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浜通りで黙祷

 昨日のブログを書いたあと、三時間ぐらい寝て起きたのだが、夢の中で緊急地震速報が鳴って飛び起きた。やはり3.11を意識していたのだろう。怖かった。

 イーサンが九時に迎えに来てくれて、まっすぐ南相馬市へ。以前、このブログに登場した中通りの仮設住宅に避難していたおばあちゃんの自宅へお邪魔するためである。おばあちゃんはイーサンに恋しているため、サプライズで行ったのだった(笑)。
 住所を頼りに瓦礫の街を走りながらおうちを探し出し、ごめんくださいと玄関を開けたら、同じ仮設住宅のメンツが勢ぞろいしていた。「あら、誰かと思ったら先生でねえの!」そこに後ろからイーサンが現れて、おばあちゃんは固まってしまった(笑)。おばあちゃん大丈夫?と私が駆け寄ったら「大丈夫だよ!なんだい、コンビニのあんちゃんまで来てくっち、おれびっくりした。電話してから来ればいがったのにぃ〜」と照れながらおばあちゃん。イーサンの手を握り、「早く入りな!ごっつぉ(ごちそう)はなにもねえよ」と家の中に案内してくれた。家の中は修理した跡がたくさんあった。おばあちゃんたちでお漬物やお菓子を持ち寄り盛り上がっていたらしい。
 おばあちゃんはイーサンを隣に座らせ、おばあちゃんの友だちに「なっ、いい男だべ?」とはしゃぎまくり(笑)。
 中通りの仮設住宅を出て、自宅に帰ってからは水道も電気もないまま、しばらく苦労したらしい。五十年ぶりにまきでご飯を炊いたりしてたのだとか。今は畑を再開し、もうすぐ種まきをするんだと張り切っていた。仮設住宅のころとは別人のよう。元気で良かった。

 その後はいわきに移動して、招かれていた浜辺でのイベントに合流。バーベキューをしたあと、14:46にはみんなで一列に並び手をつないで海に向かって黙祷した。全国からみえた方もいて百人以上いたかな。みんな何分も動かないで祈り続けた。
 その後、若い男の子たちがギターを弾き、みんなで歌を歌ったり、消防の方たちとあの日のことを伺ったりした。命懸けで捜索活動したこと、物資がなくて手分けして食料を探したこと、赤ちゃんが熱を出して、どこかのおばあちゃんがあるもので熱下しを作ってくれたこと、そして仲間が遺体で見つかったことなどたくさん話してくださった。

 それから私はTBSラジオとアメリカのテレビ局ABCからインタビューされた。本当は民放各局からインタビュー依頼があったのだが、家にスマホを忘れてしまい、ディレクターと連絡がつかず合流出来なかった。スマホを忘れるとは自分でも驚いた。寝不足でうっかりしてしまったようだ。
 アメリカのテレビクルーは良いかたばかりだった。豊かな日本がこんなに復興が遅れているなんて、ととても不思議がっていましたな。日本人の我々だって不思議でしょうがないんだけどね。

 浜通りは前回行った時とほとんど変わりなし。海岸は何もないし、津波のあとも残っていた。津波で流された小名浜の魚屋さんや商店は仮設商店にいた。皆さん表情が明るくて良かったなあ。早く再建して、前みたいな港の活気が戻ってくることを祈りたい。

 被災地は問題が次々と起きていて、なかなか復興が難しい。全国から観光に来てくれたら、もっと活気が出るように思う。皆さんぜひ浜通りを訪れてほしいなあ。

 疲れて何を書いてるんだかわからなくなってきた(笑)。イーサンは運転に私の車椅子押しに、疲れただろうなあ。彼には心から感謝している。








たくさんの拍手ありがとうございました!
たくさん書いてくださってるのですが、疲れているので後で読みます。
素敵なメッセージに感謝!
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地 域 福島県
職 業 マスコミ・芸能
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