春分の日。母の誕生日だった。母が生きていたら八十を過ぎていたんだな。母は優しかったなあ、可愛い人だったなあと思い出していた。今はどこも痛くないから、好きだった踊りをやったり歌を歌っているのだろう。そして大好きな父とラブラブなのだろう。
BSで海外のジャーナリストから見た東日本大震災のドキュメンタリーをやっていた。私はそこに出てきた彼の国が嫌いなのだが(苦笑)、予想外に素晴らしい映像だった。震災から一年経った被災地を自ら歩いて廻り、被災者と対話していく。そして「日本のマスコミは自由に報道したりして我が国も見習いたい」「日本人は規律正しく助け合っていて素晴らしい」と賞賛。彼は次第に被災地の痛みを共有したいという真摯な気持ちと、今まで思い続けていた日本に対しての印象の変化を感じながら被災地をあとにする。
この番組を観て、震災が起きてから世界中で日本人の冷静で助け合う姿を賞賛されていたが、その真髄とは何かを改めてわかったような気がした。
彼のインタビューに答えていた被災者はたくさん怖い思いをし、多くの悲しみを抱えているのに、気丈にも微笑んでいる人たちがいた。
人間の中にはつらい、苦しい、悲しい、怖いを口にしたがる人と、黙って笑っていようとする人たちがいる。後者の人たちはきっと厳しい状況の中でも繊細な感受性を持ち合わせ、そうありたいと無意識に思って振る舞っているのかもしれない。
それは日本人の、いや被災した東北人の気質が生まれながらにして我慢強い姿そのものなのかもしれない。海外の人たちの多くはきっと同じ状況になったら泣き叫んだり、怒りを露にしてしまうだろう。しかし今の被災者はたくさん怖い思いをし、悲しみを抱えていても震災や原発事故の問題が現在進行形だし、状況はなかなか好転しないのが現実である。どうにもならないことが目の前にあり、それは変えようがないからだ。私はそういう人たちが、ある日ぷっつりと糸が切れたみたいに壊れてしまうのではないかと心配してしまうことがある。彼らは感情を面に出すのが苦手だからに他ならない。だけど、私もどんなにつらくても笑顔でありたいなあと思う。笑顔は幸せを呼び寄せてくれそうな気がするから。
日本国内では、被災地以外は次第に震災や原発事故のことに関して関心を持たなくなるだろう。瓦礫は受け入れたくないし、出来る限り関わりたくないと思うだろう。あの気丈に生きている人たちも忘れ去られていくかもしれない。たくさんの悲しみを置き去りにして。
拍手ありがとうございました
間違えてクリアボタンを押してしまい、書き直したら支離滅裂になってしまった(笑)。最初はよく書けていたのに
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