この頃、昭和天皇のことがまとめられた本が完成したり、昭和の暮らしが見直されたりと、キーワードになることが多い。雑貨屋さんでは手ぬぐいがこの夏大ヒットだったとか。
メディアも昭和を駆け抜けた人たちの訃報が、この頃多くなった。俳優の米倉斉加年さん、山口淑子さん、そして直木賞作家の山口洋子さんの訃報。
山口洋子さんはマルチな才能を持っていらして、作詞家や小説、エッセイなど長年素晴らしい作品を発表されてきた。
作詞家活動の傍ら銀座のクラブ『姫』を経営していた。当時は水商売の女のクセに作詞家をやってると非難をあびたとか。
「「銀座で酒場もやっている 作詞家」への道ははるかに鎖されていて 、それは小説を書くようになった現在も 連綿と続いている。ときおり私は「小説を書くもと酒場のマダム」であり、「銀座で酒場をやっていた作家」ではない。 ある種の人々の言動の端々に、あれこんなところにまだ『姫』がいるのだと気づくことがある。 いったん色がついてしまった布地の色はかくも抜き難く、男の弱味を商売(かて)にした身はかほど罪深いのか。そのコンプレックスをバネにしましたというのも実は嘘で、 そんなマイナーなものなど、バネにも意地にもしようがない。」
双葉社刊 山口洋子・著『ザ・ラ スト・ワルツ―「姫」という酒場』より
クラブ『姫』には芸能界や政財界の大物がよく足蹴もなく通っていたそうで、その年の世相がよくわかったとか。
数々のヒット曲を生み出した山口さん。私は男と女の深いところをついた小説やエッセイが大好きでした。
ご冥福をお祈り致します
たくさんの拍手ありがとうございました(^_-)
もう怪しまないで下さい
降り続く雨の中
幾日も横たわっている僕の死体のことを
それに骨をひろってくれる人があまりに沢山の事件の為に
僕の死体の事も忘れているに違いないのです
僕を踏みつけて過ぎ行く人々は
それが花売りの娘でも教会の牧師様でも
皆 僕の死体のことに気付かずに行きます
そんな事より人は皆 自分の生きる証を見つけることで一生懸命です
風が吹き 嵐が来て
季節は僕の皮膚をはぎとり 今に骨ばかりにしてしまうでしょうが
それでもいいのです
僕は僕を踏みつぶす人間の重みを感じていたい
そうすれば僕の死が
はるかな未来に旅立って生きていた確かさを知ることが出来るから
もう怪しまないで下さい
降り続く雨の中
僕の死体がころがっている事を
沖雅也 「SHIKABANE」LP『孤独』より 1977年
まるで遺書のような詩。そう遠くない未来に起きることをご自身で予言したかのように詩にしたためている。
彼の躁鬱病がいつから発症したかはわからないが、わざと事故を起こしてみたり、精神的に参っている表情を様々な写真で感じとれるが、ほとんどが沖雅也としてであり、日景城児ではなかったね。
夢の中で沖様は、多い時で十本もの仕事を掛け持ちしていたとおっしゃっていた。台本を読み分けして撮影所に入り、完璧な演技をこなしていた彼はけして人前では無様な姿を見せなかった。
死ぬことに決めたからか、最期まで誰一人として心を許さなかった。
亡くなる二日前から姿を消した彼はアニメの吹き替えの仕事をすっぽかし、ホテトル孃を何人も呼び、ホテルの一室で過ごした。その間、養父の日景氏らは沖様を探し出すこともしなかった。早く見つけられたら、彼は死なずにいたのかもしれないのに…。
「人があまりに沢山の事件の為に僕の死体の事も忘れているに違いない」と、淋しさもうかがえる。
人は皆、孤独の中を生きていることを、私は三十路を過ぎたころにやっとわかった。自分は独りぼっちだ、誰も心のドアを開けてくれない、なんて思うのは若いうちならよくあること。
沖様は怒涛のスケジュールを16年過ごした。大分の家から家出してから、誰に頼るでもなく突っ走ってきた。その間、病気もたくさんして、それでも休まず頑張ってきた。そりゃ人生に疲れちゃうよね。
この詩は彼の心のサイレンだったのだ。誰かが心から温かい手を差し伸べていたら、生きることを選んでいたのかもしれない。
彼は読書が好きだったようだが、この詩からヘッセ、ドフトエスキーなんかを読んでた感じだね。悲しく衝撃的だが、素晴らしい文才だったことがわかる。
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