梅雨入りしたとたんに思い切り雨が降り出した。各地で避難なさっている方もいるみたいだけど、大きな被害がありませんように。
雨の中、原稿を出しに郵便局へ行ったり買い物に行った。私はステッキを持って歩くため傘を持てないので、雨に濡れたからか喉が痛い。
すぐ風邪をひいてしまうのには本当に面倒。風邪薬を飲むとすぐ眠くなり、バランスが取りにくくなるからすぐ転ぶ。コントみたいに転ぶため、買い物中は転ばないよう細心の注意が必要。下手すると棚のものをザザっと落としかねないのである(笑)。
さっき、Twitterで知ったのだが、DASH村でお馴染みの三瓶明雄さんが亡くなられたそうだ。非常にショック。
『鉄腕DASH』の名物コーナーのDASH村で農業指導していた明雄さんである。このコーナーの始まりは村を作って地図に載せようと、番組が十万円で購入した荒れ放題の土地をTOKIOが開拓するところから始まった。そこに知識豊富な元農協指導員の明雄さんが加わり、TOKIOに丁寧に知恵を教え、土地を蘇らせた。
震災が起きるまではDASH村がどこにあるのか伏せられていたが、福島県民の間では浪江町にあることは知られていた。火事が起きたときは新聞に大きく伝えられ「やっぱり浪江町だったのか!」と話題になったりした。
前にも書いたけど、父が生前、DASH村に行きたがっていた。中に自由に入れて、明雄さんにも会えると思ったり、TOKIOにいろいろ教えたいと、仲良しの友達と行く計画を立てていた(笑)。しかし、私がTOKIOはアイドルで村にいつもいるわけじゃないことや一般人が自由に入れないことを話したら、父と父の友達が落ち込むということがあった(笑)。
父と明雄さんは年も近く同じくらい知恵が豊富だっただけに、会えたなら意気投合していたと思う。明雄さんの姿を見るたびに、父もこうやってたなと思い出すことも少なくなくて、時々胸がいっぱいになりながら番組を観ていた。
明雄さんは原発事故後、浪江町から福島市へ避難されていた。番組にも登場した明雄さんのお仲間もそれぞれバラバラに避難を強いられている。浪江町では山と海があり、お年寄りは漁師を引退した後は畑仕事をしながら、とても穏やかに暮らしていた。本当に恵まれた土地だった。
明雄さんはとうとう自宅に帰られずに伊達市(福島と宮城の県境)の病院で亡くなられたみたい。
仮設住宅のお年寄りたちがよく「死ぬときは自宅で死にたい」と口々にいう。明雄さんもきっとそう思っていたに違いない。
視聴者の私がこれだけショックなのだから、TOKIOのメンバーはものすごいショックだろうな。福島県民は明雄さんの事を一生忘れないだろう。
ご冥福をお祈りいたします。
たくさんの拍手ありがとうございました!
とても励みになっています。感謝しています(*^_^*)
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