物を随分見てきた。東京も幾多の火の手に見舞われながらも貴重な建造物がまだまだ残っているので、近年の再開発前にも結構楽しめた。今の無機質で飾り気のないビルと違って、明治や大正時代の建造物は所々で遊び心があり、装飾も洒落ていて私は大好き。特に洋館は本当に素晴らしいので写真集を見ながらため息が出てしまう。

 『まんぷく』はスタジオのセットよりも実際にある建物を使ってやってるって言うのが、NHKの気合いを感じさせますな。Twitterでは毎日タイムラインが、長谷川博己さん演じる萬平のことを書いたツイートでいっぱいだけど、ロケーションも見てみると更に楽しめると思う。
 それからちょっと豆知識。去年やっていたNHK土曜ドラマ『悦ちゃん』も明治村でロケしたもの。ユースケ・サンタマリアさんらが歩いた道も、私の付き添いで一緒にきたチイ姉に車椅子を押してもらって見た景色ばかりだった。意外とドラマで出てくる。明治村へまた行きたくなったゃった!(笑)






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冬毛になりだしたモフモフのらいち

 今年は紅葉が早く、あと二週間ぐらいで木の葉は落ちてしまいそう。何故こんなにも早いのかと言うと、今年の猛暑で植物にダメージを受けているせいだろうといわれている。あれほど暑かったから今年の冬は豪雪になるだろうね。またあの地獄がやってくると思うと恐怖だ。知人の多くが家庭用除雪機を購入した人が増えてきた。わが家にも一台か二台は欲しいな。


 最近の私は寝て過ごす日が多くなったが、雨の日の昼間に居間にいたら、雨に濡れたらいちが来た。急いでタオルを取りに行き、家に入れたら脚が泥んこでらいちのあとを四つん這いになり畳を拭きながら追った。いつものように真っ直ぐお仏壇に向かい、両親の写真のところまで上がり挨拶するように頭突きする仕草をした後、後ずさりして降りるので私は抱っこする形で受け止めて脚を拭いた。「じいちゃんとばあちゃんのこと忘れないでいい子だね。アンヨがまっくまっくだからキレイにしようね!」と、赤ちゃん言葉で話しかけてしまうのは何故なのか(笑)。暗くなりかけた頃には「おんもがまっくまっくになるし、お姉ちゃんがもうすぐお仕事から帰ってくるよ。お姉ちゃんとお風呂入るんだよね?おうちにアンヨアンヨして帰りな」といつも言う。らいちは人間みたいに渋々帰っていく。たまに泊まりたがるが「らいちゃんのおトイレないからネンネできないよ。アンヨアンヨして帰ンな!」。外に出す前にチイ姉に連絡しておくとチイ姉が勝手口から「らいちゃん、帰っといで〜!ママと寝ようよ!おいで!」と叫ぶと、らいちがPUMAのロゴみたいになりながら走っていく(笑)。ちゃんと話している言葉がわかるようだ。
 らいちは11歳だから人間で言えばオジサンというよりかジジイだが、ママ(チイ姉)が大好きで甘えたとき「まーまっ!」と言うとチイ姉が「なあに?らいちゃん」が無限に繰り返され、またやってるのかとみんなから呆れられている(笑)。最近はさくらばぁばが亡くなってから構ってくれるようになったお姉ちゃん(チイ姉の娘)と遊ぶのが楽しみらしい。一丁前に時々きょうだい喧嘩みたいなのもしているようだ(笑)。たまにパパにお仕置きの頭グリグリもされるが、小さな声で「パパ!」と言って呼んでるのに気づいてもらえない。他に声に出して言えるのはカリカリがお皿に無いときになどに言う「なぃぃぃー」、それから犬を見つけたときに「ゎんゎん」、「まむ(私のことをなぜかそう呼ぶ)」、あとは芸なし。
 チイ姉のらいちへの溺愛は半端ではなく、何かしでかしたとしても「うちのらいちゃんがそんなことするわけないじゃん!」と信じて止まない。らいちは頭がいいのか悪さは家ではしないようで猫のくせに猫かぶってるらしいのである。前世ではチイ姉の息子だったので、わが子と知ってからはずっと次男坊扱いであり、親バカぶりがすごい。まあらいちは可愛いし私もしょうがないと思っている(笑)。








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知らぬが仏

 今日は久々に、起きたら部屋が真っ暗だった。今週は睡眠時間が短かったからよく眠れたが生理痛に見舞われている。早く痛み止め効いて!


 すっかりご無沙汰している趣味の知り合いのことがこの頃、急に頭に浮かんで離れないでいる。彼女は今、どうしているか人伝で訊ねるほどの間柄でもないから急にこっちから連絡するのも気が引けるし、本人からなぜ突然?と驚かれそうでもある。
 彼女はアレルギー体質で食べ物に対して細心の注意を払い、一緒に食事しても食べるものは限られていた。ご主人と二人こじんまりとしたアパート暮らしで、彼女の偏食により食卓は独特のものであった。時折、職場の同僚に関する愚痴をこぼし、口から出る言葉の多くに彼女の心には前向きさがまるで無いようだった。ご主人は動物がとっても好きだったが、そのアレルギーによって犬猫はおろかハムスターすらも飼えない。そんなせいか、彼女には明らかに母性が欠落しているのが時々見え隠れした。彼女がくれた手紙は学生のような幼い文字で、文章の至るところに小さなイラストが散りばめていた。その年齢からは想像もつかないほど若々しいのだが、子どもも授かることなく夫婦で不惑を迎えていた。であるからして、夢のマイホームを建てるでもなく将来設計もまだまだ白紙で、共働きしているので生活に余裕があるらしく互いの趣味に没頭できるわけである。
 彼女がどうして目の前にいる可愛らしい猫に後ずさりしたのか、この時すべてがわかった次第。猫の愛くるしい仕草に可愛いと思わない人は少ないだろう。ましてや近年は空前の猫ブームが到来しているご時世。アレルギー体質であっても見るだけなら平気だろうと思い、無類の猫好きな私は躊躇なく頭を撫でたり、顎のところを指で擦って猫のご機嫌をとったりしたが、伴にいた彼女が早く立ち去りたい素振りを見せたので名残り惜しいがその場をあとにしたことがあった。
 アレルギー体質は仕方がないし、彼女は何も悪くないのだが、節々に見せる神経質な姿に、どうしてこうなったのか気になってしょうがなかった。さしずめ、アニメ『アルプスの少女ハイジ』のロッテンマイヤーさんの如く、常に張り詰めた状態で自制して生きるのは疲れるだろうし、ご本人はこの世の中はつらいことだらけでちっとも幸せを感じられないと思うと気の毒でしかない。
 とか何とか言って私も人様のことは言えないほど、潔癖症や気難しい性分があったが、不惑を迎える前ぐらいにだいぶ丸くなったと自負しているから言えるのである。神経質というのは自分に自信が無い人がなるものだと思っている。自分のことを認めてあげさえすれば周囲の目や言動にあたふたすることもないし、他人様と比べる必要もなくなる。要はそれを自分で気づけるか気づけないかなんだよな、とつくづく思うのだった。
 後日談というか秘密を明かすことになるが、このご主人とは彼女を通さずして昔からの知り合いで、数年前にSNSで再会した。実はこのご主人、結婚した当時から別のお料理が上手な女性がいてわが子のように愛でる猫を飼い、仕事を早く片づけた日には同僚たちを呼んで飲んだり自慢の手料理を振る舞うことができる部屋があるという。なぜ奥さんと別れないのかは夫婦の間にしかわからないが、ご主人としてはとても充実した毎日らしい。そう、いわゆる男性が好きな「放ってはおけない女」と「ほっとできる女」両方をうまい具合に使い分けているわけだ。知らぬが仏、とはよく言ったものである。







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感動屋

 十月に入ってから、私はほぼ毎日泣いている。何か悲しいことがあって泣いている訳ではない。私は一年の中でそんな風になる時期が何度かあるのだ。また来たよ、例のサイクルがね!(笑)
 毎度のことだけど「有難いな、私はラッキーだな」という感謝の気持ちに包まれて泣いたり、何気ない映画のワンシーンで感動して泣いたりする。寝起きに「ああ今日も無事目を覚ますことが出来たなあ」と泣いたり(笑)。日常におけるささいな瞬間に涙が出てしまうのである。この状態の自分は「感動屋」という生業なんだと思うことにした(笑)。
 心から感謝を感じることが出来るのは私が近年、ようやく駄目な自分を許し自分という人間を愛せ、目の前で起きていることを純粋に有難く思えるようになったからにほかならない。それは本当に奇跡のようなものだ。この世に生まれて長い間、自分自身を痛めつけて追い詰めてばかりいた私がやっと成熟したのかもわからない。とにかくこの三年ぐらいは様々な事柄に感激したり、悟ったことが多い。故に迷いはなくなった。
 多分、こうした状態は誰にでも起こりゆる事だろうが、泣きたくなるくらいの感情の昂りというのは魂が新たなステップへ向かうお知らせなんだろうと思う。その「感動屋」の頻度がこの三年でやたらと増えだしてしまっているようだ。
 私自身は身体が徐々に弱っていて、やがて来る死への準備を毎日少しずつしているけれど、気持ちの整理は終わりに向かい、あとは残りの時間を出来るだけ穏やかに過ごそうと務めている。

 「感動屋」はいつ泣き出すかわからない。さっき、YouTubeでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの解散ライブでラスト曲に演奏されたデビュー曲『世界の終わり』を観ていた。最後に悲しげな故アベフトシの映像に涙。もう何度観たかわからないほど観たはずなのに、アベフトシのことを考えると泣けて泣けてしょうがない。弦が切れても演奏を続け「解散なんかしたくないんだよ!」と言わんばかりの彼の無言の訴えを皆さんもご覧あれ。アベフトシという人は日本では高い評価を集めた伝説のギタリストでカッティングの凄さで有名で、既に他界している。酒癖が悪かったが私は大好きだった。

世界の終わり/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
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誕生日 11月8日
地 域 福島県
職 業 マスコミ・芸能
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