おっと!NHKで懐かしの『みんなのうた』をやっているのを観てて、こんな時間になってしまった。“コンピューターおばあちゃん”とか懐かしすぎ!タモさんが歌う“ミスターシンセサイザー”は録画するべきだった。
桜が満開で嬉しいのに、今日は天気はあいにくの曇り空だった。避難所のお手伝いに行ったら、おばあちゃんたちに「この間一緒に来たお兄ちゃん、どこ?」って何人も言われた。あーチャンのことか(笑)。彼は今日は来てないよ、と言うとガッカリされてしまった。すまないねえ。私も一緒に来たかったよ。
避難所暮らしもだいぶ落ち着いてきた様子だが、皆さん疲労感が拭えない。とうとう彼らの住居は立ち入り禁止になり、近づくことも出来ない。置いてきた通帳も、庭に放したペットもそのままに出てきた方々が実に多く、お話を窺うたびに胸が締め付けられそうになる。何のために長年暮らしてきたのか、何のために生きてきたのかと嘆くオジサン。死んでも構わないから家に帰りたいと泣き出す女性…。私も本当にどうにかなりそうだった。
原発さえ終息すれば帰られるかといえば、放射能の問題もあり、もう二度と慣れ親しんだ家で暮らすことは不可能であろうとされている。この方々がどれだけ泣きわめこうと状況は変わらない。東電や政府は、不可能を可能にして何とかしてこの方々をもとの暮らしに戻してあげてほしい…。心からの願いである。
こっちはほとんど普段通りに暮らせるようになったのに、浜通りの方々はまだまだ見通しもつかない。本当にやりきれない。自分がそんな状況だったら気が狂ってしまうだろうな。だからこそ、何かしてあげたいと思いつつ、お話を窺ったり物資を手配したりするぐらいしか出来ない自分が情けない。今日は久しぶりに凹んだなあ。
平凡な暮らしこそが贅沢であり、何も変わらないありふれた日常はかけがえのないもの。これは忘れちゃいけないし、感謝すべきだと思う。日本人は戦後、自分勝手過ぎたのかもしれない。だから地球が怒って、我々に目を醒ませと叫んでいるのだ。きっと、そうに違いない。
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