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青菜に塩

※BL
※テキトーな男と優等生マゾ




俺は嫉妬されるのが好きだ。嫉妬され、独占欲をぶつけられるのが好きだ。嫉妬され、その人なしには欲望を満たせないのだと思い知らされるのが好きだ。

「なあ、今日うち来る?」

恋人である野口が俺に体を寄せてそう言った。

ああ、どうしようかな。

俺は少し考えてから、「行く」と答えた。

付き合ってはいても、俺と野口の間には壁がある。心理的な障壁。俺たちが決定的に訣別せずに済む、ぎりぎりの壁。あと1ミリでも分厚かったら駄目だっただろう、ぎりぎりの壁。この壁は、近付いて、歩み寄って、手と手で触れ合える距離に立っても越えられない。

それはふとした時に気付かされる。

野口から漂う香水の香り。シルバーの指輪。まだらの茶髪。藍色のピアス。高級そうな腕時計。ウォークマンには流行歌。度なしの黒縁眼鏡。全て俺には縁がなかったもの。

俺には野口が分からない。

野口は丸で宇宙人。

野口は神秘に満ちている。それを神様だと言うのなら、俺は初めて神様を理解できる気がする。野口は神様に属しているのかもしれない。

野口にも、俺のことは分からないだろう。

野口は嫉妬しない。

嫉妬を知らない。

俺は嫉妬されるのが好きなのに。

俺にはこの壁を越えられない。野口が地球外生命体である限り、俺は本当に望むことを言ってもらえない気がする。巨大な砂の壁。分厚い鋼鉄の壁。何層にも重ねられたアクリルガラス。果てしない分子の海。宇宙の向こう側とこちら側。

仕方ないだろう。この壁を越えられないと思えてならないのは、野口のせいだ。

野口は女を口説かずにはいられない性分だ。好きでもない人間を褒めて口説くというのは俺には到底理解できないが、野口に褒められた女は幸福そうに笑うから、何かの慈善事業なのかもしれない。

慈善事業ね。ああ、お前って素晴らしいよ。

俺はその素晴らしい野口と、野口の家に向かって歩いていた。野口の家は、高校から歩いて40分程で着く。バスを使えばもっと早い。

「あのさ、あのー、前の、兄貴と連絡先交換してたやつさ」

野口は言葉を濁しながら話しを切り出した。

「あれどうなった?」
「どうって?」
「だからさ、あれからどうかなって。連絡とか取ってんの?」

息を吐くように女を褒める男が、普段は俺に対して微塵も嫉妬心を見せない男が、唯一心を揺らす存在、それが野口の兄貴である章人さんだった。

野口は自信に満ち溢れている人間という訳ではないが、劣等感も持ち合わせていない。つくづく深みがなくて軽薄な人間だと思うけれど、章人さんに関してだけは、得体の知れない暗い感情を垣間見せることがある。

野口の世界は薄く張られた水の中をミジンコが泳いでいるようなものだ。

上がったり、下がったり。

誰かを出し抜いたと思って見返せば、そこにはほんの1ミリメートルの差さえない。みんな流れに身を任せるミジンコ同士。だから優劣をつけられないし、誰かを特別に思うこともないのだろう。

俺にはそんな世界耐えられない。

俺の世界には薄氷が張っている。その下に落ちれば、深海5千メートルまで落ちる世界。強者と弱者が居る世界。そうでなければ楽しくない。

「連絡取ってるよ。今日も家に居るって聞いてるけど」

俺は答えながら満面の笑みを浮かべた。

「はあ?」
「ん? 章人さんいないの?」
「知らない」

野口はむっとした顔付きで答えた。

色気がないよな。目を釣り上げて、口を尖らせて、「私だけを見て」って言ってくれたらそれだけで良いのに。

あと少し。あと少しだけ。それで俺は骨抜きにされてやるのに。

それからずっと野口は黙って歩いていた。

俺みたいな人間と野口みたいな人間が並んで歩いているのは異様な光景だ。野口の友人は俺のことを馬鹿にするし、俺は大抵の野口の友人を馬鹿だと思っている。

ああ、でも、それってぞくぞくする。

俺は黙って野口に付いて歩いた。

野口の家に着くと、章人さんがいた。章人さんは俺に「いらっしゃい」と言って、野口のことを無視した。野口と章人さんの関係は余りうまくいっていない。それはきっと俺が現れる以前からそのようだ。

野口は何でもないことのように部屋へ向かった。

「飲み物取って来るよ」

部屋に着くと、野口はそう言って、いつものように俺を残して部屋を出た。

俺は何となく携帯電話を見ると、章人さんからメッセージが届いていることに気付いた。「もしかして風邪?」と表示された画面を見て、俺は思わず感動した。

学校から一緒に歩いてここまで来た野口は、おそらく気付いていないことだが、俺は風邪気味だった。だからここに来るかどうかも迷ったのだが、野口の笑顔に弱い俺は誘われるままに来てしまった。今日だけは、馬鹿は風邪を引かないという迷信を信じよう。

俺が章人さんに返信しようとすると、タイミング良く、あるいはタイミング悪く野口が戻ってきた。

「なんか連絡? 誰から?」
「章人さん」
「は? まあいいや。あったかいものなくて、水でいい?」

野口が飲み物を取りに行って水を持って帰ってきたことは一度もない。章人さんと何かあったのだろうか。

「いいよ」

俺が頷くと野口は恥ずかしそうに笑った。

野口はコップが二つ乗ったお盆をテーブルに置くと、俺の直ぐ隣に座ったので、膝と膝がくっ付いた。

「どうぞ」
「ありがとう」

野口は破顔した。俺が水を飲むのを嬉しそうに見ている。

なんなんだ、こいつは。

ああ、いま、見えるよ。巨大で分厚くて近寄り難い強化ガラスの壁が。手を伸ばすと冷たい壁が指に触れる。力を込めても痛いだけ。

嫉妬しろよ。

束縛しろよ。

俺以外の男と親密そうにするなとか、お兄さんと連絡取るなとか、なんとか。そういうことは言えないのか?

「はじめ」と野口が言った時、最初自分の名前を呼ばれたのだと気付かなかった。どうしてそんなに嬉しそうなんだ。俺との間にあるこの壁が、野口には見えないらしい。

野口は俺のことをじっと見つめている。

目が合って暫くすると、にっこり笑って「あのさ」と続けた。

「二人で温泉とか行かない?」
「温泉?」
「二人でゆっくりしたくない?」

野口は俺の返事を待たずに、俺にキスをした。余りに唐突だったが、野口は俺のことを心底好きだとでも言うような顔をしたから、俺は野口に体を預けた。

「都内にもあんだって。テレビでやってた」
「野口も行ったことないところ?」
「そう。ハジメテ。はじめは?」
「俺も、ないな」
「マジ? じゃあ絶対に一緒に行こう!」

野口は幸せそうに笑って更に深いキスをしようとしてきた。俺にはそれがとても嬉しかった。

野口は壁を越えて来る。透明にでもなれるのか。ワープでもできるのか。余りに一瞬の出来事なので俺にはその理屈は分からない。たぶん野口が宇宙人だからだろう。

野口は宇宙人だ。地球人には到底理解不能な存在。

分厚い強化ガラスに触れて冷えていた指先を優しく握って温めてくれる。

くそ。

でもごめん。

俺は野口に手をついて抵抗した。これ以上接触すると風邪が移ると思ったからだ。

もう手遅れかもしれないが。

「悪い」
「なんで?」
「理由はあるけど。言いたくない」
「なんで? なんでなんで?」
「お前が鈍感だから」

お前が俺の風邪に気付くことに期待はしていないけれど。章人さんが気付いてくれたので俺は調子に乗っていた。

「それどういう意味?」
「俺達の関係にとっては重要なことではない。俺はお前のことが好きだし、お前のすることが嫌な訳ではない」
「俺のこと好き?」
「うん。そうだな」

野口は俺の首に手を回して、強めの力でキスしようとしたが、俺はそれより強い力で抵抗して、近付くことを許さなかった。

野口は先程までの元気が嘘のように項垂れて俺から離れた。その姿をとても愛おしいと思った。

あの言葉、こういう姿のことを言うんだろうな。




曰く、“青菜に塩”。
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