さっき外を見たら雨が降っていた。今日は比較的暖かい。紅葉もすっかり終わって、そろそろ木枯らしが吹きそう。冬物のコートを出そう。
昨日の“電車”か“汽車”かっていうのが、ずっと引っ掛かっていたので今日はいろんな人に尋ねて廻った(笑)。
自治会の会長さん(60歳前後?)は「私は断然、汽車って言うよ。汽車だ!」と言い切る(笑)。子どもの頃はSLで親戚の家に行くのが楽しみだったという自慢話を、足が痺れるくらい立ち話された。
そのあと、仮設住宅のおじいちゃんやおばあちゃんに尋ねたら「電車っていうのは都会の気取ったやつが言うんだ」という意見も。
最後に、森光子と同い年の伯母に尋ねたら、「あのドラマ、岸和田の話だろ?戦前に父ちゃん(夫)と岸和田に一年近く住んでたけど、全然岸和田じゃないから笑っちゃうよ。岸和田にいたとき、宿の女将さんがいい人でね。お金がないのを知っていて“汽車賃持っていきなはれ”なんつって、よく助けてもらってたよ。あの頃は電車も機関車も全部引っくるめて汽車って言ってた」。ほらね(笑)。さすがだ!じゃ、チンチン電車は?「チンチン電車はチンチン電車!」。
伯母の夫は戦前までサーカスの芸人で全国をどさ廻りしていた。伯母は何度となく同行してたから、各地の食べ物や暮らしぶりが福島と違うところを発見して面白かったという。「関西はうどん粉ばっかり食ってたよ。みんな言いたいことをはっきり言うから、慣れるまでくたびれたよ」。
伯母は夫が出征してからは幼い子どもたちを女でひとつ育てながら、精肉店を切り盛りしていた。その精肉店は規模こそ小さいが、今もやっている。下町の肉屋の女将さんの伯母は90歳を過ぎても帳簿をしっかりつけ、お肉を切りさばき、お客さんの相手もする。
何しろ彼女は記憶力が抜群なので、震災前に私が若き日の両親をモデルに小説を書き始めたとき、真っ先に伯母から昔のことを細部まで質問した。「終戦記念日の頃に毎年ドラマをやるだろ?あれでさ、若い男と女が二人で逢瀬したり接吻したりする場面がたまにあるだろ。あれは嘘だね。もし街中でそんなことをした日にゃ、お巡りさんが笛鳴らしてすっ飛んできちまうよ(笑)。下手すると牢屋に入れられちまう。テレビや映画はオーバーなんだよ」。こんな話まで(笑)。伯母と一緒に暮らしたいくらいである。
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