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いじめっ子のその後

 急な執筆依頼にハラハラしながら書いていたら、外が明るくなっていた。書くことに集中すると、何時間も書き続けるため、気がつくと体中が痛くなる。私が小説家だったら、どんなことになっていたのだろうか(笑)。

 小・中学時代の同級生からン十年ぶりに電話が来てびっくりしていた。いつの日にかに私を新聞で見つけて懐かしくなったんだとか。
 彼女は中学まで一緒のクラスなことが多かったので、私のことをよく知っていた。
 小学生の高学年の頃から、私はひどいいじめの標的にされていた。理由は学校を休みがちであったこと。先生から特別扱いされているとの誤解。それ以前に私はみんなより一つ年上で、同じ幼稚園に行っていなくて、集団生活は小学校からで、みんなとどう接していいのかさっぱりわからず友だちの作り方が分からなかったのが大体の原因。
 普通の小学校の受け入れが認められるまでの一年間は知的障害者ばかりの養護学校の小等部に在籍し、先生が私の家に通いながら勉強していたから、結局同年代と遊ぶ機会もなかったんだよね。
 普通の小学校に入ってからは特別学級と普通の学級を科目によって行ったり来たりしていた。私は何しろ、自分の足で歩き始めたばかりだから、毎日が体力消耗しどおしで、一週間をまともに通えた週は一度もなかった。
 あれは四年生の頃だったかな。普通の学級の方に転校生の女の子が入って、私の隣の席になった。新しい学校で慣れないかなと思って、親しみを込めていつも話しかけていた。胸の名札とランドセルの名前の苗字が違うので、何かあったのだろうと私は子どもながらに思ったりしたが、消しゴムを忘れたときは貸したり親切にしたつもりだった。私は二日間学校を休んで学校に行くと、その子は「○○ちゃん、○○ちゃんって自分に甘いんじゃないの?」と、睨みつけるように私に言った。自分に甘い?…私は毎日通うのも大変なくらい体が辛いのに、なぜそんな風に言われなきゃならないんだろう。何か言い返してやりたかったが、言葉が見つからなかった。その後、その子はいじめのグループに入り、私を無視し続けることになる。
 電話をくれた同級生は、その子のそれからの人生が何か罰が当たったかのように不幸の連続だったと語った。両親の離婚により転校し母子家庭の苦しい生活で進学を断念し、人に騙され、不幸の連鎖でボロボロなんだとか。
 私が中学時代にいじめをしていた連中は優等生ばかりだったが、受験に失敗し、定職に就かず引きこもりになっていたり、いじめっ子のリーダー格たちは不幸な人生を歩んでいるらしい。
 私にいじめをしたからそうなったわけではないと思うが、理不尽ないじめをしていた人はやはりそれなりにしっぺ返しが訪れるのかもしれない。
 私が幼稚園に行っていなかったばかりに、人とどう向き合っていけばいいのかわからずにとても辛い思いをした。普通の学校もどう考えても私には無理だったのにね。
 子どもの頃、私に「甘いんじゃないの?」と言ったあの子に、大人になったら言い返したいと思っていた。だけど、それは大人になるとどうでも良くなった。そして、その後の彼女が辛い目に遇ってると知り、私は涙が溢れてしょうがなかった。






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車検費用は本当に高いですよね
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メアリさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 11月8日
地 域 福島県
職 業 マスコミ・芸能
血液型 A型
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