あれからクラスメイトは何も言わなくなった。何もしなくなった。
僕の孤立には先生も他のクラスの人も気付いていたようだったけれど、あれからまた雰囲気ががらりと変わったことも尾鰭の付いた噂と一緒に広まっているらしい。
昼休みもこうして本ばかり読んでいる。
「お前森田っしょ。コレ」
「へ?」
突然その知らない人に渡されたのはメモだった。ルーズリーフの切れ端。綺麗で大人っぽい字で呼び出しの言葉が並べてある。
「誰から…?」
「さーね。みんなお前と話すの嫌がるんだよ。何、いじめ?」
「…いえ、」
明け透けな物言いに返答に困った。
はいと答えたらどうするというのだろうか。同情でもするのだろうか。
「俺5組にいるからいつでも来いよ」
え?
彼を見ると歯を見せて笑ってくれた。変なことを考えた自分が恥ずかしくなる。
「……あ、りがと」
真井先輩は学年が違うから仲良くなるだけ自分が孤立することも分かっていた。僕が真井先輩に助けを求めたわけじゃなくても周りはそうは思わない。
目の前で笑う遠慮のない人間に、だから本当に救われる思いがした。新しいクラスから連れ出してくれるなら。
「俺吉田ね。よろしくー」
吉田くんは人懐っこく笑う。
「あ、よろしく…」
「ねね! それ今じゃなきゃダメなわけ?」
「へ?」
「ソレ」
指差されたのは本だ。
「いや、ただの時間つぶし…」
「じゃあ来いよ!」
「え…?」
吉田くんは机を数回叩くともう廊下へ向かっていた。慌てて立ち上がる僕を振り返ると急かしてくる。
時々覗く八重歯が羨ましいと思った。
廊下には吉田くんの友達らしい人が3人いて僕を怪訝な目で見ている。金髪だったりピアスしていたりで制服の着崩し方も顔も恐そうな人たちだ。
不良、みたいな。
急に居心地が悪くなった僕には気付いていないだろう吉田くんが簡単に紹介してくれた。
「コレ森田。あれ、お前って森田だよな?」
「…う、ん」
「なんか2組の奴らノリ悪いらしくてさー。ヒマな時は俺んとこ来いって言ってあるから!」
「…ごめん」
吉田くんは僕の謝罪が面白かったらしく「謝るとこじゃねーし!」と大笑いした。
「拉致ってきたんじゃないだろうなあ…」
背が高くて金髪の人が呟いた。迷惑そうな顔をしていてまた申し訳なくなる。
「2組ってあの京平先輩のクラス?」
「……」
小さく頷くしかない。
「何ソレ!?」
「え、お前知らねえの? 京平先輩がシメるクラスって2組だろ」
「何ソレ、シメる!?」
「……パス」
「教えろよ!」
バイクの話しをしていた2人の肩を叩くと金髪の人は俺を見据えた。こめかみの生え際に髪が生えていない傷跡が見えて僕はますます怖くなる。
吉田くんと残り2人はあの日のことについて盛り上がっている。
「お前、吉田に付き纏われてんの?」
「へ!?」
「あいつ頭は悪くねえのに勘違い激しいから、悪い時ははっきり言わないと天国まで連れ回されるぜ?」
「……」
天国まで。
確かに彼なら。
付き纏いたいと思ったのは僕の方で、吉田くんに僕はとても感謝していて、迷惑だとか悪いとか吉田くんが思うことはあっても僕はそんなことは全くない。
そう弁明したかったけれどクラスで孤立している自分のことも言わなければいけないのかと思うと話せなかった。
「つうか吉田はいいけど俺らが駄目って?」
「あ、ち違います!」
その人はふっと笑った。
ワックスで固められた金髪も大きな身体も僕の力ではとても動かせそうにないけれど、口元は驚くほど容易に揺れた。その笑顔はとても穏やかで見惚れてしまう。口が描くのは綺麗な弧。薄い唇は赤くて映える。
「吉田は山岡と岩尾のものだから、いつもは京平先輩以外に懐くとハズそうとすんだけど、お前なら大丈夫かもな」
目が合うとドキドキした。
その言葉の意味は理解し難かったけれど、大丈夫と言ってくれたから僕は安心した。
教室に着くと吉田くんたちはさらにはしゃいでいて、その内容が真井先輩のことらしくて僕は不安になる。みんな真井先輩と親しいような言い回しをしている。
「あの、」
「ん?」
「真井京平先輩と、仲が良いんですか…?」
「…まあな。タイプ違うからそんなに関わりないけど、吉田が先輩のこと好きだから」
「……」
「大丈夫だよ。先輩イイ人だから」
「…は、い」
イイ人だから、何?
例えば僕のせいで真井先輩が濡れ雑巾を頭から被ったと知っても、こうして笑いかけてくれるのだろうか。
「ま、あの人も気分屋でサドだから。なんかされたの?」
「…ままさか!」
「まさかって…」
「……」
またふっと笑った。
「名前見たけど森田なんていなかったし、お前が先輩にシメられることはねえから安心しとけ」
安心するよ。
新しいクラスになってから1年の時に仲良くしていた人にわざわざ会いにいくのは気が引けて、でも今のクラスのどこにも居場所はなかった。どうしてうまくいかないのか考えもしたけれど分からなかった。
自分が悪いって思うしかないじゃないか。
どんどん浮いていくのは怖かった。
悲しかった。
吉田くんたちと話すのが今日だけだとしても、これから先この優しく笑う不良の名前を知ることがないとしても、普通に話して笑えたことは言いようのないくらい嬉しい出来事だった。彼らにはそれは分からないかもしれないけれど、僕は救われた。
安心したよ。
天国に連れてきて貰ったよ。
僕が笑った本当の理由もドキドキしていることも分からなくていい。