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悪の報いは針の先

感情と言うものは目に見えないから興味深い。そして目に見えた時にもっと興味が湧くものだ。

だから俺は人の感情を揺さ振るのが大好きで、今日もぶっ飛んだことをやって誰かを驚かせたり怒らせたりしたくてうずうずしていた。

「青木、お前、またなんか企んでんのか」
「そんなことないっスよー」
「だったら授業を聞け」

パン!

と、小気味よい音を立てて俺の頭を叩いたのが小須田先生なら教育委員会に嘆願して大騒ぎしてやるのだけれど残念ながら凶器であるノートを握って居るのは後ろの席に座る灰谷だった。

「いってぇ」

灰谷は澄ました顔でノートを開いて机に置いた。

「お前なあ、見た目は可愛いんだから大人しくしてたら?」
「そっちこそ、頭いいんだから真面目に勉強したら?」

上手いこと言うね?

ムカつくわ。

「勉強ね。してますよ」
「へえ。ごめんね、全然気付かなかった」

そうだろうね。お前と比べちゃあそうだろうね。

俺の言葉に灰谷は細い髪の一本さえも動かさない。漸く動いたと思っても瞼をぱちりとさせるだけだ。

こういう時、綺麗な顔って憎いよね。

俺は灰谷の顔をずっと見続けていたいけれど端正なその顔がひくりともしないと丸で人形を相手にして居るような寂しさを覚える。灰谷がとても冷淡な人間に思える。

俺を見ろ。

と、念じたところで叶った試しが無い。

灰谷にとって僅かの関心も掻き立てられない存在だと自覚させられる。灰谷は俺に視線もくれないでノートに目を落としたきりだ。

勉強ね……。

「お前はさ、勉強ばっかだよね」

俺の棘のある言葉にやっと灰谷は反応した。俺のことを睨み上げた灰谷の瞳は氷結しているのかと思う程に冷気を放って居る。

「そうですね」

灰谷はそれだけ言うとまた顔を伏せた。

玲瓏に響く声音は冷え切った教室にしんと染み渡る。灰谷の冷たい態度は俺だけでなく教室に居る多くの人間の心を今日一番の底冷えに凍えさせた。

死にそう。

小須田先生の顔にも死相が見える。

苛々する。

俺は灰谷のくすみ一つない肌を舐めるように見た。余りに綺麗で尚更に腹が立つその理由はもう自分でも分からない。多分、八つ当たり。

「机の上じゃあさ、恋人も出来ねえじゃん」
「…そうですね」

ヤバい。怒らせた。

でも止まんねえ。

「お前、片想いしてたろ。あれどうなった?」

それはいつかした秘密の打ち明け話だったけれど平静を失った俺に後戻りする術はなかった。唯一の切り札を灰谷に突き付けるしかなかった。

追い詰められて差し出したこの切り札は、しかし確かに絶大な威力を発揮するに違いないという確信もあった。

あれは灰谷の本気の恋だったのだ。

灰谷を心底から動揺させるには灰谷の心の奥の奥、その迫真に触れるしかない。好きな人が居ると言ったあの日の灰谷はそうと口にするだけでも緊張することが伝わって来る程に本気で恋して居た。

灰谷はまた俺を見た。

俺はその目の動揺に容易く気付いた。

ほんとムカつく。

「相手にその気がないんだって」
「お前が『その気』にさせられないんだろ」
「『恋愛には興味ない』って言われたんだよ」

何それ。お前いつ告白したんだよ。

「フラれたのか」

誰だよ灰谷みたいな美人の告白をそんな陳腐な文句でフッたのは。俺がぶっ飛ばして後悔させてやる。

「そうですね」

灰谷は消え入りそうな声で呟いた。

教室は静まり返っている。小須田先生が困惑して「まあお前ら落ち着けよ」なんて場違いで的外れな言葉を掛けるけれどクラスメイトの皆が灰谷の様子に釘付けになって居るのは明らかだった。

なんだよ。

なんなんだよ。

「お前ちゃんと告白したのか。お前のこと断る人間なんていんのかよ。なんか勘違いされたんじゃねえの」

灰谷は目に涙を溜めて居た。

瞬きしたら、ぽろっと零れた。

「…あんたが、」

何、何、なんだよ。

俺が悪いのか。

「ごめん、ごめんって。泣くなよ。ごめん、なあ、悪かったよ。」

灰谷は昔は泣き虫でよく泣いたものだったが中学に進学して以降は人前で泣くより以前に大声で笑うこともほとんど無くなってしまった。

高校の連中は灰谷には心が無いと信じて疑わなかっただろう。今までは。

「酷い。あんたには分からない」

灰谷は最後にそう言って教室を飛び出した。

「灰谷!」

小須田先生は追い掛けようとしたけれどクラスの女子に服を掴まれて止められていた。「信じられない」「無神経」と口々に罵られて居る。

無神経?

上等だね。

俺は灰谷を追って教室を抜け出した。小須田先生は俺の名前も呼んだけれどやはり追い掛けては来なかった。

灰谷は校舎の北側にあるゴミ捨て場にしゃがみ込んでいた。

「ごめん」

灰谷は俺を見もしない。

「なあ、ごめんって」

灰谷は本気だって分かってたんだ。あんな風にお前を動揺させたり泣かせたりすれば俺は気分が良くなると思ってたけれどそれは違った。現実は違った。少しも気分良くならなかった。

灰谷が本気で恋して居ることに俺の方が動揺した。

灰谷は俺を振り向かない。

澄んだ瞳は俺を見ない。

「ずっと好きだったのに、」

少し落ち着きを取り戻して居た灰谷はそう言ってまた感情が高ぶったらしく嗚咽を交えながらも何か話し始めた。

「うん。うん。何?」

俺はなんでも受け止めてやれるんだよ。灰谷が好きなんだからさ。

そう、そうだよ。

俺は灰谷が好きだ。

お前が好きなんだよ。

だから灰谷の恋が許せなかった。

だから、俺は。

「あんたが、言わなくても、いいじゃん」
「うん。俺、酷いことした。ごめん」
「好きだったのに、」
「うん。知ってたよ」
「もう嫌い」
「うん。ごめん」
「あんたなんか嫌い」
「嫌わないでよ。俺はお前が好きなんだからさ」

愛してるんだからさ。

灰谷はわんわん泣いた。号泣だった。

「やっぱり好き」

灰谷は何度もしゃくり上げながらそう呟いた。

「俺、お前のこと好きだから、嫉妬したんだよ。お前が本気で好きになった男に、嫉妬したんだよ」

もう傷付けたくない。

だから想いを伝えてしまおう。

「お前のこと好きだから、もうこんな話はしないでよ。お前が好きって言う度に、たぶん俺はお前をずたずたに傷付けたくなる」

灰谷は暫く黙ってから、泣くのを堪えながら、俺を見た。

「…もう、嫌い」
「うん。ありがとう」
「嫌い」
「うん。俺の前では、そう言ってくれると助かるよ」
「大嫌い」
「ありがとう。俺はお前のことまだ好きで居られそうだ」

灰谷は顔を真っ赤にして俯いた。

良かった。

灰谷は俺を赦してくれた。



曰く、“悪の報いは針の先”。
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京香

ミクは私の瞳が黒いからというだけで興味を持っているのだろうか。

「何か飲む?」

部屋に着いてから私が尋ねると、ミクは「いや、僕が入れるよ」と言って温かいお茶を用意してくれた。

ミクは口元から整った歯列を見せて笑った。それは子供服のモデルのように愛らしい。そんな見た目の幼さに反して女性の扱いに慣れているので、私はどうしてもそれを意識してしまう。

「あ、ありがとう」

私がお礼を言うとミクは笑みを深めた。

格好良いな、と思う。

日本人離れした外見にはこの世界に暮らす内に多少は慣れてしまった。見ていて飽きはしないけれど容姿目当てで同棲しようとまでは思えない。

けれどミクの紳士的な態度はどうしても慣れない。

大切にされているのだと意識してしまう。

「ところで、さっきの、何?」
「ん?」
「外で話してた男」

あー。

気にしてたんだ。

「知り合い。趣味か何かでここへ来てるんだって」
「知り合い?」
「あー、だから、ダラスとかラゼルみたいな感じ」
「ダラスって誰?」

これは、この先にあるのは、束縛だろうか。

「仕事の知り合いだよ」
「そう。で、さっきのあれは何?」
「だから、ただの知り合いだよ」

ミクは笑みを絶やさずに首を傾げた。髪がさらりと揺れて桃色に輝いた。

「僕は“彼は誰か”と聞いたんじゃないよね」
「え?」
「“あれは何か”って聞いたんだから、君は、京香は、“あの男がどういう男で君とどういう関係にあってどういう経緯であそこで会って話すことになったのか”の全てを答えるべきなんじゃないかな」

ミクがほのかみたいなことを言うから、私はお兄ちゃんのことを思い出してしまった。

「…それで私をちゃんと捕まえてくれんの」

ほのかは私から離れた。

一緒に居てくれたのは智仁だ。ほのかは私を所有できないことを知ると失望してしまった。

「僕は君を愛してる」

ミクはどろどろに濁った緑の瞳で私を見詰めた。息苦しくなるのは、彼の眉間に苦悩の証しが刻まれているからだろう。

ミクはそれ以上何も言わなかった。

私がミクの瞳に身動きを奪われるのと同じように、ミクも魔物の黒い瞳に囚われているだけなのかもしれない。幻覚に怯えていた和山さんの母親のように、ミクの瞳は生気を失って微動だにしなかった。

ミクは“私”を愛していない。

だからいつか“私”を手放す。

ミクが私の“眼”を抉り取って瓶詰めにする日は来るのかもしれないけれど、“私”を閉じ込めて彼だけのものであるように求めたりはしない。

『愛してる』に続く言葉は『だから君を手放したりしない』であって欲しいけれど、ミクがその確証を与えることはなかった。

カップに注がれていたお茶はすっかり冷めていた。

レオン

「京香ちゃんに会ったよ」

俺が言うとヤンは「今ですか」と静かに尋ねた。

「私も会いたいと思っていたところなのですが」
「そう。悪いね」
「他人に興味のない貴方でも、シークには目がないんですね」

ヤンはにっこりと微笑んだ。

「お前だって、同じだろう」

ヤンは指令が無ければ直ぐにでも俺に逆らうだろう。軍人は皆そうだ。身分と指揮関係で全てが決まる。ヤンは俺が嫌いだし、殺したい程ではないにしろ、近くに居たいとは思えない人間ではある筈だ。

軍人は俺みたいな人間を嫌う。

制服で育った生粋の軍人と違って、俺は礼服で育った元術士。あの狂った術院よりは軍が好きだからこちらへ来たけれど、互いに信頼し切っていないのは紛れもない事実だ。

軍人として生き、軍人として死ぬ。それがヤンの生きる道。

俺はそうはできない。

ヤンの笑顔の下には、俺への猜疑がある。

「そうですね、否定できません。あの可愛らしいけれど平凡な少女に惹かれるのは、彼女がシークだからだと思います」
「お前の親父も、そうなんだろ」
「どうでしょうか」
「きっと“そう”だろ。遺伝だよ、遺伝」

ヤンは苦笑いした。

シーカーは、その人の意思や趣向とは無関係に突発的にシークを欲してしまうらしい。血が騒ぐ、とでも言うのか。

誰かは、あの濡れたような黒い瞳に、全てを吸い込まれるのだ、と表現した。

ヤンがシーカーかどうかはまだ分からないけれど、そういう人間的な欲望を抑圧しようと藻掻くヤンは、どこか扇情的で面白い。

「私が、貴方に忤ることがあれば、必ず止めて下さい」

ヤンは言った。

俺は笑った。

止める訳ないだろう。そんな詰まらないこと、したくない。

「それは、その時が楽しみだ」

ヤンは俺の内心を悟ったらしく、また苦笑いした。
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